ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

長野県駒ケ根市、赤穂南割「大御食神社の御蔭杉」です!!

2020-08-26 07:39:00 | 巨樹・大木
赤穂南割地区は、駒ケ根市役所の南西約2kmのところ

国道153号線下市場信号を東へ市場大通りを下って行きます

宮の前信号を過ぎると間も無く左手に大御食神社が南向きに鎮座します

参道入口の前に参拝者用駐車場が有りますので利用させて頂きました

参道入口です
大御食神社です

左側には美女ヶ森の石碑が建ちます

説明版です
  美女ヶ森 大御食(おおみけ)神社の由来
 本神社は、社暦の古くして由
緒正しき故をもって、明治5年
郷社に昇格され更に昭和42年
から神社本庁より、献幣使参向
指定神社となりました。
 祭神(御三神)
●日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
 景行天皇58年(129)神
殿をここに建て尊の霊を鎮祭し
て、大御食神社と称す。
●宮簀姫(ミヤスヒメ)または五郎姫(イツイラツメヒメ)
 応神天皇8年(278)尾張
の国よりここにお迎えして合祀
しここを美女ヶ森と称す。
●誉田別命(ホムダワケノミコト)または八幡大神
 陽成天皇元慶3年(879)
山城の国より分霊を御迎えして
合祀す。
 本神社には明治天皇の天覧の
光栄に浴した社宝「神代文字社
伝記」がある。
 景行天皇41年(112)日
本武尊が赤須の里に駐輦遊ばさ
れた、を発端とし村上天皇の天
暦5年(951)に至る、およ
そ840年間の本神社の社歴お
よび関連事項が記録されている
日本唯一の神代文字社伝記であ
る。
(祭神の読み方は社伝記による)

手水舎です、目的のスギが後ろにあるのですが・・・


一段上がった右側境内に目的の御蔭杉です

景行天皇41年日本武尊御蔭杉其先・・・の石碑です

日本武尊御手推石・・・の石碑です

説明版です
  御神木 御蔭杉の由来
 御神木御蔭杉は、上古建御名
方命御国巡りの時、奇杉なりと
愛で給い。景行天皇41年(1
12)日本武尊東征の帰路、赤
須彦がこの杉の大樹の元に仮宮
を設けて、尊を迎え酒饌を饗せ
し時、尊大いに悦ばれ、この杉
の樹蔭清々しく弥栄えて丈高く
奇杉なりと愛で給いぬ、以後こ
の杉を御蔭杉と称せしと、神代
文字社殿記に記してある。
1、神功皇后4年の春、杉枯れ
 たので、翌5年の春中枝の大
 虚に生育った実生の杉の植継
を行いたり。
2、文徳天皇斉衡3年(856
 )5月御蔭杉枯れたりしため
 、同天皇天安2年(858)
 春上下伊那郡よりの氏子百数
 十人により杉の植継行なわれ
 、七日七夜歌い舞の宴を張り
 大祭を行いしと伝えられる。
 現在の御神木御蔭杉は、その
時植えられたもので、樹齢千百
余年を経ている。

南東側から見上げました

東側から

北側から

西側から、目通り幹囲5,8mの巨木です

狛犬です

拝殿です


本殿です

説明版です
駒ケ根市指定有形文化財
 大御食神社本殿
(平成23年12月27日指定)
 当本殿は、間口4,2mの規
模の三間社流造、銅板葺(元こ
けら葺)の社殿で、軒唐破風を
付ける。見所は、正面の彫刻と
繋ぎの龍彫刻で、立川流の彫刻
技法が見事に発揮されている。
 建築年代を示す資料として、
2枚の棟札がある。一枚は、文
久3年(1863)9月の斧始
めのもの、もう一枚は、翌年の
元治元年(1864)4月の地
鎮祭のものである。これから、
本殿造営の木材加工の着工が文
久3年で、翌年に地鎮祭、上棟
が行なわれたことがわかる。
 また、文久3年の棟札に「大
工キソ斉藤常吉、彫工スワ立木
音四郎」とあり、大工棟梁は立
川和四郎冨昌の一番弟子斉藤常
吉、彫工は同じく立川弟子の立
木音四郎であったことがわかり
、立川流の大規模な社殿として
位置づけられる。
   駒ケ根市教育委員会

神楽殿です

末社殿です

神社名が書かれています

一木社です

新田工作物の説明版です

帰り際に鳥居の南側に変わった杉を見つけました

幅の広い杉の葉です

一般の杉の葉はこんな感じですね

説明書きです
 日本名 広葉杉(スギ科)
原産地 中国・台湾
    徳川時代渡来
 中国名 沙木(サーム)
特徴 
 葉は硬くかま状、針形
先端は尖りやや羽状、花は雌雄
同株で春開花、材は白蟻の害を
受けない。
 一名:オラダモミ・リュウキュウスギ・カントンスギ

回りに数本あるようです

では、次へ行きましょう
コメント
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