ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

長野県伊那市、狐島「神明社荒神社合殿(狐島神社)のケヤキ群」(市指定)です

2020-08-23 06:23:36 | 巨樹・大木
狐島地区は、伊那市役所の北東約3kmのところ

国道153号線の西町信号を東へ毛見橋で天竜川左岸へ

道なりに進んで右に墓地の有る交差点を左に入ります

細い道を進むと左手に大きな樹冠が見えて来ます

狐島第二公民館のところに東向き参道で神明社荒神社合殿が鎮座します

神社の北側に駐車スペースが有りますので利用させて頂きました

参道入口です

村社 神明社荒神社相殿です

手水舎です

鳥居です、すぐ後ろ側にケヤキの幹が何本も見えています

まほら伊那説明版です
   狐島神社
 ここ狐島神社は「犬房丸」が
開いた神社とされています。犬
房丸とは鎌倉時代に伊那市一帯
を治めた工藤祐時という武士の
子供のころの名前です。
 鎌倉幕府を開いた翌年の建久
6年(1193)将軍源頼朝は
富士の裾野で大がかりな巻狩り
を行いました。その時、これを
好機と陣内に忍びこみ、父の仇
工藤祐経を討ったのが有名な「
曽我兄弟の仇討」です。兄、十
郎は斬り死にし、弟、五郎は捕
らえられ頼朝の前に引き出され
ました。この時祐経の子「犬房
丸」はまだ9歳、父を討たれ悲
しみのあまり曽我五郎の顔を扇
子で打ってしまいます。縛られ
ている者を打つとは武士の法を
知らない者と頼朝に咎められ、
犬房丸は伊那の地に流刑となっ
たのです。
 彼ははじめ狐島に住んだと言
われ、天竜川西の領地の毛見(
検見が転じた言葉、収穫高検査
のこと)をするために渡った橋
が今でも「毛見橋」と呼ばれて
います。その後、犬房丸は西春
近小出に住むこととなり、村人
がそれを嘆くと配流のとき背負
ってきた木像の荒神様を「自分
がいなくなってもこの神を祀れ
ば安心だ」と言い残しこの地を
あとにしました。そして、その
荒神様を祀ったのがこの狐島神
社の始まりで、正式名は神明社
・荒神社合殿と言います。
 境内の大欅7本は、天竜川・
三峰川の氾濫から村人を守って
くれたと伝えられ、今でも狐島
地区の大切な鎮守の森となって
います。
 犬房丸がここに来た頃、伊那
市はどのような所だったのでし
ょうか・・・

天然記念物標柱です

説明版です
  神明社荒神社合殿のケヤキ
指定 伊那市天然記念物 植物
指定年月日 平成17年11月22日
名称 神明社荒神社合殿のケヤキ
員数 7本
所在地 伊那市狐島4030番地
樹高  最大のもの 約30m
直径  最大の物 1,85m
推定樹齢 300年
 境内に7本のケヤキが生育し
ています。いずれも樹勢が良く
、枝ぶり、根の張り具合等が素
晴らしく、また左右の枝の分岐
もバランスがとれ、ケヤキ本来
の樹形を保っています。河川が
運搬する砕屑物が堆積した「氾
濫原」に、これだけの巨木がま
とまって成育しているのは、珍
しいといわれます。
 数本が直線的に配置され、河
川の出水を防ぐとともに、風除
けの役割も果たしてきたと考え
られます。明治元年(1868
)ころまで、時々の洪水で天竜
川・三峰川が氾濫して多大な水
難をこうむった際も、この神社
の森によって荒れ狂う水を防ぐ
ことができたと伝えられていま
す。
 遠くから望むことができるこ
のケヤキの森は、7本のケヤキ
が枝を十分に張ることのできる
貴重な空間といえます。
参考文献「伊那市神社誌」
    「伊那市の巨樹・老樹とその保護対策」
   伊那市教育委員会




まずは二本の巨木です、右側が一番太いケヤキです

目通り幹囲5,3mのケヤキの巨木です


拝殿です

本殿覆い屋です

説明版です
 神明社荒神社合殿 御由緒
創立年月日 不詳 境内面積1285㎡
祭神 天照皇大神 神明社
   素戔嗚尊  荒神社
   天児屋命  春日社
   建御名方命 諏訪社
 狐島の里の氏神様として祀る
御祭神の由緒は、神明社は不詳
である。荒神社は口碑によると
三宝荒神像といわれており、右
大臣源頼朝公の幕下にして伊豆
の太守工藤祐経の子犬房丸と称
する者が、頼朝公の命によりこ
の狐島の地へ配流されたとき、
護身の神として荒神の木像を笈
の中に入れて来たものと伝えら
れている。
 本殿は覆殿の中に建つ間口1
、6mの一間社流造、こけら葺
の建物である。享保20年(1
735)の造営を示す棟札があ
り、建物の様式からみて現社殿
はこのときの建立と考えられる
。また棟札から造営の大工棟梁
は川合善八東春であったことが
わかる。この時期の建築として
は彫刻が多く、また彫刻に独創
的な物が多い。本殿の各所に、
様々な彫りに胡粉・朱・緑青等
で色彩が施され、向拝木鼻の向
き合っている唐獅子の彫刻は独
創的で躍動感がある。
 明治年間になって神社が国家
管理になり、神社の基盤整備の
名の下に統合令が出されたが、
当社はどこの神社とも合併しな
かった。そのため、貴重な欅の
森と江戸時代中期の文化財が残
されている。
春日社と諏訪社は大正8年に合祀



拝殿前から太い二本を見ました


拝殿前から一番太いケヤキです

拝殿前から二番目に太いケヤキです


拝殿に向って左側に並ぶケヤキ5本です


石塔が並びます

では、次へ行きましょう
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