松田惣領は、松田町役場のすぐ西側の地域です
小田急小田原線しんまつだ駅北側のロマンス通りを西へ進み、信号を南へ
直ぐの交差点を西へ入ると、松田小学校に西側に南向き参道で寒田神社が鎮座します
神社の西側から境内に車を止める事が出来ました
参道入口鳥居です
縣社 寒田神社です
相模国延喜式内社と延喜式の説明版です
延喜式内社について
延喜式とは平安時代中期、醍醐天皇の時に完成した法制書でです。
この式の神明帳に掲載されている神祗官の管轄する神社を延喜式内社、略して式内社といって全国で2861社あります。相模国には13の神社名がのっています、当社はその一つです。
このことから寒田神社は、県西地区では唯一の式内社で、延喜式の完成当時すでに有力な神社としてこの地に鎮座していたことがわかる古社です。社伝では、仁徳天皇3年(西暦315年)の御創建で、古来より篤い信仰を集めていた由緒ある神社です。
参道右に寒田神社の由緒です
寒田神社
1、鎮座地 神奈川県足柄上郡松田町松田惣領1767番地
1、祭神 倭健命・菅原道真公・弟橘比売命・誉田別命
1、由緒 ご創建は仁徳天皇3年(西暦315年)と伝えられ、平安時代には延喜式の神明帳に相模国の十三社の一つとして載っている古社です。
思うに、一万年くらい前から堆積や地震による隆起により足柄平野が形成され、開拓が進められてきた過程で人々の心の拠所としてこの地に建てられた神社であります。
源頼朝はしばしば立ち寄った松田亭より年々玄米十石を奉献し、徳川家光も朱印地は百五十石を寄進するなど尊崇されてきました。
時代はさがって、アメリカ最初の宇宙飛行士ジョン・ダレンさんも当社の祈祷神礼を受けて無事成功され大願成就の参詣をされた。
昭和16年に県社になり、昭和43年神社庁より献幣使の参向する神社に指定されている。
1、例祭日 7月31日
イチョウの大木です
松田大名行列の説明版です
参道左に風害記念碑です
維時昭和7年11月14日、俄然颱風襲来夜に至り益募り十時十一時の交共極に達し、神楽殿を倒し御本殿を破り七百年来の老樹も大半吹き倒さる。當神社は、通称榧森と呼ぶ是榧樹繁茂せし故なり、今や未曽有の大風に遭い風致は傷を其名も疎の亦廃れんとす遺憾の極なり、神奈川県知事之を痛み復 補助費を交付し之が複 を希む故に茲に録して記念す。
昭和8年7月建設
*今も境内には多くのカヤの木がまだ多数あります、11月になってから台風の被害が出ていたのですね
カヤの大木です
手水舎です
駐車場脇にもカヤの大木です
社務所前のスダジイです
境内東側には神楽殿です、風害被害碑に有ったあと建てられた物なのでしょうか
立派な狛犬です
拝殿です
本殿は覆屋の中です
社殿の右側には史跡腰掛石です
拝殿前右手にケヤキの古木(ほぼ枯れてしまっています)が御神木のようです
目的のシイは、本殿の東側、小学校との境近くに在ります
かながわの名木100選です
寒田神社のカシ
和名:イチイガシ(ブナ科)
幹はまっすぐに伸び、県内のカシ類の中では最も樹高の高いものである。イチイガシは県内ではきわめて少なく貴重である。
樹高 30m、胸高周囲 3.0m、樹齢 約500年(推定)
イチイガシは、関東南部から九州に分布する常緑高木である。
樹高30m、胸高周囲5m、樹齢約1000年に達するものもあると言われている。
南側から見上げました
東側から
境内北東隅に稲荷社です
本殿裏側の境内社は祖霊社です
歯の供養塔です
熊野社・神明社・天社神の社殿です
こちらにはお名前が有りませんでした
宝物殿のそばの祠です
では、次へ行きましょう
小田急小田原線しんまつだ駅北側のロマンス通りを西へ進み、信号を南へ
直ぐの交差点を西へ入ると、松田小学校に西側に南向き参道で寒田神社が鎮座します
神社の西側から境内に車を止める事が出来ました
参道入口鳥居です
縣社 寒田神社です
相模国延喜式内社と延喜式の説明版です
延喜式内社について
延喜式とは平安時代中期、醍醐天皇の時に完成した法制書でです。
この式の神明帳に掲載されている神祗官の管轄する神社を延喜式内社、略して式内社といって全国で2861社あります。相模国には13の神社名がのっています、当社はその一つです。
このことから寒田神社は、県西地区では唯一の式内社で、延喜式の完成当時すでに有力な神社としてこの地に鎮座していたことがわかる古社です。社伝では、仁徳天皇3年(西暦315年)の御創建で、古来より篤い信仰を集めていた由緒ある神社です。
参道右に寒田神社の由緒です
寒田神社
1、鎮座地 神奈川県足柄上郡松田町松田惣領1767番地
1、祭神 倭健命・菅原道真公・弟橘比売命・誉田別命
1、由緒 ご創建は仁徳天皇3年(西暦315年)と伝えられ、平安時代には延喜式の神明帳に相模国の十三社の一つとして載っている古社です。
思うに、一万年くらい前から堆積や地震による隆起により足柄平野が形成され、開拓が進められてきた過程で人々の心の拠所としてこの地に建てられた神社であります。
源頼朝はしばしば立ち寄った松田亭より年々玄米十石を奉献し、徳川家光も朱印地は百五十石を寄進するなど尊崇されてきました。
時代はさがって、アメリカ最初の宇宙飛行士ジョン・ダレンさんも当社の祈祷神礼を受けて無事成功され大願成就の参詣をされた。
昭和16年に県社になり、昭和43年神社庁より献幣使の参向する神社に指定されている。
1、例祭日 7月31日
イチョウの大木です
松田大名行列の説明版です
参道左に風害記念碑です
維時昭和7年11月14日、俄然颱風襲来夜に至り益募り十時十一時の交共極に達し、神楽殿を倒し御本殿を破り七百年来の老樹も大半吹き倒さる。當神社は、通称榧森と呼ぶ是榧樹繁茂せし故なり、今や未曽有の大風に遭い風致は傷を其名も疎の亦廃れんとす遺憾の極なり、神奈川県知事之を痛み復 補助費を交付し之が複 を希む故に茲に録して記念す。
昭和8年7月建設
*今も境内には多くのカヤの木がまだ多数あります、11月になってから台風の被害が出ていたのですね
カヤの大木です
手水舎です
駐車場脇にもカヤの大木です
社務所前のスダジイです
境内東側には神楽殿です、風害被害碑に有ったあと建てられた物なのでしょうか
立派な狛犬です
拝殿です
本殿は覆屋の中です
社殿の右側には史跡腰掛石です
拝殿前右手にケヤキの古木(ほぼ枯れてしまっています)が御神木のようです
目的のシイは、本殿の東側、小学校との境近くに在ります
かながわの名木100選です
寒田神社のカシ
和名:イチイガシ(ブナ科)
幹はまっすぐに伸び、県内のカシ類の中では最も樹高の高いものである。イチイガシは県内ではきわめて少なく貴重である。
樹高 30m、胸高周囲 3.0m、樹齢 約500年(推定)
イチイガシは、関東南部から九州に分布する常緑高木である。
樹高30m、胸高周囲5m、樹齢約1000年に達するものもあると言われている。
南側から見上げました
東側から
境内北東隅に稲荷社です
本殿裏側の境内社は祖霊社です
歯の供養塔です
熊野社・神明社・天社神の社殿です
こちらにはお名前が有りませんでした
宝物殿のそばの祠です
では、次へ行きましょう