三俣地区は、湯沢町役場の南西約6kmのところ
湯沢町役場前から国道17号線を苗場方面へ、約7,6kmで

国道の東側に「道の駅みつまた」です

駐車場に湯沢広域マップです

湯沢駅周辺マップです

三俣宿の説明版です

案内図です、三国街道 脇本陣跡池田家を見て行きましょう(雪崩記念碑や寄りそう松と杉もあったのですが行けませんでした)
車で脇本陣跡へ行ってみました

国道17号線を南へ約500mで左(東)へ国道の旧道?に出て右(南)へ

間も無く右手に脇本陣です

北側に大きな案内板です

説明版です
新潟県文化財
史跡 三国街道脇本陣跡 池田家
三国街道は、江戸と越後をむすぶ江戸時代の幹線道路で、諸大名の参勤交代をはじめ人馬や物資の往来がさかんで、街道ぞいに多くの宿場があった。三国三宿とよばれた浅貝、二居、三俣にも本陣、問屋などがあったが、ほとんど失われて当時の遺構としては、この池田家の建物だけとなった。
池田家は、当時三俣宿の脇本陣として、諸大名、奉行代官等の宿所であり、問屋業も兼ねた豪家であった、道路に面した主屋は、桁行10間(約18m)梁間(約11m)の切妻造り石置木羽葺屋根の2階建で、内部は、向かって左側の6室が客室部その他が居室部である。
全体的に木割が太く、天井の高い堅牢な造りで、特に客室は、上段の間、客室に書院床棚などをそろえた書院造りで、水墨の襖絵透彫の欄間、釘隠しなどに本陣の風格がうかがわれる。
居室部には荷物揚卸し場、茶の間、台所、水屋などがあり内庭には防火消雪用の「たなえ」とよぶ池がある。この建物は、江戸時代における宿場の本陣及び問屋の機構を伝える遺構として、きわめて貴重な」存在である。
昭和29年2月10日 新潟県教育委員会 指定
*三俣の大雪崩 (みつまたのおおなだれ)は、 1918年 ( 大正 7年)に 新潟県 南魚沼郡 三俣村 (現在の 湯沢町 字三俣)で発生した 雪崩 災害 で、三俣雪崩 とも呼ばれる。 この雪崩に180名が巻き込まれ死者158名(圧死者155名、救助後に死亡した者が3名 )にのぼり、文献記録に残るうえでは 日本史上最悪の雪崩 です。(ウィキペディア一部抜粋)
では、次へ行きましょう

2023年6月2日午前9時訪問です
湯沢町役場前から国道17号線を苗場方面へ、約7,6kmで

国道の東側に「道の駅みつまた」です


駐車場に湯沢広域マップです


湯沢駅周辺マップです


三俣宿の説明版です


案内図です、三国街道 脇本陣跡池田家を見て行きましょう(雪崩記念碑や寄りそう松と杉もあったのですが行けませんでした)
車で脇本陣跡へ行ってみました


国道17号線を南へ約500mで左(東)へ国道の旧道?に出て右(南)へ

間も無く右手に脇本陣です


北側に大きな案内板です


説明版です
新潟県文化財
史跡 三国街道脇本陣跡 池田家
三国街道は、江戸と越後をむすぶ江戸時代の幹線道路で、諸大名の参勤交代をはじめ人馬や物資の往来がさかんで、街道ぞいに多くの宿場があった。三国三宿とよばれた浅貝、二居、三俣にも本陣、問屋などがあったが、ほとんど失われて当時の遺構としては、この池田家の建物だけとなった。
池田家は、当時三俣宿の脇本陣として、諸大名、奉行代官等の宿所であり、問屋業も兼ねた豪家であった、道路に面した主屋は、桁行10間(約18m)梁間(約11m)の切妻造り石置木羽葺屋根の2階建で、内部は、向かって左側の6室が客室部その他が居室部である。
全体的に木割が太く、天井の高い堅牢な造りで、特に客室は、上段の間、客室に書院床棚などをそろえた書院造りで、水墨の襖絵透彫の欄間、釘隠しなどに本陣の風格がうかがわれる。
居室部には荷物揚卸し場、茶の間、台所、水屋などがあり内庭には防火消雪用の「たなえ」とよぶ池がある。この建物は、江戸時代における宿場の本陣及び問屋の機構を伝える遺構として、きわめて貴重な」存在である。
昭和29年2月10日 新潟県教育委員会 指定
*三俣の大雪崩 (みつまたのおおなだれ)は、 1918年 ( 大正 7年)に 新潟県 南魚沼郡 三俣村 (現在の 湯沢町 字三俣)で発生した 雪崩 災害 で、三俣雪崩 とも呼ばれる。 この雪崩に180名が巻き込まれ死者158名(圧死者155名、救助後に死亡した者が3名 )にのぼり、文献記録に残るうえでは 日本史上最悪の雪崩 です。(ウィキペディア一部抜粋)
では、次へ行きましょう


2023年6月2日午前9時訪問です