ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

富山県高岡市、頭川「頭川神社のスギは切株になってしまいました」です!!

2023-06-06 18:38:00 | ドライブ
 頭川地区は、高岡市役所の西約6kmのところ

 高岡市役所前から北西へ、志貴野中学校前信号を左(南西)へ国道156号線です

 約1.5kmの片原町信号を右(北西)へ、県道64号線です

 約2.7kmで小矢部川を渡った西詰を右(北西)へ小矢部川の土手道へ入ります、まだまだ県道64号線です

 間も無く土手道を離れ約1kmで能越自動車道の高架を潜り、約900mで小さな橋を渡って左(西)へ入ります

 頭川公民館の標柱が立っています、道成りに坂道を上って行くと、右手に頭川神社が南西向きに鎮座します

 左へ坂道を上って

 頭川公民館前に車を止めさせて頂きました

 公民館前の防災図です

 境内を見ました

 村社 頭川神社の社號標です

 鳥居です

 献馬像です

 手水鉢です

 社殿です

 頭川神社来歴石碑です
   頭川神社来歴
 当神社は、旧頭川村鎮座の諸神を合祀した社である。旧頭川村は、国吉郷13村の大村で、住民は古来信仰心篤く、諸神を崇敬しこれを祀った。祠は次の8社を数えた。
 合祀前の神社名  祭神      所在地
  諏訪社     建御名方命   字坂尻
  天満社     菅原道真    同
  稲荷社     宇加之御魂神  同
  八幡社     品陀和気命   字丸山
  熱田社     日本武尊    字上野
  同相殿神明宮  天照大神    同
  春日社     天児屋根命   同
  清滝社     瀬織津姫命   字明田
  日吉社     大山咋命    字天池
  同相殿出雲社  大国主神    同
 明治41年11月、この地にあった諏訪社に他の7社を合祀して、名を頭川神社と改称す。



 社殿前東側に大きな切り株です

 南西側から

 南東側から、かつて目通り幹囲5.7mを誇った杉です

 東側から

 北側へは長く根が伸びていました

 参道の西側や


 東側のスギも伐られてしまったようです



 伐られたイチョウの切株からは、ひこばえの葉が出ています
 
 境内周辺にはまだまだ木々が残っていました

 では、次へ行きましょう

 2023年5月4日午前11時15分訪問です
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富山県氷見市、仏生寺「御田神社のイチョウ」です!!

2023-06-06 13:12:00 | 巨樹・大木
 仏生寺地区は、氷見市役所の南西約8kmのところ

 氷見市役所から県道312号線を南東へ、国道160号線の高架を潜って直ぐに右(南)へ国道160号線に合流します

 トンネルを貫けて朝日丘信号を右(西)へ県道76号線です、約2.4kmの十二町で左(南)へまだまだ県道76号線です

 道成りに約3.5kmで氷見南インターチェンジの高架を潜ります、更に約700m先からは県道64号線になって南へ

 約700mの寺中で標識に従って右(西)「吉池」へ、県道296号線です


 約500mで、右側に南向きの参道入り口です

 国史所載社 御田神社の社號標です

 鳥居です

 説明版です
  御田神社の由緒歴史
 御田神社は、今を去ること1500年以前の御建造・創立の神社にして、古代より歴代天皇の崇敬・武門武将の崇敬・氏子の信仰は勿論である。
 歴代天皇の崇敬としては、神階と弊帛を賜わり、武門武将の崇敬としては、社殿造営・社地の寄進、飯久保城主加納司郷、本社を崇敬して雨乞祈願をなされめぐみの雨が降ったので、一大感謝祭を執行後青年相撲を奉納今日まで続きたり。
 氏神様の御神徳は、世界平和と人類の幸福と家内安全で、無病息災と五穀豊穣もお守りくだされる、大神様である。
   平井正豊 謹書


 参道を進むと石段を上ります

 境内に上がると左手に手水舎です

 南向き拝殿です

 本殿階段の右に木の根のオブジェです、何故に置かれたのでしょうか・・・

 本殿覆い屋です

 境内南西端近くに目的のイチョウです

 北側から、大枝が二股になって伸びています

 西側から、更に東側の枝は三つ股になっていますが北側の一本は折れてしまったようです

 南西側から幹を見上げました、大枝から乳柱が垂れ下がっています

 南側から、目通り幹囲5.2mの巨木です

 南東側から


 乳柱を見ることが出来ました

 境内南西端の丘の上に境内社が見えました


 境内東側にはシャガの群落です

 黄色の花はウマノアシガタのようです

 では、次へ行きましょう

 2023年5月4日午前10時50分訪問です
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富山県氷見市、惣領「イタセンパラ保護池」です!!

2023-06-06 06:25:00 | ドライブ
 惣領地区は、氷見市役所の南南西約7kmのところ

 氷見市役所から県道312号線を南東へ、国道160号線の高架を潜って直ぐに右(南)へ国道160号線に合流します

 トンネルを貫けて朝日丘信号を右(西)へ県道76号線です、約2.4kmの十二町で左(南)へまだまだ県道76号線です

 道成りに約3.5kmで氷見南インターチェンジの高架を潜った先で直ぐを右(北)へ

 約700mで案内板です、ここを南へ入ると駐車場があります

 駐車場脇の「自然と古代ロマン探求館」「ひとみ田園漁村空間博物館」という説明版です、「矢崎の大フジ」近くの十二町潟水郷公園にもイタセンパラが住んでいるようです
   惣領砦跡
 氷見地域は越中と能登の国境に位置するため、南北朝時代から戦国時代にかけて多くの戦乱の舞台となり、多くの城郭が築かれました。
 この惣領砦は、戦国時代に築かれた山城です。標高101.9mの丘陵上に位置し、規模は400m×140mを測ります。東西方向にのびる尾根上に連なって築かれた三か所の主要な郭と帯郭、13本の堀切、土橋によって構成される堅固な縄張りを以ています。
 惣領砦は氷見南部地域の在地領主、狩野氏の出城と伝えられています。越中狩野氏については、出自は不明ですですが、加賀を本拠とした室町幕府奉公衆の狩野氏の系譜と推定されています。
 狩野氏は永禄3年(1560年)頃には越中守護代の神保長識に属していましたが、神保氏の勢力が衰えた天正初め(1573年~)頃から上杉方に属し、天正6年(1578年)の上杉謙信没後はいち早く織田方に転じたものと考えられます。
 惣領砦跡の東には飯久保城跡、西には鞍骨山城跡(御林山城跡)が所在しています。伝承では、狩野氏が鞍骨山城を本城として、惣領、飯久保に砦(出城)を構えており、惣領砦には家老大前左近と奥野主馬が在城したとされています。ですが、それぞれの城跡の縄張や規模から見ると、飯久保城が狩野氏の本城で、惣領砦と鞍骨山城は詰城としての役割を持っていたと考えられます。
 狩野氏は天正13年(1585年)の佐々成正降伏後、飯久保城を離れたと推測されます。同様に、惣領砦もこの頃役割をおえたのでしょう。

 イタセンパラの保護池へ行ってみましょう



 柵を空けて入りましょう

 北側から見ました

 園内案内図です

 北側の小規模池です

 中央手前の小規模池です

 水中を横から見られるようになっていますが・・・何も見えませんね~


 上空を大きなアオサギが飛んでいます、イタセンパラも食べられてしまっているかも・・・

 管理棟の説明版です、「富山県氷見市万尾川に生息するイタセンパラの繁殖行動」「水位変動が水田周辺河川の種多様性に与える影響」のパネルです

 では、次へ行きましょう

 2023年5月4日午前1040分訪問です
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