ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

新潟県糸魚川市、大谷内「不動滝キャンプ場のヒロハカツラ」です!!

2023-06-10 18:32:00 | 巨樹・大木
 ここからは、2023年5月5日取材分です

 大谷内地区は、糸魚川市役所の南南西約11kmのところ

 大谷内の山の中に今井不動滝(今井ジオサイト)があり周辺が不動滝キャンプ場になっています

 糸魚川市市役所から、まずはヒスイ峡入口を目指して国道148号線を南へ松本白馬方面へ

 姫川に沿う様に進みます、4月20日に取材したときに通ってルートです

 根知谷入口信号を過ぎて約3.5kmの姫川を大正橋で渡った信号を標識に従って右(北西)「ヒスイ峡・夏中」方面へ

 県道483号線です、約800mで「不動滝⇒」の案内板が有りますので右へ坂道を上ります

 約400m急な坂道を登って行くと、また「不動滝6km⇒」の案内板が有りますので右(北東)への林道岡倉谷線に入りま

 *林道は、ところどこら荒れているところはありますが、全線舗装道路です

 ここから道成りに約5.8kmでまたまた案内板がありますので右(東)へ

 約500mで左手に不動滝キャンプ場の広い駐車場です、案内板が有ります

  不動滝いこいの里ーーー今井ジオサイト
 「いこいの里」にある不動滝は、上流約4kmにあるヒヨドリ池から流れてくる虫川にある高さ70mの滝です。
 まわりの岩石は、海底の泥がかたまってできたもので、おやおそ2億6千万年前の古生代ペルム紀という時代にできました。
 不動滝の左の細い滝は糸滝といいます。
 「いこいの里」には、新潟県ではめずらしいフサザクラ、ヒロハカツラなどの木があり、崖にはタヌキラン、オオバギボウシ、ハルユキノシタなどの植物があります。また、不動池のまわりにはたくさんの種類のトンボがいます。
 不動滝の滝つぼの近くの岩の上に、水の神様である高竉神(たかおかみのかみ)をおまつりした”ほこら”があります。
 滝つぼに龍がいて、滝に石を投げると大雨を降らせるという言い伝えがあります。
 また、田畑の耕作によって水かけがされることから、毎年6月に不浄を清める祭が行われています。
   不動滝管理組合

 管理棟の南側(駐車場の南西端)に高竉神社の鳥居と不動滝の石碑があります、徒歩の場合は鳥居を潜って遊歩道から

 奥(北西)側から、キャンプサイト前の砂利駐車場へ車で降りて行くことが出来ました

 ゴールデンウイーク中ということでキャンプサイトは賑やかでした

 キャンプ場の中の道を不動滝へ向かうと、左手の岸壁から細い「糸滝」が落ちています

 アップで見ました、実は目的のカツラは右側に移り込んでいました

 漢文の石碑です

 読み下し文のプレートです
    読み下し文   磯野繁雄
 峰巒 窈窕として 潤を夾んで 明らかなり。(ほうらん ようちょうとして たにをはさんで あきらかなり)
 厲掲して 流れに沿いて 水を渉り行く。(れいけいして ながれにそいて みずをわたりいく)
 囘顧るに 已に覚ゆ、気象の異なるを。(かえりみるに すでにおぼえゆ、きしょうのことなるを)
 四月綿繙として 百囀の鶯あり。(しがつめんぱん ひゃくてんのうぐいすあり)
 琪花瑶草 深林の裏。(きかようそう しんりんのうち)
 一蹊 彎環して入ること 数理なり。(いっけい わんかんしてはいること すうりなり)
 仙源は 咫尺なり、知りて迷わず。(せんげんは しせきなり、しりてまよわず)
 鞺鞳として 先ず聞く、山背の水を。(とうとうとして まずきく、さんないのみずを)
 天に参わりて 矗矗たり、万樹の杉。(てんにまじわりて ちくちくたり ばんじゅのすぎ)
 下は巉巉たる 百尺の巌。(したはさんさんたる ひゃくしゃくのいわお)
 呼びて鬼窟となせども 乃ち是れ無し。(よびてきくつとなせども すなわちこれなし)
 神鑿の同門は 工凡ならず。(しんさくのどうもんは たくみぼんならず)
 忽ち看る、四合いて雲霧の塞がるを。(たちまちみる、よもにあいてうんむのふさがるを)
 大瀑 前に横たわって 雷電洶く。(たいばく らいでんどよめく)
 林呼び谷応えて 天も崩れんと欲し。(はやしよびたにこたえて てんもくずれんとほっし)
 銀龍 出て走って山振動す。(ぎんりゅう でてはしってやましんどうす)
 須臾に斜照して 水煙を破れば、(しゅゆにしゃしょうして すいえんをやぶれば)
 彩虹は陸離たり、澗上の天。(さいこうはりくりたり かんじょうのてん)
 海明 変化して、測るべからず。(かいめい へんかして、はかるべからず)
 詩を題して去らんと欲し、謫仙に愧ず。(しをだいしてさらんとほっし、たくせんにはず)

 だとか

 目的のヒロハカツラです

 北側から

 北東側から

 東側から、目通り幹囲7.8mの巨木です


 幅広の大きなハートマークの様な葉です

 南側から

 糸滝からの流れを渡って鳥居側へ

 北西側から
 
 西側から見ました

 西側斜面のトチノキの大木です

 北西側から見上げました

 西へ進むと不動滝が見えて来ました

 石祠越にケヤキの大木です

 高竉神社の石祠です

 虫川の北岸大岩の上にケヤキの大木です

 祠の南側から不動滝を見ました

 三段の滝の一段目でしょうか

 南西側からケヤキを見ました、目通り幹囲約5mの大木です

 南東側から不動滝です

  
 タチツボスミレです

 では、次へ行きましょう

 2023年5月5日午前7時45分訪問です
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富山県砺波市、広上町「けやき公園・出町の大ケヤキ」(保存樹)です!!

2023-06-10 12:35:00 | 巨樹・大木
 広上町は、砺波市役所の南西約2kmのところ

 砺波市役所から国道156号線を南へ直ぐの栄町信号を右(西)へ入ります

 すぐ先の栄町西信号を左(南)へ、県道20号線です、約700mで斜め右へ、


 約900mで道路左側に「出町けやき公園」があり

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 北側から見ました、大きなケヤキが立ています

 西側から

 説明版です
   出町の大ケヤキ(砺波市保存樹)
     二レ科落葉高木
     幹周り約6.6m
     幹直径約2.1m
     樹高 約30m
     樹齢 約500年
 今から約500年前の室町時代には、このケヤキの西側に庄川の一支流である中村川が、時には河幅100m程にもなって流れており、ケヤキは行き来する人の大切な目印になっていたという。
 また、この樹の周辺水が淀んでいつしか船の渡し場なっていたとも伝えられる。
 慶安2年(1649年)、杉木村二郎兵衛らが杉木新町を開き、後にこの大ケヤキの周辺が町の共同墓地となった。
 寛政9年(1797年)に墓地の入口に杉木新町若連中の手で六体地蔵堂が建てられており、旧町名の「地蔵町」はこれに因んだ。
 西にあった中村川は、江戸時代に入って治水工事がすすむと、締切られて廃川地は開拓され、貞享2年(1685年)に長さ4kmに及ぶ細長い鷹栖出村が誕生した。
 安政3年(1856年)4月15日、加賀藩主13代前田斉泰公の大名行列が江戸からの帰国途中に城端善徳寺にお立寄りの際、西町鷹栖屋甚兵衛でご休憩の後、この樹の下を通って福野へ向かわれてのであった。
 明治21年(1888年)出町、津沢間の道路改修にあたり大ケヤキの北に道路が新設されて、共同墓地は現在地は現在地に移転したが、大正時代までこの大ケヤキを中心にして付近に大小多数のケヤキが繁って大きな森となり、四季を通じて鳥の楽園であった。
 砺波散居村の500年の歴史を語る生き証人は、いま出町では唯一この大ケヤキあるのみである。
 なお、この公園は平成15年度まちづくり総合支援事業「出町大けやき公園」建設工事により整備された。
    平成16年3月  334ⅠⅮ地区第2R第3z・となみセントラルライオンズクラブ

 
 西南西側から


 南側から

 大きな出町上水道記念碑があります
   出町上水道記念碑
 産業を振興し民福を増進せんと欲せば、須らく先ず保険防火の施設を為さざるべからず、項日出町長永井加悦氏来り語て曰く、我町古来井水に乏しく、町民皆灌漑用水の末流を飲用せり、是を以て積潦時に横溢し泥沙或は溷濁して、連日共用を絶つに至ることなり。
 殊に悪疫流行の際には、蔓衛尤も甚しく死者相継ぎ、為に生を傷り産を害せしこと蓋し幾何なるを知らず。
 我町有志風に此を患へ、上水道敷設の議を倡へ、大正2年始て設計に着手し、同7年、時の町長神澤新右衛門氏、最も其急を認め、工費7萬圓の豫算を以て町会に諮り、一致の協賛を得たり。
 越えて9年規模を拡張して11萬1千圓に増加し、翌10年4月工を起し、11年更に5千圓を追加し、12年8月通水し、13年4月18日を以て竣工式を挙行せり。
 其間の経営苦辛固より尠からざりしも、町民皆能く恩して其成を楽に遂に、地方未曽有の享業を完成するを得たり。縣郡其費を補助し、政府又国努を賜ふ仍て石を建て之記せんと欲し、題額は我町と縁故ある大阪商舩会社長従五位勲三等堀啓次郎翁に請へり、子幸に記するあれと余惟ふに、出町の東西両砺波郡の中央に位し、四達の要路に当るを以て、藩政時代には郡奉行所あり、明治維新後亦長く郡役所を置かれ、現に区裁判所・税務署・警察署竝に技芸女学校等あり、鉄道貫通して百貨輻湊し、市街殷賑自ら南砺文化の中心地なり、今や上水道の設備完成して衛生保健の安固と、水利防火の便益とを得挙町頼て以て生を・んし、業を励は将来の進展期して竣のべきなり。此の洵に地方の慶事にして宣く其範を胎し其功を傳ふべし。
 余議学非才を以て職を砺波中学校に捧ぐ、出町に朝夕なること20年町勢の隆昌を聞観し有志と相識る深し昌に離するを得ん乃ち銘して曰く
 闔郷戮力 巨費肇工 北陸嚆矢 道通誦功 浄水混混 戸給路通 綏生黴災 恵澤無窮 官弊助成 貞珉績祟 
   昭和3年戌辰秋10月      富山県立砺波中学校教諭正七位 吉波彦作 撰
                   尋常高等小学校長正七位勲八等 岡田直䡄 書

*戦前の文章は、読めない文字が多すぎますね~


 北東側から
  

 幹を西側から見上げました

 南側からの太い幹です

 では、次へ行きましょう

 2023年5月4日午後3時50分訪問です
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富山県砺波市、鹿島「鹿島神社のスギ」(保存樹)です!!

2023-06-10 06:43:00 | 巨樹・大木
 鹿島地区は、砺波市役所の南約4kmのところ

 砺波市役所から国道156号線を南へ道成りに進みます

 約4,1kmの五郎丸信号を右(西)へ、南砺スーパー農道です

 約900mで鹿島信号を左(南東)へ、間も無く右手の住宅の陰に、鹿島神社の社號標が有ります

 参道入口です

 入口傍の道路脇に車を止めさせて頂きました

 鹿島神社の社號標です

 一之鳥居です

 ニノ鳥居です

 神橋を渡ると鹿島神社境内です、正面に拝殿です

水盤です

 参道左手境内のスギです

 太めのスギが二本あります

 右のスギが指定第22号です

 左が指定23号です  


 社殿の右(北)側に目的のスギです



 本殿覆い屋です

 西側から見上げました

 保存樹表示版です
   砺波市保存樹
 1所在地  砺波市鹿島37
 2樹種   スギ
 3所有者(管理者) 鹿島神明社
 4指定番号 平成6年3月 保存樹指定第21号
 5指定基準 砺波市花と緑のまちづくり条例施行規則 第4条第1項第1号該当
    砺波市

 *所有者(管理者)には「鹿島神明社」となっていますが、富山県神社庁のホームページでは「鹿島神社」となっています


 拝殿前(南東側)から

 東側から、目通り幹囲5.1mの巨木です


 スギの頂上に大きなアオサギがいます


 更に飛んでいる個体が二羽いました

 足元には薄青色の卵の殻が落ちています、周りはフンだらけでした

 では、次へ行きましょう

 2023年5月4日午後3時30分訪問です
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