ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

新潟県五泉市、中川新~大須郷「菅名岳新江川北沢登山道のカツラ」です!!

2023-06-14 18:31:44 | 巨樹・大木
 中川新地区は、五泉市役所の南東約6kmのところ

 五泉市役所の西側の通りを南へ、約600mの信号を斜め左(南東)へ

 約300mで県道436号線に合流して東へ、道成りに4,4kmで国道290号線の信号を右(南)へ

 約1.1kmで国道が右へカーブするところを真っ直ぐに進みます

 約1.5kmで泉水の里の菅名岳登山口の駐車場に入りました

 駐車場の案内図です、どっぱら清水の奥に最終目的の大トチが表示されています

 登山届を書いて入れて行きましょう、午前6時25分出発です

 杉林の林道を進みます

 大蔵尾根登山道の分岐です、大蔵尾根へは途中が土砂崩れの為通行禁止になっています

 三五郎橋の分岐です、大蔵尾根へはこちらから回れるようです

 橋を渡って砂防ダムの脇を上り切ると

 水場です、駐車場からは35分ほど、休むにはまだ早いですね


 土砂崩れの跡です、綺麗に片付けられています

 林道はここまでです

 注意書きです、沢床に入ってはいけません

 三五郎山国有林です

 山路になりました

 沢を板橋で渡ります

 最終の砂防ダムです

 午前7時25分、ロープが張られた丸山尾根への菅名岳登山道分岐です

 更に沢沿いを先へ進みます

 登山道はトチノキの根方を巻いて行きます

 対岸にはカツラの木です

 また沢を渡ります

 沢沿いにはカツラの木が目立ってきました

 登山道にカツラの大木です

 上流側から見ました、目通り幹囲5m程です

 すぐ先の、右手には最初の目的のカツラの巨木です


 目通り幹囲8.6mだそうです


 間も無く、どっぱら清水への分岐の案内板が見えて来ました、午前7時55分駐車場から1時間半です

 少し長く成りましたので、次回に続きます 
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新潟県五泉市、蛭野「慈光寺参道のスギ並木(後半)慈光寺まで」(県指定)です!!

2023-06-14 06:32:28 | 巨樹・大木
 続きです、龍神杉から先へ進みます


 龍神杉前から参道を進みました、また橋が見えて来ます

 橋を渡った所に参道では珍しい、目通り幹4.55mとされる捻じれたスギの大木です

 日光地蔵さまです

 西国三十三観音の石仏が並びます


 石段の上に鳴滝不動尊です 

 不動堂です

 説明版です
   鳴滝不動尊
 当山の鳴滝不動尊は、江戸時代より明治、大正、昭和にかけて多くの庶民の信仰を集めてきました。特に明治24年7月、時の蓮池孝太郎、藤田丈五郎、田沢要蔵氏等が新たに青銅の不動明王を安置するに際しては、多くの信者の方により善の綱を手に行列を組んで慈光寺まで運ばれたことが伝えられています。当時の御堂は、現在地より100mほど登った高台にありましたが、現堂宇は、昭和42年の土砂災害により移したものです。
 不動とは動かざるもにに意で、菩提心が堅固で揺るぎない智慧を有していることを示しております。シバ神の化身とも言われ、大日如来の使者として現世に遣わされ、往古より日本各地に霊場が拡まり、日常の生活の中に溶け込み栄えてきました。力強く逞しいお不動様のお姿に象徴されるように、威厳のある厳しさ、その中に秘められている優しさと慈悲の心に親しみ深いものがあり、仏道に目ざめない者を導き、救済する役目を担っています。
  例祭  7月1日(金抜き朔日)
  縁日  毎月 28日
  守り本尊  酉年生まれ
  真言  ノウマク サ マ ンダ バ ザラ ダン セ ンダ マ カ ロ シャ ダ ソワ タ ヤ ウン タラ タ カン マン
  ご利益 笑福除災 諸魔退散 事業繁栄 諸願成就

 石段の脇の目通り幹囲4.7mとされるスギの大木です


 やすらぎ地蔵尊です

 慈光寺の建物が見えて来ました

 菊水橋を渡ると・・・

 石仏と六地蔵様の様です、後ろ側には目通り幹囲4.75mとされるスギの大木です

 国登録有形文化財の標柱です

 説明版です
   国登録有形文化財
    慈光寺
       所在地 五泉市蛭野870
       登録年月日 平成24年2月23日
 慈光寺は霊峰白山の麓に座する曹洞宗の古刹です。創立年代は明らかではありませんが、古くから白山信仰の中心地であったと考えられています。応永10年(1403)頃、南北朝時代の武将・楠木正成の直系である桀堂能勝禅師によって中興開山され、その後江戸時代には曹洞宗の越後四ヶ道場の一つとして繁栄しました。
 慈光寺には伽藍の中心となる本堂をはじめ、北側には禅堂及び衆寮、南側には庫裏、東司・浴司、経蔵があり、山門から南北に延びる回廊は、本堂、庫裏、禅堂及び衆寮の土間として取り込まれるという造りになっています。
 これらの建物は、宝暦5年(1755)の火災で焼失してから再建されたもので、本堂は宝暦13年(1763)、庫裏は宝暦9年(1759)、禅堂及び衆寮、山門、回廊、経蔵は江戸時代後期の建築です。現在も建築当時の姿を保っており、新潟県下でも回廊を残す曹洞宗寺院は稀であると同時に、最も整った七堂伽藍を持つ大変貴重な寺院です。
 本堂、庫裏、禅堂及び衆寮、経蔵、山門、回廊の6件が国登録有形文化財となっています。

 山門前石段を上ります

 六地蔵様の後ろに在った杉の大木を石段中段から見ました

 山門前のスギの大木です

 一本は上部が欠けてしまっています

 山門です


 立春大吉と鎮防火蠋の札が付けられています

 登録文化財のプレートです

 説明版が山門下にもありました

 正面に本堂です

 左手には禅堂及び衆寮です

 右手には庫裏と手前側に東司と浴司です

 伝説の国むらまつ
   白山と大蛇
 応永年間(1394~1428)のこと、白山の奥地の池に住んでいた大蛇が、暴れて村人を困らせていたのを、桀堂和尚の読経によって、大蛇は俗世の苦しみから救われ、池を埋めて立ち去りました。池の跡に現在の慈光寺を建立したと言われております。
 大蛇は能代川を下って新潟の白山神社まで来て息絶えました。今でも、大蛇が楓にしっぽを巻き一休みのとき使った石枕が「蛇枕石」として境内に残っています。
   越後村松 桜藩塾

 では、参道を戻って次へ行きましょう
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