北俣木野芽坂地区は、酒田市役所の東北東約20km、酒田市役所平田総合支所の北東約12kmのところ
酒田市役所平田総合支所から、県道40号線から県道365号線そして県道362号線と相沢川に沿う様に進みます
約11kmで愛澤川の谷(北俣)へ入って行くと、総合支所から約12.7kmで道路が一車線にかわります

総合支所から約13.3kmで県道右手すぐ下側に愛澤神社が鎮座します
この先は峠を越えて北青沢に出るようになります
すぐ先の県道脇に、
車を止めさせて頂きました

南西向きに参道入口です

橋を渡って


鳥居です

邨(村)社 愛澤神社の社號標です

説明版です
酒田市指定文化財(天然記念物)
愛澤神社境内の杉
康平年中(1058~1065)、奥州から移り住んだ阿倍(阿部)一族が、別当として一山を支配し大いに権勢を奮ったといわれるように、往時宿坊三千と称された鷹尾山奥の院として信仰の厚かった霊地、愛澤神社境内に生育しています。
指定時の調査では樹周が4.72m(目通り)、樹高はおよそ42m、樹齢400年と推定され、通直性・樹冠状況等の品性も優れており、天然記念物に指定されております。
平成9年3月12日指定
平成21年10月 酒田市教育委員会



太い幹が見えて来ました



目的のスギです

社殿です

由来説明版です
愛澤神社由来
愛澤大権現と称し鷹尾山奥の院なり、創始詳しからざるも新撰風土記に、欽明帝12年4月(538)鎮座、天平宝字中兵乱の為衰微せしを、嵯峨帝弘仁中(810)空海中興すとある。
康平中奥州磐井五郎安倍家任の一族安部盛任父子出羽に逃れ来り、鷹尾山別当宝蔵寺に投し、子孫同山に住し武藤の幕下に属し威を山内に振るいしが、孫頼尚天正19年12月28日東禅寺城主甘粕備後守に襲われ、鷹尾山愛澤一山悉く滅亡、頼保弟宗治、忠重及一族郎党(高橋、秋田、荒尾、浅井、熊澤)と共に青澤越より鳥海山の東嶺より仙乏(現秋田県雄物川町)に逃げるも、元和元年父租の故郷を慕い来り、時機を窺い愛澤別当の再興せんと欲し鹿島に住す。(安部午之輔系図)
愛澤大権現縁起(田澤不動院蔵)に依れば、天正19年一山没落の後ち、北俣の修験不動院之に奉仕し、寛政中同院田澤に移住し、胎蔵山を掌り兼ねて当山をも支配せしが中村智性坊(現南蔵院)に譲興すとある。
愛澤大権現縁起末社附之事
北俣ノ内
1 鹿島大明神(同社の地に四国33札所観音各勧請、神木凡一千命)
1 観音堂(吉ケ澤) 1 牛頭天王(吉ケ澤) 1 地蔵堂(加茂村) 1 観音堂(本宮)
1 不動堂(円道) 1 千手観音(山楯郷山谷)
1 正観音堂(中ノ俣遠能寺、本尊慈覚大師御作) 1 上品阿弥陀堂(上北目村)
1 中品阿弥陀堂(中北目村) 1 上品上住阿弥陀堂(下餅山村)
1 毘沙門堂(下餅山村) 1 下品阿弥陀堂(上餅山村)
1 中品上住阿弥陀堂(石那坂村) 1 白山妙理大権現(小見村) 1 薬師堂(・・村)
1 薬師堂(郡山村) 1 阿弥陀如来堂(中野目村)
此本尊元来鷹尾山菩提寺の本尊にしかして春日大明神の御製作なり今中野目に立給なり
以上18ケ所
平成7年5月5日祭礼日之記 鷹尾山愛澤神社研究会



社殿前から



北側から

宝物庫でしょうか

大きな石碑ですが文字が分かりません

もう一つにはお不動様が彫られています
では、次へ行きましょう

では、次へ行きましょう
では、次へ行きましょう
酒田市役所平田総合支所から、県道40号線から県道365号線そして県道362号線と相沢川に沿う様に進みます
約11kmで愛澤川の谷(北俣)へ入って行くと、総合支所から約12.7kmで道路が一車線にかわります

総合支所から約13.3kmで県道右手すぐ下側に愛澤神社が鎮座します

この先は峠を越えて北青沢に出るようになります
すぐ先の県道脇に、


南西向きに参道入口です


橋を渡って



鳥居です


邨(村)社 愛澤神社の社號標です


説明版です
酒田市指定文化財(天然記念物)
愛澤神社境内の杉
康平年中(1058~1065)、奥州から移り住んだ阿倍(阿部)一族が、別当として一山を支配し大いに権勢を奮ったといわれるように、往時宿坊三千と称された鷹尾山奥の院として信仰の厚かった霊地、愛澤神社境内に生育しています。
指定時の調査では樹周が4.72m(目通り)、樹高はおよそ42m、樹齢400年と推定され、通直性・樹冠状況等の品性も優れており、天然記念物に指定されております。
平成9年3月12日指定
平成21年10月 酒田市教育委員会



太い幹が見えて来ました




目的のスギです


社殿です


由来説明版です
愛澤神社由来
愛澤大権現と称し鷹尾山奥の院なり、創始詳しからざるも新撰風土記に、欽明帝12年4月(538)鎮座、天平宝字中兵乱の為衰微せしを、嵯峨帝弘仁中(810)空海中興すとある。
康平中奥州磐井五郎安倍家任の一族安部盛任父子出羽に逃れ来り、鷹尾山別当宝蔵寺に投し、子孫同山に住し武藤の幕下に属し威を山内に振るいしが、孫頼尚天正19年12月28日東禅寺城主甘粕備後守に襲われ、鷹尾山愛澤一山悉く滅亡、頼保弟宗治、忠重及一族郎党(高橋、秋田、荒尾、浅井、熊澤)と共に青澤越より鳥海山の東嶺より仙乏(現秋田県雄物川町)に逃げるも、元和元年父租の故郷を慕い来り、時機を窺い愛澤別当の再興せんと欲し鹿島に住す。(安部午之輔系図)
愛澤大権現縁起(田澤不動院蔵)に依れば、天正19年一山没落の後ち、北俣の修験不動院之に奉仕し、寛政中同院田澤に移住し、胎蔵山を掌り兼ねて当山をも支配せしが中村智性坊(現南蔵院)に譲興すとある。
愛澤大権現縁起末社附之事
北俣ノ内
1 鹿島大明神(同社の地に四国33札所観音各勧請、神木凡一千命)
1 観音堂(吉ケ澤) 1 牛頭天王(吉ケ澤) 1 地蔵堂(加茂村) 1 観音堂(本宮)
1 不動堂(円道) 1 千手観音(山楯郷山谷)
1 正観音堂(中ノ俣遠能寺、本尊慈覚大師御作) 1 上品阿弥陀堂(上北目村)
1 中品阿弥陀堂(中北目村) 1 上品上住阿弥陀堂(下餅山村)
1 毘沙門堂(下餅山村) 1 下品阿弥陀堂(上餅山村)
1 中品上住阿弥陀堂(石那坂村) 1 白山妙理大権現(小見村) 1 薬師堂(・・村)
1 薬師堂(郡山村) 1 阿弥陀如来堂(中野目村)
此本尊元来鷹尾山菩提寺の本尊にしかして春日大明神の御製作なり今中野目に立給なり
以上18ケ所
平成7年5月5日祭礼日之記 鷹尾山愛澤神社研究会



社殿前から




北側から


宝物庫でしょうか


大きな石碑ですが文字が分かりません


もう一つにはお不動様が彫られています

では、次へ行きましょう


では、次へ行きましょう
では、次へ行きましょう