市原市のJR内房線八幡宿駅から戻ります
内房線の終点は千葉駅です、ここで総武線に乗り換えます
総武線は快速と各駅停車のホームが違います、いつも快速は混んでいますので
途中まで快速を利用する方が早いのですが、目的の本八幡駅まで急がずに行きましょう

総武線本八幡駅北口を出ました
ロータリーを回って北へ進み、国道14号線本八幡駅前信号を右(東)へ進みます
間も無く歩道橋が見えて来ます、手前が

葛飾八幡宮の参道です

社號標です

歩道脇に大きな由緒説明版が有ります
下総国総鎮守 葛飾八幡宮
御由緒
御祭神 誉田別命(応神天王)・息長帯姫命(神功皇后)・玉依比売命
御沿革 当宮の御創建は平安の昔(寛平年間)、宇多天皇の勅願により、下総国総鎮守八幡宮として御鎮座。
以来歴朝の御崇敬あつく、代々の国司郡司を始め国民の信仰ふかく、当国における葛飾文化・八幡信仰の中心となり、なかでも平将門の献弊、源頼朝の改築・太田道灌の修覆・徳川家康の神領御朱印地52石の寄進等顕著な御社歴がある。
今の御社殿は、大正2年に改築され、大正8年・昭和26年・昭和59年4月執行の三十三周年式年大祭に、修築整備されたものである。
御神徳 文教の祖神・産業振興・殊に農漁業の守護神・厄除開運・安産育児・縁結びの守り神等の御神徳を有せられる。
御社宝 神木千本公孫樹(国指定天然記念物)
不知八幡森 (国指定保安林)
元享の銅鐘 (県指定文化財)
随身門 (市指定文化財)
御例祭 9月15日(農具市20日まで)

参道を進みます
、赤い信号は京成本線の踏切に電車が迫っている合図です(電車を撮影できませんでした)

赤い市指定文化財の随身門が見えて来ます

説明版です
市指定有形文化財
随神門 1棟 指定 昭和35年10月7日
随神門は木造で、正面柱間3間、奥行き柱間2間の八脚門と呼ばれる構造形式をもち、丹塗で桁行10.36m、梁行4.45mあります。
柱や梁、軒を支える組物に特色があることなどから昭和35年(1960年)に市川市に市指定有形文化財に指定されています。
江戸時代、天台宗上野寛永寺の末寺、八幡山法漸寺が八幡宮を管理していました。そのため法漸寺に関わって、仁王像の置かれた仁王門がありましたが、明治維新の神仏分離によってこの仁王像は行徳の徳願寺に移され、新たに葛飾八幡宮の随神門となりました。
現在は随神として左大臣と右大臣が配されております。随神は随身とも書きます。貴人の護衛役で、弓矢と剣を持っています。随身門は寺院の仁王門にならったともいわれています。
このほかに随身門の特色として、柱や梁、軒を支える組物に太い部材が使われていることが挙げられます。かえる股も巨大であり、その内部には雲に龍、竹に虎などの彫刻がはめ込まれています。
屋根は単層茅葺の構造を持った切妻型でしたが、昭和54年(1979年)の改修により銅板葺になりました。また、屋根などの腐朽が著しくなったため、平成13年(2001年)2月から14年(2002年)8月にかけて修理が行われました。
この修理を機に正面の随神も化粧直しをし、背面には新たに白い神馬と四神(玄武・朱雀・青龍・白虎)が置かれました。
(平成28年9月 塗替え修復工事竣工)
【仁王像について】
徳願寺にある仁王像(阿形像と吽形像)の体内から、平成17年(2005年)頃に行われた修復の際に発見された銘札には、「明治14年(1881年)9月」「徳願寺28世」のときに、阿形像は「佛師 関嶌茂三郎」が、吽形像は「佛師 浅子周慶」が修復した旨が記されています。
このことにより、この仁王像は明治14年(1881年)にはすでに徳願寺に移されていたと考えられます。
また、吽形像からは「天保10年(1839年)」に「八幡山23世法印権大僧都良山」のときに修理した旨の記された、銘札も発見されました。このことから天保10年(1839年)の頃はまだ法漸寺に安置されていたことが窺えます。
平成29年1月 市川市教育委員会

更に参道を進みます

神門です

神門前右手に説明版です、参道入口の由緒書きより詳しく書かれています

門を入ると手水舎です

手水舎の東側には鐘楼です
、鐘楼の前には力石や頼朝公駒どめの石等が並んでいます

拝殿前には、こちらも茅の輪が設置されています

拝殿左手(西側)に神楽殿です、大きな絵馬が掛けられています

本殿です

県指定文化財・元享の銅鍾の説明版です、寛政5年境内のケヤキの大樹が暴風で倒れた際に、根株から出土したと記されています



本殿東に目的の千本公孫樹を南側から見ました、イチョウを背に記念写真を撮る参拝客が多数見られました

国指定天然記念物標柱です

説明版です
国指定天然記念物
千本公孫樹
千本公孫樹は葛飾八幡宮の御神木として代々大切に保護されてきた樹木で、推定樹齢は1200年を超えると言われています。
かつての落雷によって地上6m程の高さで幹が折れましたが、その後、その周囲から伸びた多くのひこばえ(萌芽)が成長したことで、今のような樹形になったと言い伝えられています。
千本公孫樹の名も、多数の幹が寄り集り、まるで一本の大樹が根元から伸びているゆに見えることに由来します。
根回り10.2m、目通り(人間の目の高さ)10.8m(*文化財指定時の記録)で、根回りより目通りの方が太くなっているのも特徴の一つです。
公孫樹には雄株と雌株がありますが、この樹は雄株のため実はつけません。
千本公孫樹は昭和6年2月20日に現在の市川市域(当時は八幡町)において初めて国指定天然記念物に指定されました。
文化庁 文化財多言語解説整備事業
*スマホで二次元コードを読み込むと、英語・韓国語・中国語での解説が聞けるようです



東側から



北側から見上げました

境内東側には神輿舎です

説明版です
では、次へ行きましょう

内房線の終点は千葉駅です、ここで総武線に乗り換えます
総武線は快速と各駅停車のホームが違います、いつも快速は混んでいますので
途中まで快速を利用する方が早いのですが、目的の本八幡駅まで急がずに行きましょう

総武線本八幡駅北口を出ました

ロータリーを回って北へ進み、国道14号線本八幡駅前信号を右(東)へ進みます
間も無く歩道橋が見えて来ます、手前が

葛飾八幡宮の参道です


社號標です


歩道脇に大きな由緒説明版が有ります
下総国総鎮守 葛飾八幡宮
御由緒
御祭神 誉田別命(応神天王)・息長帯姫命(神功皇后)・玉依比売命
御沿革 当宮の御創建は平安の昔(寛平年間)、宇多天皇の勅願により、下総国総鎮守八幡宮として御鎮座。
以来歴朝の御崇敬あつく、代々の国司郡司を始め国民の信仰ふかく、当国における葛飾文化・八幡信仰の中心となり、なかでも平将門の献弊、源頼朝の改築・太田道灌の修覆・徳川家康の神領御朱印地52石の寄進等顕著な御社歴がある。
今の御社殿は、大正2年に改築され、大正8年・昭和26年・昭和59年4月執行の三十三周年式年大祭に、修築整備されたものである。
御神徳 文教の祖神・産業振興・殊に農漁業の守護神・厄除開運・安産育児・縁結びの守り神等の御神徳を有せられる。
御社宝 神木千本公孫樹(国指定天然記念物)
不知八幡森 (国指定保安林)
元享の銅鐘 (県指定文化財)
随身門 (市指定文化財)
御例祭 9月15日(農具市20日まで)

参道を進みます



赤い市指定文化財の随身門が見えて来ます


説明版です
市指定有形文化財
随神門 1棟 指定 昭和35年10月7日
随神門は木造で、正面柱間3間、奥行き柱間2間の八脚門と呼ばれる構造形式をもち、丹塗で桁行10.36m、梁行4.45mあります。
柱や梁、軒を支える組物に特色があることなどから昭和35年(1960年)に市川市に市指定有形文化財に指定されています。
江戸時代、天台宗上野寛永寺の末寺、八幡山法漸寺が八幡宮を管理していました。そのため法漸寺に関わって、仁王像の置かれた仁王門がありましたが、明治維新の神仏分離によってこの仁王像は行徳の徳願寺に移され、新たに葛飾八幡宮の随神門となりました。
現在は随神として左大臣と右大臣が配されております。随神は随身とも書きます。貴人の護衛役で、弓矢と剣を持っています。随身門は寺院の仁王門にならったともいわれています。
このほかに随身門の特色として、柱や梁、軒を支える組物に太い部材が使われていることが挙げられます。かえる股も巨大であり、その内部には雲に龍、竹に虎などの彫刻がはめ込まれています。
屋根は単層茅葺の構造を持った切妻型でしたが、昭和54年(1979年)の改修により銅板葺になりました。また、屋根などの腐朽が著しくなったため、平成13年(2001年)2月から14年(2002年)8月にかけて修理が行われました。
この修理を機に正面の随神も化粧直しをし、背面には新たに白い神馬と四神(玄武・朱雀・青龍・白虎)が置かれました。
(平成28年9月 塗替え修復工事竣工)
【仁王像について】
徳願寺にある仁王像(阿形像と吽形像)の体内から、平成17年(2005年)頃に行われた修復の際に発見された銘札には、「明治14年(1881年)9月」「徳願寺28世」のときに、阿形像は「佛師 関嶌茂三郎」が、吽形像は「佛師 浅子周慶」が修復した旨が記されています。
このことにより、この仁王像は明治14年(1881年)にはすでに徳願寺に移されていたと考えられます。
また、吽形像からは「天保10年(1839年)」に「八幡山23世法印権大僧都良山」のときに修理した旨の記された、銘札も発見されました。このことから天保10年(1839年)の頃はまだ法漸寺に安置されていたことが窺えます。
平成29年1月 市川市教育委員会

更に参道を進みます


神門です


神門前右手に説明版です、参道入口の由緒書きより詳しく書かれています


門を入ると手水舎です


手水舎の東側には鐘楼です



拝殿前には、こちらも茅の輪が設置されています


拝殿左手(西側)に神楽殿です、大きな絵馬が掛けられています


本殿です


県指定文化財・元享の銅鍾の説明版です、寛政5年境内のケヤキの大樹が暴風で倒れた際に、根株から出土したと記されています




本殿東に目的の千本公孫樹を南側から見ました、イチョウを背に記念写真を撮る参拝客が多数見られました


国指定天然記念物標柱です


説明版です
国指定天然記念物
千本公孫樹
千本公孫樹は葛飾八幡宮の御神木として代々大切に保護されてきた樹木で、推定樹齢は1200年を超えると言われています。
かつての落雷によって地上6m程の高さで幹が折れましたが、その後、その周囲から伸びた多くのひこばえ(萌芽)が成長したことで、今のような樹形になったと言い伝えられています。
千本公孫樹の名も、多数の幹が寄り集り、まるで一本の大樹が根元から伸びているゆに見えることに由来します。
根回り10.2m、目通り(人間の目の高さ)10.8m(*文化財指定時の記録)で、根回りより目通りの方が太くなっているのも特徴の一つです。
公孫樹には雄株と雌株がありますが、この樹は雄株のため実はつけません。
千本公孫樹は昭和6年2月20日に現在の市川市域(当時は八幡町)において初めて国指定天然記念物に指定されました。
文化庁 文化財多言語解説整備事業
*スマホで二次元コードを読み込むと、英語・韓国語・中国語での解説が聞けるようです



東側から




北側から見上げました


境内東側には神輿舎です


説明版です

では、次へ行きましょう

