中山法華経寺の道を挟んだ南東側に駒形堂という石塔が二基並んだ小さな御堂が有ります
祖師堂正面の駐車場入り口から出ます

直ぐ目の前に目的のイチョウの大木が見えます

駒形堂です、石塔には馬頭観音の文字が見えます



北西側から

大本山中山史蹟 六老僧 日頂聖人之泣公孫樹の石碑が建ちます

説明版です
大本山中山史跡
泣公孫樹と六老僧日頂聖人
今を去ること約730年前の弘安7年(1284)秋、この事はこの地にて惹起された。
宗祖日蓮大聖人から最も信頼を得ていた、千葉氏の被官であり、若宮の領主富木常忍公の義子である、六老僧伊予阿闍梨日頂聖人が、宗祖の第参回忌法要に遅参したことであった。
宗祖の葬儀記録である、「宗祖御遷化記録」や「墓所番帳」に日頂聖人の名が見えず、「他行」とのみ他筆されている。これは化他行のことで、他宗徒相手の弘通問答取り組中であったということである。
更に、この度の若宮遅参、常忍公は日頂聖人の宗祖に対する非礼を責め、遂に聖人を義絶勘当されたと伝えられる。
日頂聖人は、深く侘びたるも詮方藎き、泣きながらこのい公孫樹の回りを、「此経難事 若暫持者・・・」と、、法華経見宝塔品の偈文を唱えて廻り、許しを請いながら立ち去って行ったという。
それ以来、中山門流の寺々では、宝塔偈不読という伝統になっております。そしてこの「泣き公孫樹」悲話は、中世より遺訓として、「師厳道尊」という言葉に置き換えられて、現在にいたっているのです。
平成28年4月27日
澄聖大遠忌之砌 大本山 中山法華経寺



西側から、目通り幹囲7.5m、樹高20mの巨木です



南西側から見ました
では、埼玉へ帰りましょう

中山法華経寺の参道を真っ直ぐに下って行きます
京成本線中山駅を通り過ぎ、国道14号線の信号を渡ると、間も無くJR総武本線下総中山駅です
千葉方面へ一駅で西船橋駅です、武蔵野線に乘り替えて戻りました
祖師堂正面の駐車場入り口から出ます


直ぐ目の前に目的のイチョウの大木が見えます


駒形堂です、石塔には馬頭観音の文字が見えます




北西側から


大本山中山史蹟 六老僧 日頂聖人之泣公孫樹の石碑が建ちます


説明版です
大本山中山史跡
泣公孫樹と六老僧日頂聖人
今を去ること約730年前の弘安7年(1284)秋、この事はこの地にて惹起された。
宗祖日蓮大聖人から最も信頼を得ていた、千葉氏の被官であり、若宮の領主富木常忍公の義子である、六老僧伊予阿闍梨日頂聖人が、宗祖の第参回忌法要に遅参したことであった。
宗祖の葬儀記録である、「宗祖御遷化記録」や「墓所番帳」に日頂聖人の名が見えず、「他行」とのみ他筆されている。これは化他行のことで、他宗徒相手の弘通問答取り組中であったということである。
更に、この度の若宮遅参、常忍公は日頂聖人の宗祖に対する非礼を責め、遂に聖人を義絶勘当されたと伝えられる。
日頂聖人は、深く侘びたるも詮方藎き、泣きながらこのい公孫樹の回りを、「此経難事 若暫持者・・・」と、、法華経見宝塔品の偈文を唱えて廻り、許しを請いながら立ち去って行ったという。
それ以来、中山門流の寺々では、宝塔偈不読という伝統になっております。そしてこの「泣き公孫樹」悲話は、中世より遺訓として、「師厳道尊」という言葉に置き換えられて、現在にいたっているのです。
平成28年4月27日
澄聖大遠忌之砌 大本山 中山法華経寺



西側から、目通り幹囲7.5m、樹高20mの巨木です




南西側から見ました

では、埼玉へ帰りましょう


中山法華経寺の参道を真っ直ぐに下って行きます
京成本線中山駅を通り過ぎ、国道14号線の信号を渡ると、間も無くJR総武本線下総中山駅です
千葉方面へ一駅で西船橋駅です、武蔵野線に乘り替えて戻りました
