ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

愛知県岡崎市、舞木町宮下「徳川家康ゆかりの山中八幡宮(市指定文化財所蔵)」です!!

2023-02-05 06:33:41 | 文化財・樹木
 舞木町宮下地区は、岡崎市役所の南東約8kmのところ

 国道1号線を南東へ進みます、舞木町西信号を右(南西)へ入り丁字路を右へ


 境内入口です


 鳥居です

 山中八幡宮の社號標です

 境内案内図です

 「山中八幡宮のクスノキ」を右に見て、参道を進みましょう

 井戸のようです


 石段を登り切ると、参道は右に曲がります

 ニノ鳥居です

 霊木「オガタマノキ」です


 「鳩ヶ窟」この奥の洞窟に家康公が隠れたようです

*永禄三年(1560)の桶狭間合戦後、松平元康(徳川家康)は岡崎城を拠点に三河統一を目指します。しかしその直後、三河一向一揆が勃発(永禄6年)。元康(家康)は局地戦で敗走し、山中八幡宮の洞窟へ逃げ込みました。
 一揆勢も山中八幡宮まで押し寄せ、境内を調べているうちに洞窟を見つけます。そこで中を調べようとしていたその時、なんと洞窟の中から鳩が2羽飛び出してきたのです。
 これを見た一揆勢の兵は『もし中に人がいるなら鳩がいるわけがない』といって、洞窟の中を調べずに立ち去って行きました。その後、三河一向一揆を鎮圧した元康(家康)は、この時の事を忘れず、山中八幡宮を手厚く保護したのでした。
*ネットの「ゼロからはじめる愛知の城跡と御朱印、戦国史跡巡り講座」から一部抜粋です
  「徳川家康公御開運の鳩ヶ窟」と呼ばれるようになったとか


 石段上に神門です

 手水舎です

 参道左手に「御開運竹」です

 説明版です
  御開運竹
 永禄6年(1563)一向一揆の折、徳川家康公鳩ヶ窟において難を逃れ神前に開運を祈り、矢をこのところに挿し退下せり。
 この矢、根芽を生じ育成せりと伝う。この竹のこを生ず。


 参道右手には、開運竹より細い竹(矢竹か?)です。開運竹の言い伝えは、こちらの竹の事かもしれませんね~

 境内はヒメハルゼミの生息地です、説明版です
  岡崎市指定文化財 山中八幡宮
天然記念物 山中八幡宮のヒメハルゼミ生息地
 山中八幡宮の常緑照葉樹林には、太古からの生き残りのヒメハルゼミが発生している。
 ヒメハルゼミは、体調25~30mmほどで羽は透明、緑褐色に黒条のある小型の暖地系のセミである。
 7月上旬から8月上旬頃にかけて現れ、木の梢の方いいて、夕方に最初の1匹が鳴き始めると、あとの雄は一斉に集団で大合唱する。
 市街地の近くに、このようなセミの発生地と森があることは、郷土の貴重な遺産である。いつまでも、このセミが生活できる自然環境を護って行きたいものである。
   昭和57年9月8日指定
     岡崎市教育委員会  


 拝殿です、綺麗に管理されています。

 本殿です

 住吉社です(境内案内図にお名前が有りました)

 神明社です

 神明社の右側から奥宮へ行きましょう

 奥宮です、玉垣の中にはスギの木を中心に植物が生じています

 奥宮 神籬の碑です

 南東側から見上げました

 では、次へ行きましょう

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