ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

徳島県美波町、日和佐浦「日和佐八幡神社境内のクスノキ群」です!!

2024-07-28 18:40:35 | 巨樹・大木
 「八幡神社の大クス」から道路を東へ進むと


 南向きに日和佐八幡神社です

 手水舎です

 拝殿です

 本殿です

 説明版です
   日和佐八幡神社
 御祭神  主神 誉田別命  (応神天皇)
      母神 息長足姫命 (神功皇后)
      妻神 玉依姫命  (神武天皇の御母后)
 御神徳  交通安全 無病息災 家内安全 学業就授
 「由緒」正平6年(*1351)の創祀といわれ、もと八幡宮と称した。
 「阿波志」と「八幡祠日和射浦にあり。観応2年(*1351)置く」とあり。
 「四河内大小神社神体控」(薬王寺所蔵」)に「惣社八幡大菩薩、日和佐浦村、観応2年当院(薬王寺)に遷宮仕り来りし古き棟札の控あり、玉殿3宇、神体9体、祭神、仲哀天皇、応神天王、神功皇后」とある。(注*正平は南朝。観応は北朝の元号)
 四国霊場第24番札所最御崎寺、及び東京の国立博物館に所蔵の円卓に「歳次、干時、康暦元年(1379)5月、日己未、阿波国海部郡日和佐保、八幡宮、願主、神主、玄勝」と刻す。
 「海部郡取調廻在録」は「日和佐村。此村は和名抄に出たる和射郷名ならんか。されば連続する村・・・みしるし侍る。まつ日和佐は四河内と唱へ牟岐7ヶ村と唱ふ。其余には阿部浦、由岐浦里、木岐浦里なり。これらを往古は和射と唱えへしものなるはなほ海部郡名阿部などの考えは別冊とてさし上まつり候。神社八幡大神宮、祭祀、神功皇后、応神天皇、玉依姫命。
 観応2年の棟札流失と伝ふ。<永正17年棟札写し>奉造営日和佐八幡大神宮御社檀上棟永正7庚辰年 大願主松島五郎左衛門永真、源重弘、源真弘、源義家、弥次郎、神主、八郎、鍛冶六郎右衛門 大工 清原広家、氏郎右衛門と録す。
 「海部郡誌」には「日和佐は往古和射郷の中心であった地で、式内和耶(射)神社の所在地と推定されるところから、当八幡神社の前身は、式内和耶(射)神社ではないか」と。なお当神社は永正17年(1520)の棟札を所蔵している。
 例祭には、大神輿の渡御があり、桜町、東町など町内各地区から8台の「勇み太鼓」(ちょうさ)が練り、雄大な大浜海岸に出はやしたてる光景は、南国的な明朗で豪快な県内有数のスケールの大きな祭風景といえよう。

 境内東側の神輿舎前のクスノキです

 本殿北西側のクスノキです

 南東側から、太い注連縄が高いところに懸けられています

 東側から見上げました

 
 鳥居前に戻って境内南西側のクスノキ群です

 境内南側のクスノキ群です

 道路南側のクスノキの大木です

 参道東側の神輿庫前のクスノキです

 南に延びる参道の西側に天神社(菅原道真公)です

 二つ並んだ祠は、左が道祖神社(道㑨神)、右が淡島神社(木花咲耶姫命)のようです

 護国神社(御英霊)です

 護国神社建立趣旨が彫られています

 長い参道を進んで南側から大鳥居を見ました

 では、大浜海岸へ行ってみます



 2024・6・11・12・45

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