富並地区は、村山市役所の北西約7kmのところ
県道381号村山大石田線を北へ、県道36号新庄次年子村山線に合流して、最上川を隼橋で左岸側へ渡ります、まもなく富並千国入ります
進んで右手に村山市立富並小学校の先を右(北)に入り道なりに進んで坂道を登った所に赤い鳥居が有ります、八幡神社は西向きに鎮座します
前の道路脇に車を止めさせて頂きました
赤い鳥居が見えて来ます
八幡神社です
参道石段の上、境内端に大きな幹が見えます
境内に上がって来ました、大きな幹が朽ちてしまっています
北側から、南西側の大きな枝が今の主幹になっています
天然記念物標柱です
説明版です
頼義の杉
この杉は、言い伝えによれば、康平年間(九百余年前)、時の陸奥守鎮守府将軍源頼義公が、奥州平定の折、当地の鬼甲城主落濱入道大林政国という豪族を討伐し、戦捷記念に植えられたので、この名があるという。
杉は、日本固有の樹種で天然分布の南限は、九州屋久島、北限は、青森県鰺ヶ沢町である。杉の品種を大別すると、オモテスギとウラスギの系統に分けられる。この杉は葉の形態からウラスギ系統nい属し、遺伝的特性として、枝が太くかつ分岐性の多いことである。従ってこの杉は、形態的に雪害を受け易く、過去に於て、何回も雪害を受けてきた形跡が残されている。雪害で折損した部分から、新しい枝が何回も発生したため、枝が蛸足状になったもので、これは後天的変異である。
この杉は、保護するために一番大切なことは、雪害を防止して、緑の葉を沢山つけてやることである。もうこの杉の樹高成長は望めまいが、緑の葉のついている限り、光合成が行なわれ、寿命の有る限り、肥大成長は止まることなく続き、幹部や根元周辺は太る一方で、一層神宿る木にふさわしい姿になることであろう。
(近年の記録)
1、明治35年の暴風で、中段から折れた。
1、昭和34年11月5日、市の天然記念物に指定。
1、昭和54年3月30日の暴風で、約半分中段から折れた。この年、氏子の寄附と市の助成により保護対策を実施した
昭和55年春
村山市教育委員会
八幡神社氏子
西側から
水盤です
社殿です
社殿前から見ました
では、次へ行きましょう
県道381号村山大石田線を北へ、県道36号新庄次年子村山線に合流して、最上川を隼橋で左岸側へ渡ります、まもなく富並千国入ります
進んで右手に村山市立富並小学校の先を右(北)に入り道なりに進んで坂道を登った所に赤い鳥居が有ります、八幡神社は西向きに鎮座します
前の道路脇に車を止めさせて頂きました
赤い鳥居が見えて来ます
八幡神社です
参道石段の上、境内端に大きな幹が見えます
境内に上がって来ました、大きな幹が朽ちてしまっています
北側から、南西側の大きな枝が今の主幹になっています
天然記念物標柱です
説明版です
頼義の杉
この杉は、言い伝えによれば、康平年間(九百余年前)、時の陸奥守鎮守府将軍源頼義公が、奥州平定の折、当地の鬼甲城主落濱入道大林政国という豪族を討伐し、戦捷記念に植えられたので、この名があるという。
杉は、日本固有の樹種で天然分布の南限は、九州屋久島、北限は、青森県鰺ヶ沢町である。杉の品種を大別すると、オモテスギとウラスギの系統に分けられる。この杉は葉の形態からウラスギ系統nい属し、遺伝的特性として、枝が太くかつ分岐性の多いことである。従ってこの杉は、形態的に雪害を受け易く、過去に於て、何回も雪害を受けてきた形跡が残されている。雪害で折損した部分から、新しい枝が何回も発生したため、枝が蛸足状になったもので、これは後天的変異である。
この杉は、保護するために一番大切なことは、雪害を防止して、緑の葉を沢山つけてやることである。もうこの杉の樹高成長は望めまいが、緑の葉のついている限り、光合成が行なわれ、寿命の有る限り、肥大成長は止まることなく続き、幹部や根元周辺は太る一方で、一層神宿る木にふさわしい姿になることであろう。
(近年の記録)
1、明治35年の暴風で、中段から折れた。
1、昭和34年11月5日、市の天然記念物に指定。
1、昭和54年3月30日の暴風で、約半分中段から折れた。この年、氏子の寄附と市の助成により保護対策を実施した
昭和55年春
村山市教育委員会
八幡神社氏子
西側から
水盤です
社殿です
社殿前から見ました
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