ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

新潟県新潟市西蒲区、三社神社の大ケヤキです!!

2015-06-14 07:34:31 | 巨樹・大木
三社神社は、JR越後線いわむろ駅の直ぐ西側の住宅地の中にあります

石瀬の一本杉から県道55号線を東へ戻ります

いわむろ駅の手前で県道374号線を南に入った県道脇です

三社神社というように、鳥居も三つが一つになっています、八幡大神宮・左が日枝大御神・右が熊野大御神です

手水舎です

拝殿です

本殿です

境内には二本の大ケヤキがあります

拝殿に向かって右側の大ケヤキです。目道り6.3m・樹高8.3mだそうです


痛みが目立ちます、高さも詰められてしまっています

県道沿の手水舎脇の大ケヤキです

拝殿側(西)から


南西側から

南側から、洞がありますがまだまだ元気なようです、拝殿右手のケヤキより小ぶりなようです

新潟市の天然記念物に指定されていますが、説明版等が無いのが残念です

ネットで調べて見ました

神社明細帳」(明治十六年)に「西蒲原郡和納村字稲場 村社・三社神社」とある。
祭神の三柱にあわせて,三輪鳥居風の豪華な鳥居がある。額束には左から「日枝大御神」「八幡太神宮」「熊野大御神」とある。
旧和納村の産土神であるが,創立年月は不明。嘉永六年(1853)に再建されたという。
[八幡宮」と呼ばれていたが明治五年(1872)に現社号に改め,村社に列せられた。
祭神は誉田別尊で,伊弉諾尊と大山咋命を合殿で祀っている。

ご神木 欅
平成16年8月11日
西蒲区和納
八幡神社
樹齢約450年

だそうです

では、次へ行きましょう
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新潟県新潟市西蒲区、石瀬の一本杉です!!

2015-06-13 18:29:00 | 巨樹・大木
石瀬の一本杉は、弥彦山の東側、岩室温泉の南にあります

関越自動車道巻潟東インターチェンジで下りて西へ

巻町を過ぎて弥彦山が近づくと間もなく岩室温泉街です

県道2号線を南へ進むと、県道脇右の斜面にスギの巨木があります


北東側からの全景です

南側からの全景です


東側から


南西側から

東側根本に説明版があります
   石瀬の一本杉
  伝説「お杉とお松の伊勢参り」のお話は江戸時代の前期のこの杉と東へ百メートルほどの所にあった松(明治
 六年に枯死)の精が娘に化身して伊勢参りをしたというものです。
  このお話は江戸時代の中頃、伊勢参りを盛んにしたいと目論む、伊勢の御師により創られたものでしょうが、
 当寺の村人からも樹の精が抜け出し、娘に化身して伊勢参りをすると容易に信じられた、杉の古木であったと
 推察されます。
  県内では美川之将軍杉、弥彦の婆杉など樹齢が千年を超える古木に杉がありますが、いずれも山地の中で樹木
 に囲まれています。
  一本杉は平地に有り、周りに高い樹木もなく、冬の強風にも耐えてきました。新潟市内の杉の樹木としては、
 幹回りが一番太く、樹齢も七百年を優に超えると推定され、新潟市の文化財(天然記念物)に指定されています

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埼玉県羽生市、川俣の関跡です!!

2015-06-12 00:09:27 | 文化財・寺社
川俣の関跡は、国道122号線が利根川を渡る昭和橋のたもとにあります

道の駅はにゅうの反対側(西側)です

利根川を渡る昭和橋です、新たに片側二車線になっています

史蹟川俣関所跡石碑です

説明版です
    旧跡 川俣関所跡
   川俣関所跡は慶長年間(1596~1615)に設けられ、明治二年(1869)に廃止されるまでの
  約二百六十年間続いた。
   この関所は江戸城警備のため設けられ、一般に「出女に入鉄砲」といわれるが、江戸に人質になってい
  る諸大名の婦人の脱出を防ぎ、また江戸の安全をはかるため鉄砲のはいるのを厳しく取り締まった。日の
  出に開門、日の入りに閉門し、夜中は一般人の通交を禁じた。
   関所は利根川沿岸に設けられたものであるが、河川改修のため今ではその跡は川底になってしまった。
   関所跡は、はじめ史跡として県の指定をうけその後昭和三十二年の改修工事により現在の地にひが移転
  され、昭和三十六年九月一日集積と指定変更された。
       昭和三十六年九月一日                羽生市教育委員会

定め書きです
      定
    一、 此関所を通る輩 番所の前にて笠 頭巾をぬぐべき事
    一、 乗物にて通る面々は 乗物の戸をひらくべし 但、女乗物は番の輩 差図にて女に見せ 
       可通之事
    
    一、 公家・門跡衆・諸大名 参向の節は 前かどより 其沙汰可有之間不及改之 自然不審
       の儀 あらば可為各別事 
             右可相守此旨者也 仍執達如件
           貞享三年四月               奉行


工作物の占用許可証票です

祠が並びます

新郷ふるさと歩道案内板が有りました、近くに多くの文化財が有るようですが、また今度にしましょう

では、次へ行きましょう
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群馬県館林市、富士嶽神社です!!

2015-06-11 18:17:10 | 文化財・寺社
富士嶽神社は、まんま富士塚です

館林市役所の西約2㌔というより、東部伊勢崎線たてばやし駅の西側

国道122号線の東側にあります

神社前に大きな駐車場があります

駐車場の脇に神楽殿があります


南側の鳥居です

仁王門の様な絵馬殿です

鳥居の懸額には富士山とあります

手水舎です

富士嶽神社由緒石碑です

階段をのぼると下り姫神社です



境内社があります、格境内社は鳥の侵入を防ぐ金網で覆われています

拝殿賽銭箱には三つ葉葵の紋があります

本殿です

拝殿東側に登山記念の富士型板です

登山記念の懸額です

降り口の地蔵尊です

庚申塔に道祖神などの石塔が並びます

西側の斜面です

北側斜面です、まんま富士塚です

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埼玉県坂戸市、石神神社入西のビャクシンです!!

2015-06-10 06:29:10 | 巨樹・大木
石神神社は、坂戸市役所の西約3km、高麗川左岸の若宮中学校に北西側にあります

県道39号線の北峰信号を南へ入った左手の住宅地の中にあります


神社前に駐車場がありますが入りずらいので注意が必要です

鳥居です

階段を上がると手水舎です

社殿です


立派な彫り物があります


社殿の前に有るのがビャクシンです

説明版があります
  ねじれっ木 石神様の 大びゃくしん(坂戸市文化かるた)
   樹高十二メートル、幹回り約三。五メートル、直径約一メートルで、幹が右回りにねじれていることから
  「ねじれっ木」と呼ばれて、大切にされています。昔、徳の高いお坊様が、地面に突き立てた杖が根付いた
  と伝えられています。
   ビャクシンはヒノキ科ビャクシン属の常緑針葉喬木で、イブキ、イブキビャクシンなどと呼ばれています。
   昭和六年に埼玉県の天然記念物に指定され、当寺の入西村の地名をとって、「入西のビャクシン」と名付
  けられました。
   ビャクシンは、臨済宗の寺院に多く植えられており、臨済禅宗と密接な関係にあったようです。現に湯河
  原の成願寺、北鎌倉に建長寺、川口の長徳寺などに見られます。
   入西のビャクシンの近くにある成願寺は、臨済宗の僧・乾峰士雲が開いたと伝わる寺です。乾峰士雲は、
  文和四年(一三五五)に鎌倉五山の建長寺・円覚寺の住職を兼ねた高僧でした。
   現在、この地は、石神神社の境内になっていますが、もとは成願寺の境内だったと考えられます。
   成願寺創建にちなんでビャクシンが植えられたとすれば、文和四年以後のことで、樹齢六五〇余年となる
  と考えられます。
   入西のビャクシンは、天然記念物としてだけでなく、歴史の上人としても生き続けているのである。
      平成二十五年二月                        坂戸市教育委員会


東側から

全景です



幹のねじれがきれいです


倒れないように支えられています

根元の天然記念物指定の標識です

石上神社の由来の石碑です
   石上神社の起源については詳らかではないが、木下宮司の家に傳わる古文書に依れば此地は古くは武蔵国
  入間郡三芳野の里大塚村言い古墳を氏神塚として尊崇してきたが、嘉元二年(一三〇二)の頃氏神塚の下の
  川の渕の中より漁師の手網に再三掛かった石を氏神塚に安置し当時中里郷の前にあった広伝寺のすすめによ
  って石明神としたものであると記されて居る、後に川の流を南に変えその跡へ広伝寺が移り来って石神明神
  の別当職となり栄えたが、天正十八年(一五九〇)豊臣秀吉の小田原攻城の際その手勢によって焼き払われ
  「これによって三芳野天神堂宇尽く焼失せり」云々とあり再来堂宇の再建中々成らず長い間雨風に晒され、
  その為氏子の雪隠に屋根を葺かない習慣となり「大塚の屋根なし雪隠」と云う言葉が生まれる程であったと
  云う、これについて県文化財保護委員大護八郎氏は「初めは三芳野天神であり焼失後再建され勧請されたも
  のが石上明神である事は明らかであると指摘して居る。拝殿正面の掛かる「石上宮」の神号額は全徳寺第七
  世國水伝春が明和四年(一七六七)揮毫し篆刻奉納したものである。文化六年(一八〇六)坂戸宿棟梁高山
  兵部藤原師美の手によって拝殿が作られた、何時の頃からか子授安産の神として尊崇され春秋の祭典には、
  近隣より参詣の人々群をなし俗に「押上様」と云われる程栄えたと云う。
   大正五年春屋根の葺替えを行い昭和六年柏槇の天然記念物指定により後方へ約二米程引き昭和三十五年
  本殿覆殿の根継ぎを行いたるも拝殿の破損著しく昭和五十二年遂に解体しこれを再建しようとする氏子の
  誠意により内外より多額の浄財の寄進を得て精緻を極めた彫刻類は悉く使用し坂戸市仲町安斉利一氏の手
  依って昭和五十三年十月竣工したものである。    昭和五十五年(一九八〇)四月   氏子中

豊臣秀吉の小田原攻めの時、八王子城攻めに向かう、前田・真田・上杉軍の通り道だったのかもしれませんんね

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埼玉県越生町、黒山三滝熊野神社の大杉です!!

2015-06-09 14:36:26 | 巨樹・大木
黒山三滝は、越生梅林から南へ入った所にあります

三滝の入口に有るのが熊野神社です

熊野神社です。二本の大杉が目印に成っています



熊野神社への階段を上りましょう

村社熊野神社の石碑です

手水舎です

右側の大杉の根本です

西側から


左側の大杉も同じくらいに大きいものです

西側からの全景です

越生町景観樹木のプレートです、スギ(2本)となっています


拝殿です


拝殿前にも大きな木が有ります

熊野神社再建設誌です
    熊野神社の創立は詳ではないが寛永年間の頃より祭祀されたと云われています、長い間鎮守様として信仰し
   崇敬されてきましたが不幸にも昭和六十年十一月不審火により焼失、氏子崇敬者の浄財神社関係者復興資金
   に神社山林の一部の売却代金を建設資金として再建された
   一、昭和六十一年十一月起工式     一、昭和六十二年十一月社殿の落成
   一、昭和六十二年三月上棟式      一、昭和六十三年四月鳥居、御水舎の再建玉垣の建設祭典幟の新調
   一、同年九月熊野那智大社より御分霊の拝載
   一、同年十一月御分霊の遷座祭     一、総工費参阡四百参十萬円
                          熊野神社建設委員会

では、次へ行きます
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埼玉県飯能市、富士浅間神社と滝の入タブの木です!!

2015-06-08 07:23:06 | 巨樹・大木
飯能市役所の西約8kmに富士浅間神社があります

飯能パークカントリークラブ入口の北側にあります


鳥居です

県指定天然記念物滝の入タブの木の標柱があります


境内案内図があります、タブの木は山の頂上付近です

県指定天然記念物の石碑です

参道には立派なイチョウの木があります

神楽殿というよりも能舞台のようです

手水舎です

富士浅間神社社殿です

社殿左手には滝があります

滝の岩上にも祠があります

夫婦神社だそうです


祠が並びます

富士浅間神社社殿の右手に、奥ノ院への登山道があります

富士浅間神社の社殿裏側、登山道わきにも大木があります

旧拝殿跡です、意外と狭い平地です

左へ登山道を登ります

登山道に大きな杉の木が現れると間もなく

姥ヶ嶽の分岐です、左へ行くと奥ノ院です

トラバース気味に右へ進みます

登山道が下りはじめて植林地を抜けると

巨大なタブの木が現れます


山野斜面に立っています

根元近くにしめ縄が掛かります

根元はかなり傷んでいるようです、サルノコシカケが生えています

西側の根元は元気なようです

説明版です
    埼玉県指定天然記念物
      滝の入タブの木
        飯能市大字上直竹下分301番地
        昭和6年3月31日指定
     富士浅間神社の裏山にあるこのタブの木は、樹高約20メートル、目通り5.5メートル、根回り7メートル
    枝張り東西27メートル、南北25メートルをはかり、樹齢推定700年である。
     タブの木はクスノキ科の常緑高木で別名「イヌクズ」とも呼ばれ、温暖地によく自生する。わが国では四国、
    九州、本州南部に多く見られる。この滝の入タブの木は育成状況も旺盛で、わが国のタブの木分布範囲の北限を
    記録する。
      平成七年三月                       埼玉県教育委員会
                                   飯能市教育委員会
                                   富士浅間神社


こぶがいっぱいあります

西側から


大枝の折れた跡があります

奥ノ院前から見下ろします、でも送電線の鉄塔の大きいことにびっくりです

奥ノ院です

では、戻りましょう

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埼玉県飯能市、山祗神社の大杉です!!

2015-06-07 07:02:21 | 巨樹・大木
飯能市役所の西約9km山の中に山衹神社があります、上植竹上分です

県道221号線を下分で南に入って行きます

道路脇に大きな杉の木があります、駐車場は少し先の公衆トイレの先に駐車スペースがあります




鳥居の向かい側に道路にはみ出すように、大杉があります


脇の沢に覆いかぶさるようです

太い幹は目道り6.1mとか


幹が二本に分かれています

山衹神社へ行きましょう

鳥居です

急な階段を上ると社殿があります

社殿軒先です

手水舎です

階段上から大杉を見下ろします

境内にはほかにも杉の大木がありました


モリアオガエルの生息地です、飯能市の天然記念物に成っています

では、次へ行きましょう
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埼玉県飯能市、神明神社飯能の大ケヤキです!!

2015-06-05 07:00:16 | 巨樹・大木
神明神社は、西武池袋線はんのう駅の南東約500mのところ

県道218号線から東へ入っていたT字路の南側にあります


南東側から見た神明神社の大ケヤキです

神明神社社殿です

神明神社由来記です
  所在地   飯能市川寺一本杉392番地
  通 称   おしんめいさま
  祭 神   天照大神  (大御神)大山衹乃命 (土木の神)崇徳天皇 (疾病の神)保食乃命   (食物の神)
        軻具突智乃命(火の神)天御中主乃命(宇宙の神)大物主の命(疾病の神)神倭盤礼彦乃命(天武天皇)
        倉稲魂乃命 (稲の神)伊ザ那美乃命(才袚の神)早玉男乃命(文武の神)事解男乃命  (智慧の神)
  由緒     当社は今より約六百年前、「西暦1393年」明徳四年十一月十五日創立、明徳南北一体となりし翌年
        にあたる。
         加治奥ヶ谷神明神社と現存する。
         明治五年古来鎮守たるを以って村社に列する。
  合祀    明治四十一年三月「笠縫村社神明社」「同境内社山神社」「同琴平神社」「同軍太利神社」「柳原村社熊野神社」
  祭典    一月 元旦祭   二月 春祭  四月例大祭  十一月 匕五三祝祭・秋祭 
  境内    三百坪
  神木    飯能欅「樹令八百年」埼玉県指定天然記念物              平成十五年十一月吉日之建

手水舎です


拝殿前に御神木の欅があります

飯能のケヤキ説明版です
   埼玉県指定天然記念物
     飯能のケヤキ
       飯能市大字川寺392番地
       昭和二十六年三月三十一日指定
     この大ケヤキは、かつて「奥ヶ谷神明社」と呼ばれていた神明神社の境内の木立に抜きん出て、傘を広げたように
    そびえ立っている。
     樹高28メートル、目通り6,5メートル、根回り11メートル、枝張り東西29メートル、南北24メートル、
    樹齢推定700~800年。
     大ケヤキの枝した9メートルの本幹は一本の直幹でよく伸び無傷で、この上部から分岐する枝は四方に翌伸長して
    いる。樹勢はきわめて旺盛でまれにみる大木である。ケヤキはニレ科の落葉性高木でわが国の特産種であり、埼玉県
    の木に選ばれている。
       平成七年三月                        埼玉県教育委員会
                                     飯能市教育委員会
                                     神 明  神 社

注連縄の巻かれた立派な幹です

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埼玉県狭山市、廣瀬神社の大ケヤキです!!

2015-06-04 06:38:27 | 巨樹・大木
廣瀬神社は、狭山市役所の西約2kmのところ、入間川左岸の住宅地のなかにあります

圏央道狭山日高インターチェンジから国道407号線を南へ、根岸交差点の手前信号をを東へ

道なりに進むと、神社東側の鳥居前に出ます、駐車場は、少し戻って北側から入って

鳥居と境内の間の参道わきに、スペースがあります



懸社 廣瀬神社です

鳥居です

廣瀬神社略記です
   創立  「大和時代の景行天皇(第十二代)の御代、日本武尊命東国平定の再、当地が大和の国河合山地に酷似
      せりと称し親ら幣吊を奉り、(大和の国の)廣瀬の神を斎き祀りて、建武長久国家安穏を祈誓せられしよ
      り創始せり」との社伝があえい、創立は、三世紀頃に遡る。
   由緒  「狭山の社寺誌」(市教育委員会発行)において、「当社は大和朝廷より勅命により官社に列せられた
      数少ない神社であり、由緒正しく、当時すでに関東において格の高い名神としてあがめられていた・・
      狭山中の神社の中で最も古く、格式高い神社である」と、記述されている、主たる記録は次のとおり。
       官社    「文徳天皇実録」の嘉承三年(西暦850年)六月三日の条に(武蔵の国廣瀬の神を官社
            に列す」との記述あり。
       延喜式内社 延長五年(西暦927年)に編纂された「延喜式神名帳」に「武蔵国四十四座 入間郡五
            座の内一つ 廣瀬神社」と登録されている。
       県社    明治六年郷社、同七年県社にれっせられた。
   御祭神 主祭神  若宇迦能売命(わくかのめのみこと)
       相殿神  八衛比古命(やちまたひこのみこと)八衛比売命(やちまたひめのみこと)久那斗命(くな
            とのみこと)                  以下略・・・廣瀬神社


境内入口に大きなケヤキが見えます

神楽殿の直ぐ脇


御神木(二)の大ケヤキです

県指定天然記念物の石碑には、大欅二本となっています

神楽殿と拝殿のあいだに有るのが大ケヤキ(一)です

枝が折れて治療されています

樹勢はかなり落ちているようです

説明版です
  埼玉県指定文化財 天然記念物
   廣瀬神社の大ケヤキ
       所 在 地   狭山市広瀬2-23-2(廣瀬神社)
       指定年月日   平成十年(1998)三月十七日
   ケヤキは楡科の落葉高木です、農家では防風林として植えることが多く、武蔵野の景観にとけこんでいる馴染み
  の木です。高さは20メートルぐらいまでですが、この大ケヤキは高さ約30メートル、周囲約6メートルという
  まれに見る巨木で、樹齢7~800年と推定されます。
   江戸時代末期の書物「新編武蔵風土記稿」の廣瀬神社の項に「・・社辺に竹樹生茂り中にも古木の大槻三株あり
  、是を神とす、一は囲二丈、一は囲一丈五尺、一は囲二丈六尺余なり、是等を見て旧跡たることしるべし・・」と
  あります。
   現在はケヤキの巨木日本が相対して境内に立っております。
        平成十六年一月                      埼玉県教育委員会
                                     狭山市教育委員会




樹勢回復工事の説明版です
  市指定文化財
   廣瀬神社大欅樹
   勢回復工事概要
    この大欅は、江戸末期の「新編武蔵国風土記稿」に御神木と説明されており、また「巨樹・巨木林調査報告書」
   (1991年環境庁)に「目通り6メートル30、樹高32メートル」と記録されている。
    樹齢1000年と伝えられる御神木であり長寿祈願にあやかれる。初夏には、アオバズクやツミ(鷹)の営巣を
   観察できる。
   [工事概要]
     実施主体   廣瀬神社大欅樹勢回復実行委員会(会長宮野仁太郎)
     工事対象   市指定文化財大欅2本
     契約額    6173300円
     請負者    野村技術士事務所
            樹木医野村静男(長瀞町)
            新井土建(当所)
     工期     平成八年十一月~平成九年三月
   [募金状況](平成八年十二月現在)
     募金協力者  1873名
     募 金 額  2877092円
   [市・県補助金] 3500000円
       平成八年十二月                     廣瀬神社



手水舎です

廣瀬神社拝殿です

本殿です

社号額の説明版です


拝殿北側の鐘楼です




不朽梅です

不朽梅説明版です

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埼玉県狭山市、白髭神社の大ケヤキです!!

2015-06-03 17:01:07 | 巨樹・大木
白髭神社は、狭山市役所の北約2kmのところ

入間川の左岸、狭山環状道路の北側です

柏原中学校の西側にあります

白髭神社入口は西側です

拝殿まで参道が続きます

.手水舎です

浅間神社です

間引きの絵馬と陰陽和合図の絵馬の説明版です



柏原祇園囃子の説明版です

拝殿です

韋駄天額の説明版です

御正体の説明版です

本殿です

本殿南側に大ケヤキがあります


南西側から


南東側から、斜めに立っているのがわかります

東側根本です

拝殿前のイチョウです

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群馬県太田市、浄蔵寺の大イチョウです!!

2015-06-02 06:13:08 | 巨樹・大木
浄蔵寺は、太田市役所の南西約7km、利根川の左岸、支流の早川近くにあります

東武伊勢崎線きざき駅の南東2kmの県道276号線沿いです、

もともと周りに目印のない所に突然現れる大イチョウ自体が目印となっています

山門です

案内板です
    浄蔵寺
      所在地 太田市堀口町二二三番地
    浄蔵寺は、駒形山宝珠院といい、高野山真言宗に属し、本尊は地蔵菩薩である。寺の創建は鎌倉時代新田氏の
   開基を伝えるが詳らあでない、開山(中興)を慶順といい、寺地四町九反余を有する密教寺院として壇徒の信仰
   を集め、法灯・堂宇が良く護持されてきた、明治七年本堂を利用して「惟勤学校」が開設され、学制初期の地域
   初等教育に貢献した、本堂は、棟札に「宝暦五年(1755)当寺十一世専秀隆勝ハ、八世弘賢以来四十有余年
   にわたる先住の遺書を継承し檀家の協賛を得て、堂宇の建立を果たした」とあり、建築は当村中村平右衛門 久
   安養寺村橋本藩右衛門相久らにが携わっている、以後、安政三年(1856)十六世漂栄のとき、茅葺を本瓦に
   葺替え、明治三十八年(1906)十九世善隆祐範の代に屋根葺替が行われ、その後小修理が加えられ現在にい
   たっている。
    当村鎮守賀茂宮の南に、新田の一族堀口氏の館跡があり、美濃守貞満の建立と伝える真言宗正覚寺があったが
   早川治水の築堤によりその寺堂を失ない、昭和四十三年浄蔵寺と合併、当寺に墓所を移し不動堂を建立した。
    浄蔵寺の西方一帯の低地を「字ザラメキ」といい、かつて利根川の流路であった、ここから鎌倉時代中期の板
   碑が出土しており、そのうち文永十一年(1274)の銘文に、大檀那沙弥西願をはじめ、源・藤原・菅原・高
   麗姓などの結衆の名が見られ、浄蔵寺および新田・堀口氏にかかわる資料として重視されたが、現存せず拓本を
   残すのみである。
    寺伝に、元弘三年(1333)五月、新田義貞鎌倉攻めのとき、利根川渡河をまえにして、義貞の軍隊が当寺
   に兵馬を休め、戦勝を祈願したことから、駒形山を称するようになったという。
    境内に聳える大銀杏は、樹令 四百年といわれ、駒形山の森を偲ばせるとともに、浄蔵寺に変遷を物語ってい
   るかのようである。
    浄蔵寺の文化財
      五智堂   本尊  大日如来(享保九年寄進名あり)
            建立  天明五年
            願主  新島太郎右衛門
            修復  明治二十七年 本瓦葺
                昭和六十年
      不動堂(旧 正覚寺)
            本尊  不動明王
            建立  昭和四十三年
      鐘樓堂   建立  明治三十四年十一月
            棟札  武州妻沼村  林門作斉部正啓
            修復  昭和六十年
      山門    建立  安政六年
            願主  新島治左衛門
            棟札  尾島宿  長浜庄八
            修復  昭和五十年
          平成元年三月                         太田市教育委員会
      
      

   

徳川氏発祥の地世良田の観光案内板です

本堂です

鐘楼です

五智堂です、御堂の裏側(西)に見えるのが大イチョウです

緑のオブジェの様です

説明版です
   太田市指定天然記念物
     浄蔵寺の大イチョウ
       指定年月日  昭和五十三年三月十日
       所 在 地  太田市堀口町223番地
    駒形山宝珠院浄蔵寺は古義眞言宗に属し、鎌倉時代の創建といわれる。
    この大イチョウは雄株で、根元周囲十四メートル、目通り周囲十二メートル、樹高二十八メートル、枝張りは
   十八メートルほどである。樹齢は四百年ほどと推定される。
    落雷により主幹が折れ傷められたため、幹が多くに分かれているが樹勢はきわめて旺盛である。
    イチョウは落葉高木樹で成長は比較的早いが、このような大木は、尾島町はもちろん県内でもめずらしく、
   貴重なものである。
    このイチョウは、枝にその形からちち(乳)といわれる呼吸根(気根)が垂下している。乳の出ない産婦が
   これを取って呑むと、乳が多く出るようになると云う伝承がある。
    イチョウは雌雄異株の裸子植物で、今から一億五千万年ほど前の中世白亜紀には世界中に繁茂していた。
    その後絶滅したと思われていたが、中国の浙江省に野生しているのが発見され、日本にもたらされたもので
   生きた化石といわれている。
       昭和五十三年三月                    太田市教育委員会


根元まで、葉で覆われて幹を見る事が出来ません

又、秋になって葉が落ちる頃、取材したいと思います

では、次へ行きましょう
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群馬県太田市、大通寺 冠掛のマツと大ケヤキです!!

2015-06-01 04:35:00 | 巨樹・大木
大通寺は、太田市役所の西南西約6km、木崎幼稚園が併設されています。

反町薬師から県道332号線を南へ、工業団地の中を西へ

目印は、太平記ゆかりの地”冠掛けの松”です

案内版です

楼門です

曹洞宗宝広山大通寺です

新田義貞公冠着松の石碑です

本堂です

本堂の前に有るのが、冠掛けの松です

幹の高さは低く笠松に仕上げられています

説明版です
   新田の名木
      樹木名  松
      所在地  大通寺境内
      目通り  2,1メートル
     元弘三年(1333)新田義貞が、鎌倉幕府討伐のため生品神社で挙兵し、鎌倉へ向かう途中この松に
    冠をかけて、休憩したと伝えます。当時の松は枯れてしまい、この松は二代目として赤堀から移植されて
    おります。
   新田義貞の歌碑
    「立ち帰り またも来て見ん 冠着の 松よ千歳を 我に契らば」
   春秋庵白雄の句碑
    「夏にこもる 御僧いくたり 松の風」
      平成十七年三月                        新田町観光協会

楼門の東側にあるのが大ケヤキです

説明版です
   新田の名木
      樹木名  欅
      所在地  大通寺境内
      樹 齢  500年以上
      目通り  6,4メートル
      樹 高  十五メートル
    大通寺は戦国時代の天文二年(1533)太田金山城主、横瀬泰繁の先室(大通寺殿蘭室玄芳大姉)の開基です。
   創建当時の植栽と思われます。
    終戦直後までは、西方に安置している金毘羅宮が、樹木に接し鎮座していました。
    昭和四一年(1966)九月二五日の台風二六号は県内各地に猛威を振い、当樹も折損しましたが、元気を回復
   して隆々たる勢いで繁茂しています。
       平成十七年三月  新田町観光協会

西側から

北側には傷が大きく成っています

南側から

東側根元です
    
遊びにきていた幼稚園の子共達が、ケヤキの洞に入って遊んでいます、ケヤキが元気なのも子供が元気なのも良い事です

では、次へ行きます 
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