旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

石見銀山の町並み散策その1

2015-12-10 16:09:10 | 島根
2015年12月6日、5日に温泉津温泉に宿泊し、今日は、石見銀山の町並みを散策します。石見銀山公園無料駐車場に自動車を止めます。観光案内所でマツプと説明を聞きました。一部遊歩道が通れないとのことでした。
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案内図

観光案内所

羅漢寺



















町並みに進みます。





























金森家(島根県指定史跡)、石見銀山御料郷宿泉家遺宅
『江戸時代、石見銀山附御料150余村は支配上六組に分けられていた。18世紀の中頃には、大森には六軒の郷宿(ごうやど)が設けられ、公用で出かける村役人等の指定宿として、また代官所から村方への法令伝達等の御用を請け負っていた。文献から、泉家の主人川北氏は文化7年(1810)まで「波積組(主として現在の江津市の一部)」の郷宿を勤めていたことが知られている。建物は外壁を漆喰で塗籠め、軒瓦には家紋を入れるなど堂々たる風格を備えている。敷地は、寛政12年(1800)の大火を免れた位置にあり、町並みの中で最も古い建物のひとつと考えられる。』















阿部家(島根県指定史跡)、石見銀山地役人遺宅
「阿部氏初代の清兵衛は甲斐国(山梨県)の出身で慶長6年(1601)に初代奉行大久保石見守に銀山附地役人として召抱えられ、子孫は代々銀山支配に携わった。」







栄泉寺
「曹洞宗の寺院で、慶長元年(1596)の開山と伝えられており、禅の修行道場でした。第19代の代官である井戸平左衛門が享保の大飢饉(1732)の際に、ここを訪れた旅の僧「泰永」から飢饉の備えとして薩摩芋のことを教わったところと伝わっています。大森町は寛政の大火(1800)で町の大半が焼失しましたが、栄泉寺も土蔵ひとつ残して焼失しました。現在の本堂は文化4年(1807)に再建されたものです。」



竜宮門
「石段の上に見える山門は、嘉永6年(1853)に画僧であった仏乗禅師が再建したものです。日光の大猷院(家光の廟所)の皇嘉門に姿が似ていることから当時の代官から取り壊しの命令が出されましたが、住職留守を理由にして筵や板で囲い、幕末の混乱に紛れて取り壊されずすんだと伝えています。」







本堂











再び町並みに





三宅家(島根県指定史跡)、石見銀山地役人遺宅
「建物は、代官所の銀山方役所に勤務する銀山附役人田邊氏の居宅であった。」

































柳原家(島根県指定文化財)、石見銀山代官所同心遺宅
「柳原氏は代官所の同心を勤めた武家である。」















旧河島家(島根県指定史跡)、石見銀山地役人遺宅













伝統的建造物群保存地区の説明書

旧大森区裁判所








観世音寺
「岩山の上にあり、江戸時代には大森代官所が銀山の隆盛を祈願するための祈願寺でした。本堂のほか山門と鐘楼が残されています。町並みの大半が焼失した寛政の大火(1800年)により、観世音寺も全ての建物が焼失しました。そのためもとの創建年は不詳ですが、現在の本堂や山門は万延元年(1860)に再建されたものです。」



山門

仁王像





本堂

鐘楼

境内からの町並み






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石見神楽・塵輪

2015-12-08 21:37:21 | 島根
2015年12月5日、島根県温泉津温泉に宿泊したとき、「ゆのつ温泉夜神楽」を毎週土曜日に開催していました。時間は20時から21時で旅館の近くの龍御前神社内で公演しています。料金は500円です。1時間で2つの演目がありました。
「神楽」は、かつては日本全国で盛んに行われていた我が国の最古の芸能です。その歴史をひもとくと、日本神話のなかの「天岩戸伝説」にまでさかのぼり、岩戸にお隠れになった天照大御神を誘い出すために、宇津女命が岩戸の前で舞った踊りが起源だといわれています。特に石見神楽は、「神事」でありながらも「演芸」的要素が濃く、ストーリーも明解です。舞もお囃子も激しく、胸のすくような爽快さと勇壮さがあるのが特長です。
動画撮影は不可ですので、連写を含めてですが、動きがあるのでぶれています。
塵輪の神楽は、「神2人・鬼2人が対決する、鬼舞の代表的な神楽です。第14代天皇・帯中津日子が、異国より日本に攻め来る数万騎の軍勢を迎え撃ちます。その中に身に翼があり黒雲で飛びまわる「塵輪」という悪鬼が、人々を害していると聞き、天皇自ら天の鹿児弓、天の羽々矢をもってこれを退治します。」





































































































































































































枚数が多いので3分の1しかアップしませんでした。
社中の皆様、連日の練習お疲れ様でした。感謝。
コメント (2)
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石見神楽・恵比須

2015-12-08 21:34:06 | 島根
2015年12月5日、島根県温泉津温泉に宿泊したとき、「ゆのつ温泉夜神楽」を毎週土曜日に開催していました。時間は20時から21時で旅館の近くの龍御前神社内で公演しています。料金は500円です。1時間で2つの演目がありました。
「神楽」は、かつては日本全国で盛んに行われていた我が国の最古の芸能です。その歴史をひもとくと、日本神話のなかの「天岩戸伝説」にまでさかのぼり、岩戸にお隠れになった天照大御神を誘い出すために、宇津女命が岩戸の前で舞った踊りが起源だといわれています。特に石見神楽は、「神事」でありながらも「演芸」的要素が濃く、ストーリーも明解です。舞もお囃子も激しく、胸のすくような爽快さと勇壮さがあるのが特長です。
動画撮影は不可ですので、連写を含めてですが、動きがあるのでぶれています。
恵比須という神楽は、「出雲の国美保の神社の御祭神、恵比須様が磯辺で釣りをしている御姿を舞ったものです。にこやかに鯛を釣る恵比須様の様子が面白おかしく、心の和む演目です。」
はじまり












































































































































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温泉津温泉(重要伝統的建造物群保存地区)の街並み

2015-12-08 21:31:40 | 島根
2015年12月5日、旅館「輝雲荘」に宿泊し、街並みを散策しました。温泉津は、山が幾筋もある中に谷沿いに旅館が並ぶ温泉街です。歓楽街はありませんので、家族連れで安心して宿泊できる温泉です。国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されています。 現在の町の地割は、1692年の地図に描かれた敷地からは分筆又は合筆を繰り返す中で形成されたもので、江戸時代を通じて成立した間口の狭い短冊形の地割の特色を良好に残しています。
旅館に16時頃着きましたので、街並みを散策しました。





薬師湯
『温泉津温泉の湯元で、山陰で唯一、日本温泉協会の最高評価「オール5」で認定された天然温泉、屋上のガーデンテラスから町並みの眺望が楽しめます。隣接の大正8年建築の木造洋館は建築学的にも貴重な建物と評価されています。特に手の込んだ組込式天井と階段は見事です。』











温光寺
山門

薬師堂
「弘治年代(1550)以前建立」

地蔵堂
「安永5年(1770)建立」

霊泉

狸の池
「古代の源泉の跡があり、狸が見つけた温泉の由来から名付けられています。」

浅原才市の像、角があって愛らしい顔立ちです。
『浄土真宗の好好人の一人といわれ、町の人々に慕われ、晩年に五千とも一万とも言われる句を書き綴り、船大工や下駄職人で生計を立てていた。、才市の残した含蓄深い句は「口あい」といわれ人々の心を打つ。』





龍澤寺
「旅の途中で立ち寄った木喰五行が、ノミを刻んだ木彫り仏が安置されている寺。木喰五行は享保3年(1718)山梨県生まれで、広く民衆に、仏の信仰を広げたいという念願から、安永2年(1773)相州の大山寺から旅を重ね、3百数十体もの薬師如来、羅漢、十一面観音などを刻んでいる。」

鐘楼門



文化財説明書

本堂







庫裏





恵寺
「戦国武将細川幽斎が百韻連歌の会を開いた逸話や石見銀山初代奉行、大久保長安の殺生禁断の制札や逆修墓があることで知られる古刹。」
山門





鐘楼門





本堂





鐘撞堂

玄関



少しうす暗くなってきました。

西楽寺
「大阪・石山合戦時に本願寺・願如上人から届いた書を存する。本尊は阿弥陀如来。元は禅宗で覚兆庵と称し、大永元年(1521)本願寺第9世の実如宗主の教化により浄土真宗となる。その後、江戸初期(1603)に西楽寺と名を改める。現在の本堂は天保2年(1831)に再建されたもの。」
山門



本堂



鐘楼





























道標



龍御前神社
「石見銀山華やかなりし頃、頻繁に温泉津港に出入りした北前船の守り神として信仰を集めた。温泉街を見下ろす岩山にあり背後の岩は龍が多聞く口を開けた様に見える。境内には船主から寄進された石灯籠や絵馬が残されている。」

































夜の街並み



龍御前神社

翌日の12月6日に街並みを散策しました。
内藤家屋敷
「毛利元就の家臣、鵜ノ丸城の初代奉行として赴任、その後、庄屋、回船問屋、酒造業などが営まれた内藤家400年の歴史を伝える屋敷と土蔵群、特徴のあるなまこ壁、縄のれん、格子窓や虫籠窓などが往時の隆盛ぶりを今に残す。」









ゆうゆう館

案内図





温泉津湾









鼻ぐり岩

恵比須神社(島根県指定文化財)、保存修復中でした。

西念寺
「毛利元就が九州の立花城を攻めた際に、手柄のあった然休上人を開基とした浄土宗の寺院。」
山門



















愛宕神社
「大久保石見守の逆修塚が残り温泉津港や街並みが一望できる神社。もともと隠岐郡海士町勝田山源福寺の鐘とされる謎の梵鐘は、豊臣秀吉の朝鮮出兵に際し供出されたもので返還時に間違って運ばれたものと伝えられている。」























裏からおります。











金剛院
「細い路地の奥に槇の大木を前にして本堂だけが残る。高野山真言宗、千手観音菩薩を本尊とし、もとは温泉津温泉の中心地にあったが、宝暦10年(1760)現在の地に移転した。」



































極楽寺
「浄土宗の寺院で、天正2年(1574)開基、開山上人は浄蓮社念誉上人、本尊は阿弥陀如来」
山門











女性の住職さんで、本堂を開けていただき、本尊を拝ませていただきました。仏壇の斗栱は色彩がすばらしいものでした。
(合掌)














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松江神社、護国神社、城山稲荷神社、小泉八雲旧居、武家屋敷など

2014-11-25 13:51:50 | 島根
2014年11月22日、松江城とその周辺を観光しました。

松江神社
二之丸上ノ段の西側に鎮座しています。
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説明書より「御祭神は、松平直政公(松平初代藩主)、堀尾吉晴公(松江開府の祖)、松平治郷公(第七代藩主)、徳川家康公
明治10年に旧松江藩の人々によって、川津村(現松江市西川津町)楽山に松平直政公を御祭神として楽山神社が創建されましたが、寛永5(1628)年に堀尾吉晴公朝酌村西尾(現松江市西尾町)に創建した東照宮を明治32年に合祀し当地に御遷座松江神社と改称されました。」

東の鳥居

北の鳥居

手水舎、寛永16(1639)年建築

拝殿、寛文元(1661)年建造

本殿、寛永5(1628)年建造

稲荷社




松江護国神社
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由緒書より「御祭神は、明治戌申の役より大東亜戦争に至る数次の戦役事変にあたり、祖国平和の為に尊い生命を捧げられた出雲、壱岐出身の軍人、軍属2万3千柱の神霊を奉祀。創建は、昭和13年10月15日松江招魂社として、此の城山の地に創建せられ、昭和14年4月1日官制に依り、松江護国神社と改称し、神饌幣帛料供進神社に指定される。」
由緒書

鳥居

参道

石碑

鳥居

参道

拝殿

本殿



参集殿

境内

母の像


城山稲荷神社
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説明書より「当社は徳川家康公の孫にあたる松平直政公が藩主として入国した翌年、藩内の安穏と繁栄を祈念して、かねて信仰していた稲荷大神を出雲壱岐両国の守護神として城内に祀られた神社です。」

由緒書

鳥居

八雲と稲荷
八雲は、この神社の火除けのお札をイギリス・オックスフォード大学のピット・リヴァーズ博物館に贈っています。

石狐

参道

手水舎

参道の階段

神門

拝殿

本殿



内壕、堀川めぐりの観光船







新橋

内壕



雨粒友伝



小泉八雲記念館

小泉八雲旧居

説明書

武家屋敷の通り

書状集箱

雨粒信伝



小泉八雲像

田部美術館

菓子老舗・會涼堂

武家屋敷







工房・とんぼ

レトロなレイクラインバス

内壕での亀、甲羅干ししています。

鷺も一休み

岸清一先生像

説明書


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松江城(重要文化財)

2014-11-25 13:45:39 | 島根
2014年11月22日、前日は玉造温泉に宿泊し、松江観光で松江城に行きました。
松江城は慶長16(1611)年に築城し、築城主は堀尾忠晴、1階床面積447.23㎡、高さ約30mです。全国に現存する12天守の一つで、天守の平面規模では2番目、高さでは3番目、古さでは5番目です。明治の初め、全国の城はほとんど取り壊されたが、松江城天守は地元の豪農・勝部本右衛門、旧松江藩士・高城権八ら有志の奔走によって山陰で唯一保存され、松江のシンボルとして親しまれています。城全体の構えは東側を正面とするが、天守自体は南向きとなっています。一部白漆喰ですが、窓廻りの木部は全て黒塗りで、黒を基調とした天守です。
登閣料は560円です。駐車場は土日については、おもてなし駐車場として県庁などの駐車場が無料で開放しています。県外からの方はありがたいですね。
島根県松江市殿町1-5
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緑樹橋

千鳥橋
江戸時代は「御廊下橋」とよばれ、お城の中心部と藩主の館があった三之丸御殿を結ぶ大変重要な橋で屋根がかかっていました。





石垣

案内図

紅葉、いいですね。

南口門

鉄砲狭間

二之丸上ノ段に着きました。
二之丸説明書
江戸時代の二之丸は藩主が公式な儀式や政務をつかさどる「御広間」や私的な接客や面会などを行った「御書院」はじめ、「御台所」、「御式台」などの御殿が建ち並び、周囲には時打ち太鼓をおいた「太鼓櫓」や、城下の監視や倉庫に使われた「南櫓」、「中櫓」をはじめとする5つの櫓がありました。これらの櫓、御殿などの建物は、明治維新とともに無用の施設となり、明治8(1875)年に取り壊されました。

南櫓、城下町の南東を監視していたと考えられます。



説明書

内部



2階建です。



覗いてみました。

狭間

中櫓
武具などを保管する倉庫であったと考えられています。

説明書

御広間跡

太鼓櫓



説明書





二之丸番所跡説明書

二ノ門へ





鉄砲櫓跡

北側の乾櫓方向





乾櫓跡

祈祷櫓跡





天守
説明書



二之丸上ノ段より



本丸より





西側より



附櫓
天守閣入口の防備をかたくするためにとり付けた櫓で、入口鉄延板張りの大戸があり入ると枡形の小広場が二段あって侵入しにくくしています。



鯱鉾
木彫銅張、高さ2.08m、日本現存の木造では最大のものです。

入母屋破風
千鳥が羽をひろげたような三角形の部分で、天守閣の美観を構成する重要な部分です。

天守の中に入ります。
井戸
深さ24mあり、北方の池の底と同底で常時飲料水が得られました。

展示品です。







階段





展示品









小泉八雲と松江城のかかわり
天守閣に登り宍道湖と湖面に浮かぶ嫁が島の優美さを賞し、松江城のすごさを語っています。































襖絵













石落とし

城下の模型図

階段



模型



















天守からの眺め



















古図

天守を出て北側に進みます。





北ノ門跡





ギリギリ井戸跡

馬洗池

稲荷橋

搦手虎口跡

宇賀橋





石垣

北惣門橋

説明書

堀尾吉晴公説明書



大手門跡

三之丸より南櫓

三之丸櫓跡

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清巌寺(玉造温泉)のおしろい地蔵様

2014-11-24 20:19:33 | 島根
2014年11月21日、玉造温泉に宿泊の際に、お参りしました。
臨済宗妙心寺派に属し、山号は温泉山です。寛永14年(1637)松江円成寺二世瑞岩和尚の開山とされています。
島根県松江市玉湯町玉造530
map



手水鉢

本堂



案内図

おしろい札所

岩屋寺、明治5年にこの場所に移建されました。
観音さまを祀っています。



おしろい地蔵
「その昔、和尚さまがこの地蔵様に白粉を塗って祀ったところ、顔面の痣が綺麗に治ったとのことです。それから、この地蔵様に白粉を塗り、自分の顔につけて祈願すれば美人になると言われるようになりました。また、自分の体の病気のところと同じ部分に白粉を塗って祈願すると治るともいわれ、今も病気平癒の祈願の為に白粉を塗る参詣者があり、今も信仰が続いています。」

大権現さま

お大師さま

布袋様

六地蔵









薬師堂




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玉造湯神社

2014-11-24 20:17:48 | 島根
2014年11月21日、お参りしました。
御祭神は、櫛明玉神、大名持神、少彦名神で、創建時代は不明です。「延喜式」及び「出雲国風土記」に記載のある古社で、玉造温泉・玉造川東岸の小高い林の中に鎮座しています。
現地説明書より『玉造湯神社は、奈良時代の「出雲国風土記」(天平5年(733))に記された古い神社で、式内社でもあります。玉作りの神である櫛明玉命、国造りと温泉療法の神である大名持命、温泉守護の神である少彦名命の3神を祀っています。神社境内は、国指定史跡出雲玉作跡(宮ノ上地区)の一角にあたり、花仙山周辺では最古の玉作り遺跡で、弥生時代末から玉作りが行われていました。江戸時代には「湯姫大明神」、「湯舩大明神」とも呼ばれ、藩主の崇敬が厚く、隣接する玉造御茶屋(松江藩の静養施設)に松江藩主が訪れる際には、必ず玉造湯神社に参詣しています。藩主から神社へ品々の寄進もあり、それらは玉造湯神社に大切に保管されています。明治時代以降、天皇即位の式典に際しては、ここで作られた瑪瑙・碧玉製品が献上されていました。』
島根県松江市玉湯町玉造508
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鳥居





狛犬

古代玉作の処、参道の横にあります。
玉作跡出土品収蔵庫

説明書

参道

燈籠

手水舎

拝殿



由緒書

本殿



願いを叶えてくれる「願い石」



御仮殿建立之御座



湯姫大明神社
容姿端麗・安産助産・育児・諸病平癒・家庭円満等の守護神と伝えられ地域住民の信仰が篤い。

稲荷社

玉宮神社

湯山遥拝殿

石碑

素鵞神社・記加羅志神社、福徳神社、澤玉神社




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玉造温泉の街

2014-11-24 20:15:04 | 島根
2014年11月21日、玉造温泉に泊まりました。玉造温泉の街の様子です。街の真ん中に川が流れており、その両方に道路を挟んでホテルが並んでいます。歴史がありますが、非常に整備されて清潔な感じの温泉です。
川は親水式となっており、道路から何か所も降りて散策ができます。また、川沿いに足湯もあります。道路には9つの神話のオブジェが設置されており、散策も楽しみながらできます。
玉造湯薬師如来

地蔵菩薩
玉造に広島陸軍病院の分院があり、原爆投下で被爆した重症の兵士達約200名を治療をしたが手の施しようがなく、死亡した人々の氏名、年齢、住所も分からなく荼毘に付したとのことで、地域住民として地蔵菩薩をお祀りし致しました。(合掌)



宮橋、玉造湯神社の前にあります。

湯薬師広場のたらい湯、源泉が出ています。

湯閼伽の井戸(恋来井戸)

玉造川で一休みの鷺

玉造川

足湯でゆったり



玉造川での源泉



案内図

セグロセキレイ

姫神広場

姫神様

神話の神様の案内図

因幡の白兎の神話



八俣大蛇退治神話



八十神の迫害神話

根の国の訪問神話



佐太大神の誕生神話





恋山神話

大国主命の妻問い神話





三種の神器











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雲樹寺

2014-11-24 14:43:46 | 島根
2014年11月21日、お参りしました。安来・清水寺から県道257号線を南西に3Kmほどのところです。
山号は、瑞塔山で雲樹寺(うんじゅじ)です。宗派は臨済宗妙心寺派、元亨2年(1322)、弧峰覚明禅師が開山しました。後醍醐・後村上両朝の勅願寺です。
島根県安来市清井町281
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山門



手水舎













仏殿



高麗梵鐘(朝鮮鐘・国重要文化財)で日本最古といわれる新羅時代の鐘







六地蔵

四脚門を取り忘れました。(;_;






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