旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

西宮神社

2015-09-05 22:04:47 | 尼崎・西宮・芦屋
2015年9月4日、お参りしました。阪神電鉄西宮駅の南西に鎮座しています。
兵庫県西宮市社家町1番17号
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説明書より
「西宮神社は、福の神様として崇敬されているゑびす様をおまつりする全国の総本社として広く信仰されています。ゑびす様は神戸和田岬の沖で出現され、鳴尾の漁師がおまつりしていましたが、西の方に宮地があるとの神託でこの地へおこしになられたと伝えられています。その年代は明らかではありませんが、平安時代後期には、すでに文献に見ることができます。古くから漁業の神として信仰されてきましたが、門前に市が立ち、西宮の町の発展と共に商売繁盛の神様として、又、人形操りなどの芸能や七福神信仰を通して、さらに津々浦々へと広がっていきました。」

大練塀(重要文化財)
説明書より
「当社の境内地を取り囲む築地塀のうち、東面及び南面に築かれている全長247メートルの練塀は、平均長さ4メートル単位の築地62ケ塀を連ねたものである。建立の年代は、先の大戦による損傷修理の際出土した宋銭明銭により室町時代初期(約600年前)以前と推定される現存最古の築地塀である。昔から京都三十三間堂の太閤塀並びに、名古屋熱田神宮の信長塀と共に三大塀の一つに数えられている。」







鳥居

由緒書

燈籠

表大門(重要文化財)

梅宮神社

常夜燈

参道





神恵美酒神社





神苑



南門

芭蕉句碑





雨宮神社





自動車祓所

参道

境内図

参道

六英堂







西宮神社会館

祓所

手水舎

社務所

拝殿













本殿

青銅神馬











瑞宝橋(登録有形文化財)





宇賀魂神社

伊勢神宮遥拝所





神興殿

火産霊神社

百太夫神社

六甲山神社

大国主西神社

神明神社





松尾神社



嘉永橋

市杵島神社

神池石垣寄進碑









銅鐘(西宮市指定文化財)



庭津火神社

歌碑



神馬


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尼崎戎神社、貴布祢神社、櫻井神社

2015-09-05 22:01:10 | 尼崎・西宮・芦屋
2015年9月4日、阪神電鉄尼崎駅の寺町を散策した後に、周辺の神社にお参りしました。
尼崎戎神社
阪神尼崎駅の北側線路沿いに少し西に鎮座しています。赤い大きな鳥居が目に入ります。
兵庫県尼崎市神田中通3丁目82
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説明書より
『尼崎の古名「琴之浦」発祥の祖神にして創建時代は不詳なれども伝説では醍醐天皇以前となっており菅原道真公の筑紫の太宰府に赴かれる途中風光絶佳なこの浦に心引かれて当神社に御仮泊「ここは殊のほかのよき浦なり又松は琴柱の並びたるが如し」と激賞されました。』

鳥居









拝殿

六福かえる



願かけ馬













戎神社から少し西に歩いて、南に下ります。
貴布祢神社
兵庫県尼崎市西本町6丁目246番
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説明書より
「当社は応神天皇の御代、当地海人部の民の守護神として、長洲の地に奉斎された伝統をもつ古大社です。文亀元年(1501)の大洪水をはじめ、元禄6年(1693)及び文化13年(1816)の火災により史実の文書が散逸焼失したため由緒の探求は誠に難しいところです。尼崎の総氏神にして往古には社領が800石ありました。また中世以来、尼崎城主の崇敬篤く、代々祈願所を務めて参りました。ご社殿の造営をはじめ、祭礼費用などを負担され、元尼崎城内三の丸に鎮座していました。元和3年(1617)の戸田氏鉄による改築城の際、現在の西桜木町に、現社地には正徳5年(1715)に遷座しました。」

北鳥居

南鳥居

神門





常夜燈

石碑

青い鳥居

手水舎

拝殿

本殿



榎社





相殿社

愛敬三社

市庭戎神社



白龍社

白波稲荷神社
拝殿

本殿









貴布祢神社を後にして、国道43号線に沿って、東に向かい庄下川を越え北に少し歩きます。
櫻井神社
兵庫県尼崎市南城内116-11
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御祭神は桜井信定公他歴代城主です。
説明書
「当神社は、廃城後、藩主桜井家の治績を偲び永く遺徳を讃えんものと、創建団体、信愛社を結び、旧尼崎町、別所を中心に、旧藩地内の有志を募り、明治15年、西二の丸跡に建立したのを、昭和36年、現在地、西三の丸跡へ遷宮した。本社には、郷土開拓の祖ともいうべき歴代の尼崎城主の御霊をおまつりしている。」









拝殿(兵庫県指定文化的建造物)









本殿(兵庫県指定文化的建造物)



尼崎城天守の棟瓦

契沖社



人形納所

多賀得



尼崎瓢箪山稲荷神社





神興庫



博愛地蔵








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長遠寺・本堂(重要文化財)

2015-09-05 22:00:48 | 尼崎・西宮・芦屋
2015年9月4日、お参りしました。日蓮宗の仏教寺院で、山号は大尭山です。
兵庫県尼崎市寺町10
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説明書より
『本尊は題目宝塔と釈迦多宝の一塔二尊です。当寺の「大尭山縁起」によれば、観応元年(1350)永存院日恩上人の開基と伝えられています。はじめ、尼崎の北、七ツ松に創設されたといわれていますが、その後市場・巽(辰己)-現在の東本町にあたる地に再興され、元和年間(1615~24)の尼崎城築城に際して現在地に移転しました。本堂は入母屋造、本瓦葺です。柱上の組物や軒屋根の傾斜などに桃山時代の建造美をうかがうことができます。昭和56~58年の解体修理によって慶長3年(1598)に建立され、元和9年(1623)に当地に再建されたことが判明しました。多宝塔も、棟札に慶長12年(1607)とあり、移築されたものと考えられています。塔身は円形で軒そりの形が良く、組物や蟇股などの形態には桃山時代の特徴がよく表れています。いずれも国の重要文化財に指定されています。客殿・庫裏・鐘楼の三棟は慶長の頃の貴重な建造物で、県指定文化財に指定されています。その他室町時代の銘をもつ鰐口・雲板、裏書に永禄8年(1565)と記された絹本著色涅槃図、元亀3年(1572)~天正16年(1588)にいたる古文書が市指定文化財に指定されています。』

山門



手水舎

本堂(重要文化財)





妙見宮



神馬

護国社

大善神社





秋山自雲神霊位





鐘楼(兵庫県指定有形文化財)





多宝塔(重要文化財)

















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本興寺・開山堂(重要文化財)

2015-09-05 21:58:55 | 尼崎・西宮・芦屋
2015年9月4日、お参りしました。阪神尼崎駅の西南側の寺町の一角です。
兵庫県尼崎市開明町3-13
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説明書
「法華宗四大本山の一つである当寺は、応永27年(1420)の創立(開基は日隆聖人)であり摂津国守護細川満元が大物の若宮八幡宮の境内地を寄進して着工し、同30年に竣工したと伝えられています。日隆聖人によって寺内に勧学院がつくられ、以降法華宗教学の根本道場となり、元和3年(1617)尼崎城築城に際して、現在地に移転しました。多数の文書・典籍・什器類が伝来していますが、宗門関係ばかりではなく、戦国時代の尼崎町民の動きをも知ることもできます。寺宝の数珠丸(国指定重要文化財)は日蓮大聖人が信者から献じられ、守護刀として所持していたものです。建造物では開山堂(国指定重要文化財)は室町時代の唐様建築様式を持ち、内陣には日隆聖人坐像(国指定重要文化財)が安置されています。この坐像は写実的な木彫で、聖人御生前中の作と伝えられています。また三光堂(国指定重要文化財)は、三光天子(日・月・星の神)、鬼子母神、三十番神等の法華経守護の諸神を祀っている桃山時代様式の建造物です。元和3年に移築された大方丈(国指定重要文化財)は、床まわりに優雅で剛健な室町時代の美がみられ、室内の襖絵、庭園と合わせて書院構えの優れた建造物・技法も特筆されます。」

山門













三光堂(重要文化財)、三間社流造銅板葺
説明書
「もと大物浦にあったものを元和6年(1620)現地に移したもので、拝殿は慶長2年(1597)豊臣秀吉、加藤清正再建である。三光堂というのは、三光天子、鬼子母神、日本大小の神祇等の、法華経信徒守護の善神を祀る故名づけられた。細部の手法甚だ巧みである。」



鐘楼堂(兵庫県指定重要文化財)



本堂















御霊水井戸
「御開山日隆聖人、応永27年(1420)当山創建のおり、聖人が境内の乾の方角に井戸を掘られたところ清水がこんこんととして溢れ出て、水の乏しい尼崎住民の渇きをうるおすこと数世紀、市制上水道完備の大正5年まで、市民の飲料に供せられた。如何なる炎天にも不増不滅の霊水として、今なお世人の崇敬するところである。」





本教院

開山堂(重要文化財)
「この開山堂は、彫像として重要文化財である御開山日隆聖人の尊像を奉安し、文明元年(1469)の創建である。構造は撞木造で、正面を入母屋造とし、前方に軒唐破風、後方に切妻屋根を突出し、二重扇垂木の変化に富んだ形態である。」





大方丈(重要文化財)
説明書
「大方丈は、はじめ大物浦にあったが、元和3年(1617)尼崎城築城のため他の諸堂と共に現在地に移築されたものと伝えられていたが、昭和54年、55年の両年にわたる解体修理の際の調査により、一部古材の使用が認められるが現在地で建立されたことが確認され慶安元年(1641)、元禄年間、文政8年の修理の記録も発見された。」



尭運院





笠塔婆(尼崎市指定文化財)

日隆聖人荼毘所塚



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全昌寺、甘露寺、法園寺(佐々成政の墓碑)、大覚寺(尼崎最古の名刹)、如来院、専念寺(平重盛菩提寺)

2015-09-05 21:56:38 | 尼崎・西宮・芦屋
2015年9月4日、連日の雨が上がり、阪神電鉄尼崎駅周辺を散策しました。駅の南西側に寺町があります。1600年代に尼崎城築城を機に、寺町が形成されました。駅前は高層ビルが立ち並びますが、寺町は江戸時代から現在までの歴史を見つめてきたという感じです。駅の西口を南に少し行きます。
寺町案内図

全昌寺
兵庫県尼崎市開明町3-11
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曹洞宗の禅宗寺院で、山号は桃源山です。
説明書より
「全昌寺は、戸田家の菩提寺として膳所が崎(現在の大津市)に建立されましたが、元和3年(1617)戸田氏鉄が尼崎藩主として移封移城の際、随伴した雪山呑秀和尚によって尼崎に再興されたものです。開基は、戸田甚五郎と伝えられ、寺町で唯一の曹洞宗の寺院です。曹洞宗の本山である総持寺(神奈川県)の輪番地寺院としてたびたび禅師を送り出した名刹です(曹洞宗は福井県の永平寺と総持寺を二大本山と仰ぎます。)。文政5年(1822)出火の際に、貴重な記録類をはじめ、多くの品々が焼失しましたが、山門、鐘楼堂、本尊釈迦如来像、月舟宗湖筆の観音堂扁額、十六羅漢、魚藍観音像、涅槃図は焼失を免れました。檀家には尼崎藩旧松平家の家臣も多く、藩学者の豊島成温、内田頼重らの墓所としても知られています。鐘楼堂は阪神・淡路大震災で被災し、再建されました。」

山門

東門

観音堂

本堂

鐘楼堂

境内





甘露寺です。境内は入れませんでした。
兵庫県尼崎市寺町6
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本堂の棟の上には鳳凰が守っています。

山門





法園寺
浄土宗の寺院で、山号は恵光山です。
兵庫県尼崎市寺町5
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説明書より
「開基は天文年間(1532~55)、勝誉恵光法園上人と伝えられ、元和年間(1615~24)に寺町に移転しました。当寺には佐々成政の墓碑があります。成政は織田信長に仕え、猛将として名を馳せ、その功により越中守に任じられます。本能寺の変後は、織田信雄(信長の次子)を奉じ天正12年(1584)小牧長久手戦に参戦しますが敗れ、のち豊臣秀吉に属することになります。肥後守在任中、領地内で反乱がおこり、その責により幽閉され、天正16年(1588)閏5月14日に切腹を命じられます。恨みの秀吉のいる大坂城の方向に自らの臓腑を投げつけたと伝えられています。寺宝として、後陽成天皇(1571~1617)直筆の和歌一首「なき人のかたみの雲やしぐるならん 夕の雨に途はみえねと」の掛軸や成政の肖像画があります。特に山門の内に桐、外には菊の紋があり、由緒ある寺院を偲ばせています。」

山門

佐々成政公供養五輪塔

佐々成政公生涯の石碑



大覚寺
律宗の寺院で、山号は月峯山です。推古13年(605)聖徳太子が百済の高僧日羅上人に命じて長州の浦に作らせた寺と伝えられています。
兵庫県尼崎市寺町9
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山門



寺碑

手水舎

能舞台

契沖の歌碑

薬師堂







聖天堂

稲荷社・貴布社・加茂社・石清水八幡社

芦狩島の説明書

芦狩山の由来

弁天堂





燈炉堂







寺町の通り

如来院
浄土宗の寺院で、山号は珠光山です。
説明書より
「当院は、元祖円光大師(法然上人)25霊場第4番札所です。沿革は、奈良時代に聖武天皇の厄除を祈願して、行基菩薩が神崎(尼崎市神崎町)に、神崎釈迦堂を建立したのが始まりと伝えられています。当院には遊女物語が語り継がれています。鎌倉時代に法然上人が立ち寄られた時、お説教を聞いた5人の遊女達は、頭の黒髪を切りとり出家者となって、お念仏を称えながら入水往生しました。その後、当院は戦国時代、城主細川高国の菩提寺となり、旧尼崎城下(現在の大物町)に移り、江戸時代には現在の寺町へ移転しました。当院の銅鐘(市指定文化財)は、応永32年(1425)の年号があります。始めは島堂(現在の豊中市内)の勧進寺のものとして鋳造されて、のち伝来したものです。また、県下に誇る石造美術品として、花崗岩製の笠塔婆(市指定文化財)があります。嘉暦2年(1327)、両親の33回忌の供養の為に建てられたものです。」

山門











本堂





笠塔婆

鐘楼



専念寺、境内は入れませんでした。
兵庫県尼崎市寺町12
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説明書より
『寺伝によると、当寺は治承元年(1177)、「小松内大臣」と呼ばれた平重盛が、東長洲に建立したのが始まりとされる。仏教に信仰の厚かった平重盛は、晩年、法然上人に出会い、念仏の教えに深く帰依した。そして、自身の極楽への往生を願い、阿弥陀如来を本尊とする当寺を建立した。重盛没後、子息に相続されたということはなかったようであるので、重盛の私堂ではなく、まさしく一寺院として建立されたといえる。しかし、残念ながら建立からわずか2年後の治承3年(1179)に重盛が亡くなった。残された当寺はその直後、朝廷より、建立者重盛の菩提を弔う寺(菩提所)とされ、そして同時に、重盛の生前の朝廷(政権)における功績により、朝廷より朱塗りを施した表門(山門)を許された、と伝えられている。以来、山門は赤門であった。』

山門(赤門)

本堂

寺町通

寺町の北側の通


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