旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

仁科神明宮(神明造で唯一の国宝)

2016-11-06 23:00:58 | 長野
2016年11月3日お参りしました。2泊3日の長野観光の初日の最後の観光地です。こちらの神社は神明造の建築物としては、唯一の国宝です。
説明書より「当社は昔、皇大神宮御領であった仁科御厨の地に勧請されたお社です。その創始年代は明らかではありませんが、神宮雑例集によると後冷泉天皇の永正年にはじめて 信濃に御厨が建立されていた、記事が見えるのでこの時にはすでに建立されていた事のではないかと考えられます。」
長野県大町市社宮本1159
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一の鳥居





御神木





手水舎





ニの鳥居

三の鳥居

参道と神門

末社

神楽殿

案内図

拝殿

中門・釣屋・本殿(国宝)
「本殿は、桁行3間、梁間2間、神明造、檜皮葺。中門は四脚門、切妻造、檜皮葺。釣屋がこれらを連結している。ともに寛永13年(1636)の造営で、江戸時代初期の端整な建築である。神明造の建築物としては、わが国で唯一の国宝である。創祀については不明だが、平安時代に遡ると考えられている。」





お疲れ様でした。旅館に行きます。
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松本城

2016-11-06 22:58:10 | 長野
2016年11月3日行きました。2泊3日で長野観光をしました。11月3日は松本まつりとお城まつりで市内は歩行者天国で交通規制がされていました。武者行列やお城での菊花展などが催されていました。現存する天守の1つなので、是非ともと思い、神戸から420kmの高速道路を乗り継いでの観光です。筑摩神社から移動ですが、非常に渋滞していました。駐車場に2.5kmほどだけど30分ほどかかりました。
長野県松本市丸の内4-1
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パンフレットより
「松本城は戦国時代の永正年代初めに造られた深志城が始まりです。戦国時代になり世の中が乱れてくると、信濃府中といわれた松本平中心の井川に館を構えていた信濃の守護小笠原氏が、館を東の山麓の林地区に移すと、その家臣らは林城を取り囲むように、支域を構えて守りを固めました。深志城もこの頃林城の前面を固めるために造られたのです。その後甲斐の武田信玄が小笠原長時を追い、この地を占領し信濃支配の拠点としました。その後天正10年(1582)に小笠原貞慶が、本能寺の変による動乱の虚に乗じて深志城を回復し、名を松本城と改めました。豊臣秀吉は天正18年(1590)に小田原城に北条氏直を下し天下を統一すると、徳川家康を関東に移封しました。この時松本城の小笠原氏は家康に従って下総へ移ると、秀吉は石川数正を松本城に封じました。数正・康長父子は、城と城下町の経営に力を尽くし、康長の代には天守三棟(天守・乾小天守・渡櫓)はじめ、御殿・太鼓門・黒門・櫓・弊などを造り、本丸・ニの丸を固め、三の丸に武士を集め、また城下町の整備をすすめ、近世城郭としての松本城の基礎を固めました。天守の築造年代は、康長の文禄2年から3年(1593~4)と考えられています。」



乾小天守と大天守(国宝)







鴨さんもいました。



案内図



天気も良くて、最高ですね。

内堀の外を黒門に向かって移動です。



ニの門
「内堀を渡ったところにある門で、高麗門です。」

黒門
「本丸に入る正門で、櫓門と枡形からなり、本丸防衛の要である。一の門(櫓門)は昭和35年に復興しました。」







イベントをしていました。



大天守

乾小天守と渡櫓
「渡櫓は、天守と乾小天守をつないでいます。天守閣の入り口である大手口は、頑丈な扉があり、簡単には中に入れないように造られています。」

石落と狭間
「天守閣では、戦国時代の主力武器であった鉄砲戦への様々な備えを見ることができます。厚い壁には矢狭間・鉄砲狭間があわせて25ケ所あり、天守・乾小天守・渡櫓の一階には石落が設けられています。石落は石垣を登ってくる敵を防ぐ工夫で、狭間と同じように鉄砲を使っての攻撃も可能な武備でした。」

城内に入ります。
丸太柱(乾小天守)
「乾小天守の内部は丸太柱がたくさん使われています。3・4階の12本の丸太柱も、城が最初に建てられたころのもので、400年以上たっています。」



階段

















展示品



















狭間

























最上階の天井

二十六夜神



天守から見た城まつりのイベント

眺め

























梁、釿で削った痕

展示品

























太鼓門















ニの丸御殿跡











ニの丸裏御門橋





松本市まちめぐり案内

次は仁科神明宮にお参りします。市内の交通規制と渋滞、そして天守に登るのに行列で時間が足りなくなりました。城下町散策や旧開智学校にも行きたかったけどパスです。
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筑摩神社(つかまじんじゃ)・松本市

2016-11-06 22:55:54 | 長野
2016年11月3日お参りしました。今回の旅行は長野県内を2泊3日で観光しました。神戸を朝8時過ぎに出発し、山陽自動車道、中国自動車道、名神高速道路、中央自動車道と約420kmをひたすら走り、14時頃に着きました。当日は松本市内で祭があり、通行規制がされていました。その為、迂回と渋滞でした。
「延暦13年(794)、石清水八幡宮より勧請を受けて創建され、信濃国府の国府八幡宮とも称し、鎌倉以後は信濃守護の小笠原氏の祖神として崇敬された。本殿は永享8年(1436)に焼失した後、同11年(1439)に小笠原政康により再建され、室町時代の建築様式をそのまま残している。」
長野県松本市筑摩2-6-1
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本殿が松本地方最古の建造物ということで、松本城に行く前に寄りました。
一の鳥居

文化財の説明書

狛犬



社務所

ニの鳥居

神門

拝殿(長野県宝)
「慶長15年(1610)松本城主石川康長の建造奉献したもので建築様式は入母屋造、屋根は柿葺、桃山時代の特長をあらわしている。」





燈籠

本殿(重要文化財)
「室町時代の永享11年(1439)信濃の守護小笠原政康が再建献納したもので建築様式は三間社流造、屋根は檜皮葺、様式、組物等に時代の特長が残り優れた建造物である。」

銅鐘(松本市重要文化財)
「室町時代の永正11年(1514)信濃の守護小笠原長棟の奉鋳献納したもので予組む時代の特長をあらわしており松本平最古の銅鐘である。」

絵馬殿

神輿庫















次は松本城に移動します。
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