旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

前山寺(上田市)

2016-11-08 22:00:15 | 長野
2016年11月4日お参りしました。長野2泊3日の旅行で、松本城、善光寺、松代と観光し、上田市内の寺院巡りです。
縁起「独鈷山麓にある古刹で、本尊は大日如来。弘仁年中(812)空海上人が護摩修行の霊場として開創したと伝えられている。当初古義真言宗として法相、三論両宗を兼ねていたが、元弘年中(1331)讃岐国善通寺より長秀上人が来止し、正法院を現在の地に移し、前山寺を開山したと伝えられている。塩田城の鬼門に位置し、その祈祷寺として、武将の信仰も厚かった。貞享年中(1684~)鶏足寺を離末し、京都の智積院末となり新義真言宗信州常法談林所として教学の殿堂であった。かつては40数ケ寺の末寺をもと、歴史のある寺として知られている。」
入山料200円です。
長野県上田市前山300
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案内図

縁起書

薬医門

境内

休憩所

本堂











鐘楼堂



三重塔(重要文化財)
「室町後期(1467-1572)建築、三間三重塔婆、こけら葺」















宝篋印塔

明王堂
















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長野市松代、恵明禅寺・旧横田家住宅・大英寺・證蓮寺・長国寺・矢沢家表門

2016-11-08 21:07:06 | 長野
2016年11月4日、長野市松代を散策しました。
恵明禅寺
「延宝5年(1677)3代藩主真田幸道の開基により造営された黄檗宗寺院で、正室豊姫の墓所です。度重なる災禍で山門以外は焼失しましたが、天保4年(1833)8代藩主真田幸貫により、本堂・御霊屋・鐘楼・庫裏などが再建され、現在に至っています。本堂には幸貫自作の布袋和尚像を安置しています。」



山門(登録有形文化財)
「延宝5年(1677)建造、伽藍正面に位置する一間棟門。切妻造桟瓦葺。粽付の面取方柱を礎石上に建て、上部に三斗を組み、棟木を支持する。本柱間は?で固め、男梁女梁を前後に出し、軒桁を支持する。一軒半繁垂木。独特の構造になるが、中備の蟇股や絵様など時代相応である。」

縁起書



鐘楼(登録有形文化財)
「天保4年(1833)建造、本堂の東方、門との間に位置する。桁行一間梁間一間、2階建の鐘楼。入母屋造桟瓦葺。石積基壇上に建ち、柱は四方転びで、直接に桁や梁を支持。軒は一軒疎垂木。1階の下半部を竪板張、他を漆喰仕上げとし、袴腰風に見せる。特異な形態になる鐘楼。」



























豊姫の霊屋










井上操生誕の地

代官町











旧横田家住宅(重要文化財)
「江戸後期の寛政6年(1794)建築、桁行16.2m、梁間8.7m、寄棟造、北面玄関附属、寄棟造、南面突出部、二階建、寄棟造、東面便所附属、茅葺。旧横田家住宅は松代藩真田家に仕えた中級武士の屋敷で、式台や客座敷を備えた茅葺屋根の主屋をはじめ、表門、隠居屋など附属屋もよく揃い、改造も少ない。松代の武家住宅の代表例で、屋敷構を現在に伝えるものでは全国的に数少ない貴重な遺構である。」
表門





金刀比羅宮





大英寺
「初代藩主真田信之が妻・小松姫の菩提を弔うために開いたお寺です。」工事中でした。




















證蓮寺
「真宗大谷派親鸞聖人の最初の弟子、法眼淨賀を開基として東条村に建立。」
山門(登録有形文化財)
「境内の西辺中央に構える。間口二・一メートルの四脚門形式、切妻造桟瓦葺で、棟両端に鯱を飾る。軸部を黒色塗とし、桟唐戸を吊る。彫刻等の装飾を抑えた端正な外観ながら、規模や構造は市内の歴代藩主霊屋の表門と類似し、風格のある佇まいを見せる。」



本堂(登録有形文化財)
「桁行一四メートルの堂で、正面に一間向拝を付す。平面は標準的な真宗寺院本堂形式で、外陣中央間と矢来内の間に絵様虹梁を架けて結界を表す。棟の短い寄棟造屋根を持ち、松代における寺院本堂の特徴的な外観をみせる。」

聖徳太子堂(登録有形文化財)
「境内南側に北面して建つ、切妻造妻入、桟瓦葺。正面に向拝状の下屋を付し、妻壁に唐草など、堂内の組物間に雲龍や瑞獣などの鏝絵を施し、巧緻な左官技術を見せると共に、内外を華やかに飾立てる。大火後に市民の浄財により再建された堂で、往時の隆盛を伝える。」



鐘楼(登録有形文化財)
「境内南西隅に位置し、高い亀甲積基壇上に建つ方一間吹放ち形式の鐘楼。南北棟の入母屋造で桟瓦を葺き、軒は二軒繁垂木である。面取角柱を四方転びに立て、柱上に三斗、中備に蟇股を配する。通りからも望見され、松代城下の景観に寄与する鐘楼である。」





祝神社







拝殿(登録有形文化財)
「桁行7間、梁間3間規模、入母屋造、桟瓦葺、妻入。正面向拝は唐破風付きで彫刻で飾る。内部は2室で奥間の床を一段高くする。正面1間を吹放し3方に縁を廻す。鬼瓦には六連銭を表す。本殿と同年代の建立で一体となって歴史的景観を形成する。」





本殿(登録有形文化財)
「文化9年(1812)建造、銅板葺の二間社流造の社殿で、縁及び浜床を高くとり、均整のとれた外観を示す。脇障子に唐獅子を表し、向拝中備の龍や木鼻の象など、各所に彫物をあしらい華やかに飾る。松代町方の総鎮守神、産土神として地元で親しまれてきた。」

西宮神社

長国寺
「真田山の山号を持つ、真田家の菩提寺。真田家歴代藩主の墓があるほか、信之、信弘の御霊屋があります。」





































矢沢家の表門(長野市指定有形文化財)









お疲れさまでした
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長野市松代、旧樋口家住宅・旧白井家表門・馬場家長屋門・象山神社・山寺常山邸

2016-11-08 21:06:39 | 長野
2016年11月4日行きました。長野2泊3日の2日目、善光寺にお参りした後に松代を散策しました。
信州松代は真田10万石の城下町として、史跡が残っています。
長野県長野市松代
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松代案内図



恩田民親像





旧樋口家住宅(長野市指定文化財)
「旧樋口家は江戸時代、真田家の家臣として、藩の目付役(監査官にあたる役職)などを務め、江戸時代末期には禄高が230石でした。江戸時代の樋口家住宅は、他の藩士たちの住宅と同様、一種の公舎でした。敷地のほぼ中央には泉水路が東西に流れ、敷地の南側は、現在は雑木林と竹林、庭園ですが樋口家の時代は畑として使用されていました。一方、北側には主屋を中心とした建物があり、現在は主屋、土蔵、長屋、屋敷神の祠、表門、土塀、板塀がありますが、主屋、土蔵、長屋の3棟が、長野市の市文化財に指定されています。」





































旧白井家表門 (長野市指定有形文化財)
「この門は、表柴町に建っていたものだが、平成12年に現在地に移築復元した。建築年代は、松代藩文書などから弘化3年(1846)であることがわかっている。白井家は、松代藩の中級武士であり、真田家家中明細書によると、白井初平が高百石、元方御金奉行、御宮奉行などを務めた。子の平左衛門も文武学校権教授に出仕し、また、佐久間象山とも親交を蜜にしていた。表門は、三間一戸門形式の長屋門で、門部は、太い槻の角材でつくってある。間口が20メートル余の長大な門で、背面に三つの居室部を付設し、白井家の陪臣武士などが居住したと見られ、門に住宅が続いているのも珍しい例といえる。桟瓦葺の大型の長屋門は、松代藩では、天保期から多くなっているが、それ以前は茅葺が一般的であった。旧白井家表門は、長大な間口に対して、茅屋根を低くおさえ、正面は門口の左右に出窓と与力窓のみの単純構造で意匠性に優れている。松代藩中級武士の代表的な表門として、旧松代城下の面影を今に伝える貴重なものである。」









馬場家長屋門 (登録有形文化財)
「江戸後期(1751-1829)建造、桁行7間半,梁間2間の平屋建、茅葺で、現在は金属板の仮葺とする。両開きの門扉脇に潜戸を設ける。門北側に2間、南側に土間の物入を設ける。真壁造の白漆喰仕上げで、腰を押縁下見板張とする。武家町の規模の大きな長屋門。」







象山公園



象山神社
「幕末の先覚者佐久間象山を祀る神社、象山が幕末の志士たちと国家の時勢を論じたという高義亭、京都から移築した茶室・煙雨亭、象山宅跡(県史跡)、誕生の碑等があります。本殿等は国の登録有形文化財、園池は登録記念物に指定されています。」

鳥居

手水舎

拝殿・祝詞殿(登録有形文化財)
「拝殿は南面して建つ向拝付の入母屋造で、両側面後ろ寄りに切妻造の神饌所を設け、後方には切妻造の祝詞殿(幣殿)を突出する。拝殿は正側面とも蔀戸を用い、住宅風である。装飾細部を抑えた簡明な意匠で、複雑で変化に富んだ構成を纏めている。」



本殿(登録有形文化財)

高義亭(長野市指定文化財)



象山神社斉館(登録有形文化財)







象山神社宝殿(登録有形文化財)
「境内中央西寄りにある。東面した切妻造、銅板葺で、切石積基壇上に建ち、角柱を立てて舟肘木を受ける。外壁は腰までを板張、上部を漆喰壁とし、両側面に縦連子窓を設ける。小規模であるが、通風口や縁・階段の形式等に工夫を凝らしている。」



社務所(登録有形文化財)
「境内南に西面して建つ。入母屋造、銅板葺の南北に細長い建物で、北寄りに切妻造玄関を設ける。南半は西と東に座敷や式台玄関を突出し、複雑な屋根を巧みに処理している。真壁造で、角柱に舟肘木をあげた端正な外観で、床・棚付の座敷等は上質なつくりになる。」

園池(登録記念物)





佐久間象山の説明書

佐久間象山像



山寺常山邸
「山寺常山は、佐久間象山、鎌原桐山とともに松代の三山と称せられました。8代藩主真田幸貫の信望も厚く、藩政にも尽力し、寺社奉行、郡奉行を務めたほか、藩士に兵学を教授し、また藩主の側にあってその政務を補佐していました。山寺常山邸は、松代城下に残る門の中では最大である長屋門形式の表門、表門と渡り廊下でつながり近代和風建築の秀作である書院、神田川の水を引き入れている池(泉水)を湛えた庭園が残されています。」
表門(登録有形文化財)
「桁行23メートルを測る。中央の門は間口2.1メートルで、門の左右に出格子や与力窓を設け、前面の腰に下見板を張る。武家屋敷の正面構えに相応しい風格をもつ表門で、地域の街路景観の核となっている。」













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善光寺

2016-11-08 16:13:20 | 長野
2016年11月4日お参りしました。長野県2泊3日の旅行です。「牛に引かれて善光寺参り」ということで、行きました。「昔話の逸話で小諸に住む老婆が布を干していたところ、牛が角に引っ掛けて、善光寺まで行ったので、それを追いかけた老婆は、寺の中に光明を見て、信心を深めていったとのことです。」
善光寺は、『御本尊は一光三尊阿弥陀如来で、日本最古の仏像といわれています。皇極天皇元年(642)現在の地に遷座し、皇極天皇三年(644)には勅願により伽藍が造営され、本田善光の名を取って「善光寺」と名付けられました。その後幾度の火災に遭いました。江戸時代、徳川家康より寺領千石の寄進を受け、次第に復興を遂げ、泰平の世が続き、一生に一度は善光寺詣りをと、多くの人々が参詣されました。一貫して男女平等の救済を説く寺院として知られています。江戸時代にも火災に遭い、全国各地の浄財をもって、宝永4年(1707)には現在の本堂を落成し、続いて山門、経蔵などの伽藍が整えられました。』
参拝用第1駐車場に止めて、お参りします。
長野県長野市元善町491
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善光寺案内図

境内は紅葉になっています。

迷子郵便供養塚



花霊碑



徳川家康大奥供養塔







本堂(国宝)
「江戸中期の宝永4年(1707)再建、桁行十四間、梁間五間、一重もこし付、撞木造、妻入、正面向拝三間、軒唐破風付、両側面向拝各一間、総檜皮葺。柱はすべて丸柱で、入側柱が高く、三手先組物で軒を支え、T字形の棟をもつ入母屋造屋根をかける。
 善光寺本堂は、奥行の深い平面を持つ規模の宏壮な建物で、独創的な形状は、仏殿建築として一生面を開いたものと云える。その非凡な設計は德川時代中期に於ける傑作である。」

























鐘楼
『嘉永6年(1853)の再建で、6本の柱を持つ珍しい形式です。柱の本数は「南無阿弥陀仏」の六字名号にちなむと言われています。』

梵鐘(重要美術品)
「寛文7年(1667)鋳造の名鐘です。「日本の音風景百選」に選ばれ、平成10年2月7日の長野冬季オリンピックでは、この鐘の音が開会の合図として全世界に響き渡りました。」





山門(重要文化財)
「江戸中期の寛延3年(1750)再建、五間三戸二階二重門、入母屋造、檜皮葺。間口と高さは約20m、奥行は約8mある。規模の大きい五間三戸の二階二重門である。二階は高欄付縁を回し、内部は中の間後方寄りを仏壇として文殊および四天王を祀る。三門は、本堂、経蔵とともに近世大寺院の伽藍にふさわしい規模を示すものとして貴重である。」

扁額
「文字の中に鳩が描かれています。善の文字の2つの点、光の文字の2つの点、寺の文字の点。そして善の文字が牛の顔に見えるとのことです。」











手水舎

濡れ仏(重要美術品)
『享保7年(1722)に完成した、高さ約2.7mの延命地蔵菩薩坐像です。六十六部(日本全国を行脚する巡礼者)の供養のため、法誉円信が広く施主を募って造立したものです。江戸の大火の火元として処刑され、のちに歌舞伎や浄瑠璃の題材となった「八百屋お七」の冥福を祈り、恋人の吉三郎が造立したという説もあります。』

六地蔵

みやげ物店

駒返り橋

みやげ物店





旧如来堂跡地蔵尊
『善光寺本堂は、古くは「如来堂」と呼ばれ、皇極天皇元年(642)の創建から元禄13年(1700)までの間はこの場所にありました。この地蔵尊は、旧本堂の瑠璃壇(ご本尊・善光寺如来さまを安置した壇)の位置に建てられていました。」

釈迦堂、仁王門から山門の間の仲見世通りの途中の路地の奥にあります。











金箔の龍











善光寺世尊院



花ケ池

蓮華院

仲見世通りのみやげ物店







堂照坊








堂明坊







大本願





唐門







仁王門
「現在の仁王門は、当県山県村の永田平太郎をはじめとする全国の篤志により、大正7年(1918)に再建されました。間口約13m、奥行約7m、高さ約14m、屋根は銅瓦葺です。仁王像および背面の三宝荒神像・三面大黒天像は、近代彫刻の巨匠高村光雲と米原雲海の合作です。「定額山」の額は伏見宮貞愛親王の御筆によるものです。」







石畳
「仁王門の前に7777枚の石畳が敷き詰められています。」















大勧進



















仏足石











日本忠霊殿



牛様

無縁仏供養塔



雲上殿

お疲れ様でした。次は松代に行きます。
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