2016年11月11日、明石公園での菊花展に行きました。明石城を背景に菊が見事に転じされています。
2016年11月5日、重要伝統的建造物保存地区の妻籠宿散策しました。長野2泊3日の旅行で神戸の帰路の途中に寄りました。
「江戸と京を結ぶ中山道は、山深い木曽路を通ることから木曽街道とも呼ばれていました。中山道六十九次のうち江戸から数えて四十二番目となる妻籠宿(つまごししゅく)は、中山道と伊那街道が交叉する交通の要衝として古くから賑いをみせていました。」
駐車場の叶ぴんころ地蔵
妻篭宿の案内図
枡形
観光客もそこそこいました。お疲れ様でした。もう16時になりました。神戸にたどり着けるのかなあ。
「江戸と京を結ぶ中山道は、山深い木曽路を通ることから木曽街道とも呼ばれていました。中山道六十九次のうち江戸から数えて四十二番目となる妻籠宿(つまごししゅく)は、中山道と伊那街道が交叉する交通の要衝として古くから賑いをみせていました。」
駐車場の叶ぴんころ地蔵
妻篭宿の案内図
枡形
観光客もそこそこいました。お疲れ様でした。もう16時になりました。神戸にたどり着けるのかなあ。
2016年11月5日、重要伝統的建造物保存地区の奈良井宿を散策しました。長野2泊3日の旅行で、松本城、善光寺、上田、諏訪、などを観光し、神戸への帰路に寄りました。
「中山道の奈良井宿は、鳥居峠上り口にある鎮神社を京都側の端に、奈良井川沿いを緩やかに下りつつ約1キロにわたって町並みを形成する、日本最長の宿場です。」
木曽路の宿場町の案内図
賽川宿、奈良井宿、薮原宿、宮ノ越宿、福島宿、上松宿、須原宿、野尻宿、三留野宿、妻籠宿、馬籠宿と並んでいます。
奈良井宿の案内図
楢川村(現塩尻市)と大橋の紹介
『楢川村は、長野県の南西部に位置し、木曽路の北の玄関口にあたり、中山道11宿の内、奈良井、賽川宿を擁する人口約3500人の村です。かつては木曽路で一番の賑いをみせた奈良井宿は、現在も当時の姿を残し、独特な家造りが見られます。また、伝統工芸の木曽漆器が有名で、町並みを見渡すと、漆器店や漆職人の家が多く見られます。奈良井宿では、毎年6月の第1日曜日に奈良井宿場祭が行われ、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような行列が続きます。奈良井川に架けられている「木曽の大橋」は、樹齢300年以上の天然木を使った総檜造りです。』
木曽の大橋
奈良井宿の説明書
道の駅より奈良井宿の町並みに進みます。
ここの宿場町は土産物店などがけっこうありますので、観光客がたくさんいました。
「中山道の奈良井宿は、鳥居峠上り口にある鎮神社を京都側の端に、奈良井川沿いを緩やかに下りつつ約1キロにわたって町並みを形成する、日本最長の宿場です。」
木曽路の宿場町の案内図
賽川宿、奈良井宿、薮原宿、宮ノ越宿、福島宿、上松宿、須原宿、野尻宿、三留野宿、妻籠宿、馬籠宿と並んでいます。
奈良井宿の案内図
楢川村(現塩尻市)と大橋の紹介
『楢川村は、長野県の南西部に位置し、木曽路の北の玄関口にあたり、中山道11宿の内、奈良井、賽川宿を擁する人口約3500人の村です。かつては木曽路で一番の賑いをみせた奈良井宿は、現在も当時の姿を残し、独特な家造りが見られます。また、伝統工芸の木曽漆器が有名で、町並みを見渡すと、漆器店や漆職人の家が多く見られます。奈良井宿では、毎年6月の第1日曜日に奈良井宿場祭が行われ、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような行列が続きます。奈良井川に架けられている「木曽の大橋」は、樹齢300年以上の天然木を使った総檜造りです。』
木曽の大橋
奈良井宿の説明書
道の駅より奈良井宿の町並みに進みます。
ここの宿場町は土産物店などがけっこうありますので、観光客がたくさんいました。
2016年11月5日、長野2泊3日の旅行で松本城、善光寺、松代、上田、諏訪などを観光し、神戸への帰路で中山道の木曽平沢宿に寄りました。
「塩尻市木曾平沢は重要伝統的建造物保存地区です。中山道で塩尻から途中で16世紀末頃に集落形成が始まったとされるています。慶長7年に江戸幕府により中山道のルートとして整備された宿場です。木曽漆器の産地で、近世後期の地割をよく残すとともに、近世以来の伝統的な町家や塗蔵などが一体となり漆器生産の町としての特色ある歴史的風致をよく伝えています。漆器職人の集住と伝統的な手法とにより、現在も木曽漆器が生産され続けています。」
map
駐車場は木曽漆器館に止めます。
案内図
笹良漆器店、こちらの店で漆塗りの汁椀を土産に買いました。
長野県塩尻市木曽平沢1530
ここの宿場町は素敵ですが、土曜日なのに観光客がいないのが寂しいですね。非常に天気がよくて最高でした。
「塩尻市木曾平沢は重要伝統的建造物保存地区です。中山道で塩尻から途中で16世紀末頃に集落形成が始まったとされるています。慶長7年に江戸幕府により中山道のルートとして整備された宿場です。木曽漆器の産地で、近世後期の地割をよく残すとともに、近世以来の伝統的な町家や塗蔵などが一体となり漆器生産の町としての特色ある歴史的風致をよく伝えています。漆器職人の集住と伝統的な手法とにより、現在も木曽漆器が生産され続けています。」
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駐車場は木曽漆器館に止めます。
案内図
笹良漆器店、こちらの店で漆塗りの汁椀を土産に買いました。
長野県塩尻市木曽平沢1530
ここの宿場町は素敵ですが、土曜日なのに観光客がいないのが寂しいですね。非常に天気がよくて最高でした。
2016年11月5日、お参りしました。長野2泊3日の旅行で、松本城、稲荷山町並み、善光寺、松代、上田、上諏訪と観光し、帰路での諏訪大社に行きました。
「信濃国の一の宮、全国の1万余の諏訪社の総本社で、国内の神社で最も古い神社の一つです。諏訪大社の歴史は大変古く古事記の中では出雲を舞台に国譲りに反対して諏訪までやってきて、そこに国を築いたとされています。諏訪大社の特長は、本殿がなく秋宮は御神木、上社は御山を御神体としています。諏訪明神は古くは風・水の守護神で五穀豊穣を祈る神。また武勇の神として広く信迎され、現在は生命の根源・生活の源を守る神として、多くの方が参拝しています。」
諏訪大社は上社の本宮と前宮は茅野市にあり、下社の秋宮と春宮は下諏訪町にあり、4社があります。
諏訪神社下社秋宮
長野県諏訪郡下諏訪町5828
map
諏訪神社下社秋宮案内図
反橋
手水舎
鳥居
参道
御神木
神楽殿(重要文化財)
「江戸時代の天保6年(1835)造営、桁行五間、梁間三間、一重、T字形切妻造、妻入、銅板葺。諏訪大社下社は春宮と秋宮よりなり、祭神は春秋の半年毎に遷座される。両社とも本殿はなく、幣拝殿や左右片拝殿の形式、配置はおおよそ本宮に類似しながら、幣殿、拝殿が一棟の楼門形式となるなど、下社特有の形を示している。春宮と秋宮の社殿の形式、配置は基本的には同じであるが細部などに多少の差異がある。
春宮と秋宮の現社殿は相前後して建立されたもので、前者は諏訪藩御大工の流れを組む大隅流柴宮長左衛門、後者は立川流初代富棟の手になる。地元を代表する大工が競い合い、流派の面目をかけた建築であり、華麗な彫刻などみるべきものがある。」
狛犬
幣拝殿(重要文化財)
「江戸後期の安永9年(1780)造営、桁行一間、梁間二間、楼造、切妻造、正面軒唐破風付、銅板葺、左右袖塀附属。」
左右片拝殿(重要文化財)
「桁行五間、梁間二間、一重、切妻造、銅板葺。」
末社
さざれ石
境内で菊花展をしていました。
諏訪大社下社春宮
長野県諏訪郡下諏訪町193
map
案内図
説明書
「諏訪大社は建御名方神と八坂刀売神を祀り、上社は建御名方神(彦神)を、下社は八坂刀売神(女神)を主祭神としている。下社の祭神は、ニ月から七月まで春宮に鎮座し、八月一日の御舟祭で秋宮に遷座し、翌ニ月一日に春宮に帰座される。下社の中心となる建築は、正面中央にある拝殿と門を兼ねたような形式の弊拝殿、その左右にある回廊形式の片拝殿、それらの背後にある東西宝殿からなる。東西の宝殿は茅葺・切妻造、平入の簡素で古風な形式をもち、寅申の七年ごとの御柱大祭で新築する式年造替制度がとられている。右のような社殿形式は諏訪大社に特有のものであり、またひの弊拝殿と左右片拝殿に似た形式は、長野県内の諏訪神を祀るいくつかの神社でも用いられている。現在の春宮の弊拝殿は安永8年(1779)に完成したと考えられる。大工棟梁は、高島藩に仕えた大工棟梁伊藤儀左衛門の弟である柴宮(当時は村田姓)長左衛門矩重(延享4年・1747~寛政12年・1800)であった。弊拝殿は、間口の柱間が一間、奥行がニ間で、背後の壁面に扉口を設ける。ニ階は四方が吹放ちで、屋根は切妻造・平入りの檜皮葺で、正面は軒唐破風をつける。左右の片拝殿は、梁行の柱間が一間・桁行が五間で、屋根は片流れの檜皮葺である。弊拝殿の建築様式の特徴は、各所につけられた建築彫刻の多さとその躍動感にあふれた表現である。正面の腰羽目の波、紅梁の上の牡丹、唐獅子・唐破風内部の飛竜・一階内部の小壁の牡丹・唐獅子・扉脇の竹・鶏で名作が多く、建築彫刻の名手である柴宮長左衛門の腕前がよくうかがえる。」
手水舎
鳥居
参道
狛犬
神楽殿
御神木
末社
幣拝殿(重要文化財)
「江戸後期の安永8年(1799)造営、桁行一間、梁間二間、楼造、切妻造、正面軒唐破風付、銅板葺、左右袖塀附属。」
左右片拝殿(重要文化財)
「片拝殿と呼ばれるこの建物は安永8年(1799)、地元の大工柴宮(伊藤)長左衛門により造営されたものである。秋宮に比べて幅が短く屋根は片切りとなっている。」
末社
筒粥殿
砥川
浮島社
浮島橋
砥川
万治の石仏
「伝説によると諏訪大社下社(春宮)の大鳥居を造る時この石を材料にしようとノミを入れたところ傷口から血が流れ出したので、石工達は恐れをなして仕事をやめた(ノミの跡は現在でも残っている)その夜石工の夢枕に上原山(茅野市)に良い石材があると告げられ果たしてそこに良材を見つけることができ鳥居は寛政したというのである。石工達は、この石に阿弥陀如来を祀って記念とした。尚、この地籍はこの石仏ににちなんで古くから下諏訪町字石仏となっている。」
諏訪大社のお参りをしましたので、帰路につきます。
すわ湖果樹園、りんごの直売をしていますので、りんごを土産に買って帰りました。
長野県諏訪郡下諏訪町赤砂4464
神戸に帰る途中、中山道の宿場に寄りますので国道19号線を走りました。途中に土田園のりんご直売所に立ち寄り、りんごとやや甘口の信州桔梗ケ原のイヅツワインを土産に買いました。
長野県塩尻市宗賀1299-156
お疲れ様でした。
「信濃国の一の宮、全国の1万余の諏訪社の総本社で、国内の神社で最も古い神社の一つです。諏訪大社の歴史は大変古く古事記の中では出雲を舞台に国譲りに反対して諏訪までやってきて、そこに国を築いたとされています。諏訪大社の特長は、本殿がなく秋宮は御神木、上社は御山を御神体としています。諏訪明神は古くは風・水の守護神で五穀豊穣を祈る神。また武勇の神として広く信迎され、現在は生命の根源・生活の源を守る神として、多くの方が参拝しています。」
諏訪大社は上社の本宮と前宮は茅野市にあり、下社の秋宮と春宮は下諏訪町にあり、4社があります。
諏訪神社下社秋宮
長野県諏訪郡下諏訪町5828
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諏訪神社下社秋宮案内図
反橋
手水舎
鳥居
参道
御神木
神楽殿(重要文化財)
「江戸時代の天保6年(1835)造営、桁行五間、梁間三間、一重、T字形切妻造、妻入、銅板葺。諏訪大社下社は春宮と秋宮よりなり、祭神は春秋の半年毎に遷座される。両社とも本殿はなく、幣拝殿や左右片拝殿の形式、配置はおおよそ本宮に類似しながら、幣殿、拝殿が一棟の楼門形式となるなど、下社特有の形を示している。春宮と秋宮の社殿の形式、配置は基本的には同じであるが細部などに多少の差異がある。
春宮と秋宮の現社殿は相前後して建立されたもので、前者は諏訪藩御大工の流れを組む大隅流柴宮長左衛門、後者は立川流初代富棟の手になる。地元を代表する大工が競い合い、流派の面目をかけた建築であり、華麗な彫刻などみるべきものがある。」
狛犬
幣拝殿(重要文化財)
「江戸後期の安永9年(1780)造営、桁行一間、梁間二間、楼造、切妻造、正面軒唐破風付、銅板葺、左右袖塀附属。」
左右片拝殿(重要文化財)
「桁行五間、梁間二間、一重、切妻造、銅板葺。」
末社
さざれ石
境内で菊花展をしていました。
諏訪大社下社春宮
長野県諏訪郡下諏訪町193
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案内図
説明書
「諏訪大社は建御名方神と八坂刀売神を祀り、上社は建御名方神(彦神)を、下社は八坂刀売神(女神)を主祭神としている。下社の祭神は、ニ月から七月まで春宮に鎮座し、八月一日の御舟祭で秋宮に遷座し、翌ニ月一日に春宮に帰座される。下社の中心となる建築は、正面中央にある拝殿と門を兼ねたような形式の弊拝殿、その左右にある回廊形式の片拝殿、それらの背後にある東西宝殿からなる。東西の宝殿は茅葺・切妻造、平入の簡素で古風な形式をもち、寅申の七年ごとの御柱大祭で新築する式年造替制度がとられている。右のような社殿形式は諏訪大社に特有のものであり、またひの弊拝殿と左右片拝殿に似た形式は、長野県内の諏訪神を祀るいくつかの神社でも用いられている。現在の春宮の弊拝殿は安永8年(1779)に完成したと考えられる。大工棟梁は、高島藩に仕えた大工棟梁伊藤儀左衛門の弟である柴宮(当時は村田姓)長左衛門矩重(延享4年・1747~寛政12年・1800)であった。弊拝殿は、間口の柱間が一間、奥行がニ間で、背後の壁面に扉口を設ける。ニ階は四方が吹放ちで、屋根は切妻造・平入りの檜皮葺で、正面は軒唐破風をつける。左右の片拝殿は、梁行の柱間が一間・桁行が五間で、屋根は片流れの檜皮葺である。弊拝殿の建築様式の特徴は、各所につけられた建築彫刻の多さとその躍動感にあふれた表現である。正面の腰羽目の波、紅梁の上の牡丹、唐獅子・唐破風内部の飛竜・一階内部の小壁の牡丹・唐獅子・扉脇の竹・鶏で名作が多く、建築彫刻の名手である柴宮長左衛門の腕前がよくうかがえる。」
手水舎
鳥居
参道
狛犬
神楽殿
御神木
末社
幣拝殿(重要文化財)
「江戸後期の安永8年(1799)造営、桁行一間、梁間二間、楼造、切妻造、正面軒唐破風付、銅板葺、左右袖塀附属。」
左右片拝殿(重要文化財)
「片拝殿と呼ばれるこの建物は安永8年(1799)、地元の大工柴宮(伊藤)長左衛門により造営されたものである。秋宮に比べて幅が短く屋根は片切りとなっている。」
末社
筒粥殿
砥川
浮島社
浮島橋
砥川
万治の石仏
「伝説によると諏訪大社下社(春宮)の大鳥居を造る時この石を材料にしようとノミを入れたところ傷口から血が流れ出したので、石工達は恐れをなして仕事をやめた(ノミの跡は現在でも残っている)その夜石工の夢枕に上原山(茅野市)に良い石材があると告げられ果たしてそこに良材を見つけることができ鳥居は寛政したというのである。石工達は、この石に阿弥陀如来を祀って記念とした。尚、この地籍はこの石仏ににちなんで古くから下諏訪町字石仏となっている。」
諏訪大社のお参りをしましたので、帰路につきます。
すわ湖果樹園、りんごの直売をしていますので、りんごを土産に買って帰りました。
長野県諏訪郡下諏訪町赤砂4464
神戸に帰る途中、中山道の宿場に寄りますので国道19号線を走りました。途中に土田園のりんご直売所に立ち寄り、りんごとやや甘口の信州桔梗ケ原のイヅツワインを土産に買いました。
長野県塩尻市宗賀1299-156
お疲れ様でした。