旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

津山市内観光その2、妙津寺・大隅神社他

2016-11-26 23:07:07 | 岡山
2016年11月24日、津山の城東重要伝統的建造物群保存地区を散策し、一筋北側の道をを西側に進み津山城跡へと行きました。この通りは神社やお寺が並んでいます。

妙津寺
「日蓮聖人より受け継ぐ宗派、本門佛立宗の寺院です。」













大隅神社(津山市指定重要文化財・史跡)
「大隅神社境内には、貞享3年(1688)建立の本殿を初め、神門、昭徳館、玉垣、石灯籠、狛犬、手水鉢、幟立石など、多くの貴重な文化財があります。これらの建造物は、元禄から明治にかけての神社の変遷を示すものです。」





鳥居

狛犬



由緒書

参道と神門(津山市指定重要文化財)

手水舎

昭徳館

神輿

参道の階段

拝殿





本殿(津山市指定重要文化財)

























蛭子神社

蓮光寺

由緒書
「津山市林田は、中世には林田郷と呼ばれ、この地方の交易、文化の中心として、田中郷、戸川の宿と共に栄えた。林田郷はまた、津山に於ける日蓮宗発祥の地でもあった。文明年中開基の延寿山本行寺がそれである。慶長8年、森忠政津山入府の後、城下の町づくりのため、本行寺は城西に移るにおよび、慶長15年(1610)本光院日秀は、この地に明星山蓮光寺を開いた。開基檀越は金谷佐大夫夫婦である。寛文年間となり、徳川幕府の日蓮宗への禁圧所謂寛文の法難により、寺運は衰微を極めたが、延宝年間、第5世是音院日厳の入寺により再興される。下って天保末年に至り、火摩により本堂を焼失、嘉永元年(1848)第25世浄真院日誠により再建された。」

鐘楼門

本堂



















旧玉日容上人墓所



千光寺
「当寺のご開祖は、実峰良秀禅師の弟子、綱菴正宗大和尚である。開創年月日応永年間(1394年〜1428年)の頃と思われる。」





山門

本堂















観音堂

鐘楼

本蓮寺
「顕本法華宗のお寺です。慶長19年(1614)開創。」

本堂









大信寺
「江戸時代初期の元和7年(1621)の創建。本堂は江戸時代後期の天保2年(1831)に建築。」





山門

本堂

鐘楼

銅鐘

観音堂







稲荷橋

千代稲荷神社
鳥居

由緒書
「社伝によると、承平4年(934)の創建と伝えられています。鶴山の八幡宮の摂社としてあったものを築城により遷座しました。城の守護神として祀られています。」







ニの鳥居





拝殿





本殿(津山市指定重要文化財)





お疲れ様でした。
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津山市内観光その1、旧津山基督教図書館・津山郷土博物館・城東(重伝地区)・作州城東屋敷

2016-11-26 23:06:29 | 岡山
2016年11月24日、津山市内観光をしました。津山市は、岡山県の北部、津山盆地とその周辺から成り立っており、北は鳥取県と接しています。古くから美作地域の中心であり、和銅6年(713)の美作国成立時には現在の津山市総社に国府が置かれました。江戸時代には津山城の城下町となり、当時の遺構や古い町並みも残っています。津山の名前の由来は、津山初代藩主の森忠政が津山盆地中央の鶴山に城を築き、それを津山と改めたのが始まりとされています。
津山観光センターから東に歩き、城東むかし町家を散策します。
観光センター

旧津山基督教図書館(有形登録文化財)
「大正15年(1926)建築、木造3階建、銅板葺、建築面積230㎡。津山城跡の前面の角地に建つ。内村鑑三の弟子森本慶三が創設した建物で、設計は桜庭駒五郎。イオニア式の壁付柱を持ちゲーブルを設けた南面中央入口部の構え、東面にある時計付の塔屋、壁面各所の浮き彫り等に特徴がある。」







城下町案内図

津山郷土博物館{旧津山市庁舎}(有形登録文化財)
「昭和8年(1933)建築、鉄筋コンクリート造地上3階地下1階建、建築面積586㎡、塔屋付。市の中心部に位置する,鉄筋コンクリート造3階建の庁舎建築。中央正面に車寄を付け,背面には議場を張り出す。腰に花崗岩を貼り,頂部にはスクラッチタイル貼のパラペットを四周に巡らす。中央に5層の塔屋を設け中心性を強調した左右対称の外観が特徴。」



津山市城東
「津山市城東重要伝統的建造物群保存地区は、城下町の商家町として発展した町並みで、江戸時代に形成された町割を良く残し、江戸時代の町家を主体として昭和戦前期までに建築された、出格子窓、むしこ窓、なまこ壁、袖壁などを使用し、意匠的に優れた伝統的建造物が密度高く建ち並び、城下町に形成された商家町の歴史的風致を良く伝え、我が国にとって価値が高い。」
材木町説明書

宮川に架かる大橋







城東の説明書



橋本町説明書









城東の歴史町のおいたち







林田町説明書







































勝間田町説明書

関貫小路





作州城東屋敷
「町家の白い壁と火の見櫓がひときわ目をひきます。」











中之町説明書



松木小路































札場小路























大隅小路



















津山洋学資料館








城東むかし町家(登録有形文化財)











東美濃屋小路



















瓦屋小路





























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津山城跡

2016-11-26 20:58:16 | 岡山
2016年11月24日、湯郷温泉に宿泊し、長福寺、本山寺、誕生寺とお参りし、津山市内観光です。津山市観光協会に車を留め、とりあえずは昼食です。その後、隣接する津山城跡を散策しました。入園料300円です。
リーフレットより
森忠政と津山城築城
『慶長8年(1603)、美作一国18万6千5百石の国持ち大名となった森忠政は、吉井川と宮川の合流点を見下ろす小高い「鶴山」を城地と決定し、翌慶長9年(1604)「鶴山」を「津山」と改めて城と城下町の建設を開始しました。途中、江戸城や駿府城普請、大坂の陣への出陣などに多くの年月を費やされましたが、足がけ13年を経て元和2年(1616)にようやく築城工事は終了したのです。』
津山城の城郭構成
「津山城は、山頂を削って本丸とし、本丸を囲むようにニの丸、三の丸が配置されています。麓には重臣の屋敷を配し、城下町との間を画する塀で囲んでいます。堀には6ケ所の門が設けられており、城下町の中心となる京町に面する京橋門を大手としています。本丸とニの丸には御殿が置かれ、建造物は本丸31・ニの丸12・三の丸17棟が把一され、門は本丸15・ニの丸7.三の丸11棟の門が存在しました。比較的コンパクトな面積の中に、これらの建造物群がひしめき合っている様は壮観であったと思われます。」
津山城の城主
「森氏は初代の忠政から4代続きましたが、元禄10年(1697)、4代藩主長成の跡継ぎを立てられずに領地没収となり、翌元禄11年には松平宣富が美作10万石を領し津山城主となりました。その後松平氏は慶倫まで9代続き明治維新を迎えたのです。」
津山城廃城と鶴山公園
「江戸時代の終焉と共にその役目を終えた津山城は明治6年(1873)には取り壊しが決まり、明治7年から明治8年にかけて石垣を残して全ての建物が解体され払い下げられました。その後津山城跡は県有地となり、明治32年(1899)には公園にするという条件で津山町に払い下げられました。翌年から城跡の公園化が進められ、当時の津山町議会議員(後の津山市議会議長)福井純一らの尽力により、昭和3年(1928)頃までには城跡全体が桜で覆われる現在の姿になったと云われています。津山城は現在建造物は残っていませんが、かつては数多くの櫓や門が存在していました。」
蘇る備中櫓
『備中櫓は、「森家先代実録」付図の「作州津山城本丸之図」に「上ノ櫓備中卜云 城下ヨリ見ユル」と記載されているように、本丸から南に張り出した石垣上に建てられた櫓であり、城下からの景観も含め、城内で天守に次ぐシンボル性の高い建造物であったと推定されます。さらに備中櫓はその内部構造も独特のものでした。奥向御殿の更に奥という場所に位置し、なおかつ御殿の一部として機能していたため、内部は御殿建築の仕上げとなっています。このことからは、備中櫓が藩主あるいはその家族という限られた人物のための空間であったことが推定されます。そのため通常の櫓では稀な全室畳敷、天井張りという構造で、絵図によると「御座之間」、「御茶席」、「御上段」等の全国的にも類例の余り見られない特別な空間が存在していました。このように景観的にシンボル性が高く、内部は限りなく御殿建築であるというこの櫓を複元することにより、築城当時の津山城の建造物の様子を体感してもらうことが可能となりました。そのため、慶長9年(1604)に森忠政が津山城の築城を開始してから400年目の節目である平成16年(2004)、備中櫓福元整備が行われたのです。』
岡山県津山市山下135
map






鶴山公園案内図



津山城復元図

津山城跡説明書

森忠政公像

森忠政の説明書

表門





石垣の刻印

















三の丸



尾上柴舟碑



表中門



津山城説明書









四足門説明書



備中櫓







切手門説明書













表鉄門

表鉄門説明書

本丸

城内表玄関



矢切櫓











備中櫓













五番門と土塀の説明書



天守



多門櫓説明書

景色







備中櫓











七番門と虎口





長櫓跡



涼櫓跡

月見櫓

腰巻櫓跡

鐘撞き堂











裏鉄門













裏中門



























鶴山館







お疲れ様でした。次は津山市内を散策します。
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衆楽園(旧津山藩別邸庭園)・国指定名勝

2016-11-26 20:15:55 | 岡山
2016年11月24日、湯郷温泉に宿泊し、長福寺、本山寺、誕生寺とお参りし、津山市内観光です。津山の最初に衆楽園に行きました。入園無料で、休園日は無です。庭園の前に無料駐車場があります。
岡山県津山市山北628
map
リーフレットより「衆楽園は、中国山地を借景としたスケールの大きさ、南北に長い池に四つの島を配した近世回遊式の大名庭園で、同じ様式の後楽園よりも古く、国の名勝に指定されています。明暦3年(1657)津山藩ニ代藩主、森長継公が京都から庭師を招き、仙洞御所を模して造営。水面に映る島影の美しさ、四季折々の枝ぶりにも、いかにも京風の洗練された優美さを感じることでしょう。特に銀色にベールを被ったような雪景は凄絶なまでに美しく、わざわざこの季節を選んで訪れる人も多いとか。「絲櫻 水にも地にも 枝を垂れ」この句は、山口誓子が昭和54年の春、衆楽園に吟行して詠んだもの。津山出身の俳人、西東三鬼の花冷え句碑建立の際、津山を訪れた誓子も、この庭園をそぞろ歩き、深い感動を覚えたのでしょう。」

説明書







右が紅葉島































衆楽茶屋

余芳閣

迎賓館



山口誓子句碑





















清涼軒

























津山絵図

次は津山城跡に行きます。
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誕生寺(法然上人誕生の地)

2016-11-26 17:14:21 | 岡山
2016年11月24日、お参りしました。湯郷温泉に宿泊し、長福寺、本山寺と続いて立ち寄りました。
説明書より「栃社山誕生寺は、建久4年(1193)法力坊蓮生(熊谷直美)が、浄土門念仏元祖法然上人誕生(1133)の地に、師法然上人の御徳を仰ぎ上人誕生の旧邸を寺院に改めたものです。また、蓮生は、この寺で亡き上人のご両親の追善供養のため、5年間の常行念仏を修したといわれています。以来8百数拾年の星霜を経て、境内には法然上人のゆかりの公孫樹、片目川、産湯の井戸などがあり、また法然上人25霊場第1番札所となっています。両幡の天降ります椋の木は世々に朽ちせぬ法の師の後(熊谷入道詠)

岡山県久米郡久米南町誕生寺里方808
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駐車場より

久米郡案内図

門前

山門(重要文化財)
「正徳6年(1716年)建造、三間薬医門、切妻造、本瓦葺。付帯する筋塀は安政4年(1857年)伏見宮家より寄進されたものである。」







公孫樹(岡山県指定天然記念物)
『久安3年(1147)15歳の勢至丸(法然上人)は、比叡山に旅立たれる際、高円菩提寺より杖とされた銀杏の枝をこの地にさされたところ生着繁茂し、根が上に伸び「逆木の公孫樹」ともいわれる。』





羅紗門堂

誕生寺七不思議説明書

御影堂(重要文化財)
「江戸中期の元禄8年(1695)建造、桁行五間、梁間四間、二重、入母屋造、向拝一間、唐破風造、本瓦葺、背面下屋附属、桟瓦葺。浄土宗における仏堂型本堂のうちでも、側回りを円柱・三斗組とした本格的なもの。内部は外陣を仕切るだけで、内陣まわりや位牌の間が仕切られない古式な平面をもつ。」

















宝物館

法然上人の母秦氏御尊像

旅立ちの法然上人



守護大仏





観音堂



無垢橋(登録有形文化財)
『大正9年(1920)建造。片目川に架かる石橋。長さ7.3m、幅2.6m。萬成石を用い,擬宝珠欄干を付ける。桁は3列に3間を架け渡し、路盤石の端部、欄干より外側は丸太尻に見せる凝ったつくり。親柱に「石匠高松市太田與平」を刻む。』

両幡の椋と石造五輪塔(岡山県指定重要文化財)
「応永32年(1425年)の製作。」





片目川

勢至堂(法然上人御両親御霊廟)











津山城主の森忠政の長男、森大膳重政と御養母の墓





石造宝篋印塔、南北朝時代の製作

原田三河貞佐の墓、十五代稲荷山城主



五輪石塔

法然上人の産湯の井戸



鐘楼

方丈唐門

方丈玄関



















奥の院 六角堂浄土院














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本山寺(岡山県久米郡美咲町)

2016-11-26 09:01:35 | 岡山
2016年11月24日、お参りしました。湯郷温泉に宿泊し、その近辺を観光しました。長福寺の三重塔を見て、こちらに来ました。天台宗の寺院で、山号は岩間山、本尊は観世音菩薩です。静かな山間に佇む寺院です。

岡山県久米郡美咲町定宗403
map
境内図

説明書
「大宝元年(701)頼観上人の創建で、当初は現在地より南方の山頂に在ったが、平安時代の末期、天永元年(1110)に現在の地に移され、大いに発展して百廿坊と言われた。古来、山岳仏教の道場として、又、庶民信仰の霊地として栄えた。長承元年(1132)稲岡ノ庄(誕生寺)の漆間時国公夫婦が参詣、祈願して生まれたのが、後の浄土宗の宗祖と仰がれる法然上人(源空)である。降って江戸時代になると津山藩の祈願所として、尊ばれ、森候の時代には、美作の天台宗の触れ頭であった。山内寺院のうち、遍照院・仏性院・梅元院の三院が院内頭であったが、今では皆、合併して本坊一ケ寺となった。現代の境内は4200坪、十余棟の堂塔伽藍は、昔に変らぬ面影を伝えている。」

仁王門(岡山県指定重要文化財)
「貞享3年(1686)建造、檜皮葺。」











寺侍長屋(岡山県指定重要文化財)、弘化2年(1845)建造。







客殿、弘化2年(1845)建造。





噴水

御霊廟(岡山県指定重要文化財)
「承応元年(1652)建造、拝殿と本殿が中殿で連結された権現造りによる社殿様式となっている。建造時は森氏の霊廟であったが、藩主交代後は松平氏の霊廟となる。」





山王堂、享保18年(1733)建造。



鐘楼、天明2年(1782)建造。

本堂(重要文化財)
「南北朝時代の観応元年(1350)創建、桁行五間、梁間五間、一重、寄棟造、向拝一間、向唐破風造、檜皮葺。」







常行堂(岡山県指定重要文化財)、永正16年(1519年)建造、檜皮葺。











三重塔(重要文化財)
「江戸前期の承応元年(1652)建造、三間三重塔婆、こけら葺。津山藩主森氏によって再建された三重塔。 外部は古式で正統的な手法をもつが、内部の構造は桔木に頼った軒の支持方法や、手先肘木の繋ぎ方などに新しい手法がみられる。近世的構造手法を取り入れた初期の塔の遺構。」











宝篋印塔(重要文化財)
室町前期の建武2年(1335)、建武二年乙亥六月十一日の刻銘がある。」







お疲れ様でした。次は誕生寺に行きます。
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