2023年2月3日、お参りしました。
「周囲の旧二見村は安土桃山時代と江戸時代、二度にわたり大火に見舞われたが、本堂だけは焼けずに残ったという。1267(文永4)年の創建とされ、当時は南海山法船寺と称していました。1442(嘉吉2)年5月に瓦葺き本堂を領主小川正辰が再興しました。その際の棟札が最古の資料です。その後、1472(文明4)年に横河公孝公が龍洲和尚(京都)を迎え、南海山法船寺の開山としました。1581(天正9)年5月、二見村に火災が起き、観音堂は焼け残りました。後に姫路藩主池田輝政に仕えた横河重陳が1593(文禄2)年、京都妙心寺より天巌清長禅師を請いて開山とし、現在の補陀山観音寺と名を改めました。その後、1790()寛政2)年11月、二見村はまたも大火に見舞われましたが、観音堂は焼け残りました。その不思議な霊験をあがめ、人々は防火観世音菩薩と仰ぎ信仰しています。1993(平成5)年、鉄筋3階建の本堂が再建された。」
明石市二見町1643
map
寺標

山門

庭園


由緒書

本堂


やすらぎ観音
「周囲の旧二見村は安土桃山時代と江戸時代、二度にわたり大火に見舞われたが、本堂だけは焼けずに残ったという。1267(文永4)年の創建とされ、当時は南海山法船寺と称していました。1442(嘉吉2)年5月に瓦葺き本堂を領主小川正辰が再興しました。その際の棟札が最古の資料です。その後、1472(文明4)年に横河公孝公が龍洲和尚(京都)を迎え、南海山法船寺の開山としました。1581(天正9)年5月、二見村に火災が起き、観音堂は焼け残りました。後に姫路藩主池田輝政に仕えた横河重陳が1593(文禄2)年、京都妙心寺より天巌清長禅師を請いて開山とし、現在の補陀山観音寺と名を改めました。その後、1790()寛政2)年11月、二見村はまたも大火に見舞われましたが、観音堂は焼け残りました。その不思議な霊験をあがめ、人々は防火観世音菩薩と仰ぎ信仰しています。1993(平成5)年、鉄筋3階建の本堂が再建された。」
明石市二見町1643
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寺標

山門

庭園


由緒書

本堂


やすらぎ観音
