旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

隋願寺

2023-03-24 21:04:53 | 姫路
2023年3月22日、お参りしました。
由緒書より「山号を増位山と号す。播磨天台六山の一つ。史料では増井寺とも記される。寺伝によると高麗僧慧便が開基し、天平年間(729~749)に行基が中興したという。もとは法相宗であったが833(天長10)年に仁明天皇の勅命で天台宗に転じた。平安時代には諸堂が整備され、山上には三十六坊もある大寺であったという。1573(天正元)年、別所長治に攻められ全山を焼失。同13年に羽柴秀吉が再興した。江戸時代、姫路藩主榊原忠次が当寺を菩提寺とし、再建・整備に尽力した。」
兵庫県姫路市白国5 増位山
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参道



手水舎



本堂(重要文化財)
「大鬼瓦銘に1692(元禄5)年3月10日他の篦書銘があり、様式的にも元禄時代を代表する建築の一つである。唐様にしたがった細部が多く、技法的にきわめて丁寧な造りであり、規矩術(中国から日本に伝えられた建築の計算技術)の基本を踏襲しながら、人の視線を意識した特徴ある建築となっている。また厨子は規模の大きさ、精巧な技法であり、江戸時代の唐様の厨子としては傑作である。」













開山堂(重要文化財)
「正面三間、側面三間、背面半間通り下屋付の方三間のお堂である。平面では仏壇の前を広げるために四天柱の位置を側柱通りより後方へちょうど間半分をずらしている。平成9年度からの解体修理の際に、1654(承応3)年の墨書と『1641(寛永18)年2月吉日』の墨書が発見された。随願寺に現存する建造物の中でも最古の建築である。」





榊原忠次墓所唐門(重要文化財)
「榊原家は、徳川家の譜代大名の中の名門で四天王の一つに数えられた。なかでも忠次(1605~1665)は、文武両道に優れた人格者で、姫路城主としての17年間にも随願寺の再建をはじめ数々の治績をあげて名君とされた。唐門は本堂の西側にある姫路市指定史跡・榊原忠次墓所の正門であり、瓦銘から1731(享保16)年の建立である。おおらかな構の建築であるが、細部も丁寧に造られ、垂木鼻、拳鼻、桟唐戸、柱等随所に錺金具の痕跡が残っており、きらびやかな建物であったことが想像できる。碑文は朱子学者の林怒(鷲峰)の撰によるもので、長文で名高い。榊原家の系譜をたどり忠次の生い立ちから舘林(群馬県)・白河(福島県)の藩主を経て1649(慶安2)年、姫路城主となるまでの経緯、存命中の業績など彼の一代記が約3000の字に刻まれている。」





経堂(重要文化財)
「平面的には正堂と礼堂を並べた形式の堂が変化したもので、正堂に磚敷きを残していることなど、延暦寺中堂などの磚敷きの正堂の名残を留めている。大鬼瓦に1761(宝暦11)年、内陣仏殿下には1763(宝暦13)年の銘がある。撞木造という珍しい構成をとる堂であり、軒を外陣では背面も正規に造り、後の厚板軒とたくみに取り合わせ、物組の出組が見られるなど貴重な建築である。また正堂には磚敷きがあり、正堂仏壇下には石碑を置くなどの特徴がある。」













毘沙門堂

鐘楼(重要文化財)
「鐘楼は瓦銘から1718(享保3)年の建立で、廻縁付の正規の袴腰付鐘楼である。全体的に形の整った建築であるが、腰組が変形の二手先にするなどの独特な手法が見られる。」



鎮守社



随願会館




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長楽寺

2023-03-24 18:25:46 | 加古川
2023年3月22日、お参りしました。
由緒書より「山号は大藤山と号す。浄土宗西山禅林寺派、713(和銅6)年真言秘密の道場として慈心上人によって開基、現本尊延命子安地蔵菩薩(木造半跏像重要文化財)は、1178(治承2)年高倉天皇の中宮建礼門院が御産の時、丹波老の坂の子安地蔵尊に祈願されて安徳天皇を安産されたがお喜びを分かつためにこれと同体の地蔵を刻み日本六十六州一国一体を安置せしめ給うた一体と云う。天正年間(1578)の兵火にて伽藍全部焼失したが本尊だけは難をのがれ、1706(宝永3)年専空念教法師の手によって再興不断念佛の道場として今日に至った。2011年9月4日の台風12号の豪雨により発生した大藤山の大規模土砂崩れにより、阿弥陀堂、庫裏等と一緒に本堂は流失しました。幸い境内の地蔵堂、茶堂、鐘楼堂は辛うじて流失せずにすみました。地蔵堂に安置していた国指定重要文化財延命子安地蔵尊は無事でした。」
兵庫県加古川市志方町永室853−1
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長楽寺の清水

参道

寺標

手水舎

鐘楼





延命子安地蔵尊



地蔵堂

層塔
「基礎部分40.2cm、笠部高31.2cm、この層塔の残欠は、十三重層塔の一部と考えられるもので、基礎石と1層の笠石が残り、ともに花崗岩製である。復元するとその総高は約570cmとなり、十九尺塔として造立されたものと考えられる。基礎石の高さと幅の比率からたいへん古式であり、左右の輪郭の幅や輪郭と格狭間の間が目立って広く格狭間の内部を平らに造っているなど鎌倉時代中期(13世紀中頃)の形式をしている。なお、長楽寺の東南にあたる志方町西中の墓地に同じ形式の3層の笠石が現存しており、もとは一具のものと考えられている。」






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北山鹿島神社

2023-03-24 18:16:33 | 東播磨
2023年3月22日、お参りしました。
由緒書より「当社は鹿島神社と称し、建御雷神(別名鹿島神)を奉斎す。神域一町余歩は姫路藩主松平(奥平)下総守忠明の寄進する所なり。神社の創建は1645(正保二酉)年即ち約380年の昔にして、創健者は当部落の開拓者小島利兵衛なり。利兵衛ある夜白髪の老翁枕辺に立ちて、この池の田子の井を中心として開墾すべしと告ぐると夢み、人々と共に開墾の鍬を振いたりしに、その年の秋小童の霊感を受けるものあって、地に鹿島の神霊を鎮め祭り奉るべしと告ぐ、この由藩主に上聞す。藩主、奇瑞に驚き、使いを遣わし、之を検視せしめしが、この際にもまた重ねて奇瑞が現出す。即ち鎮座地の東の山より牡鹿、牝無鹿相連れ、而も角上には光明輝く玉を載せけり、やがてその玉を今の社の地に落とし神鹿は西の方に姿を消した。検視の者よりこの由を聞きたる下総守はいたく之に感動し、社地を寄進して、鹿島神社を創建せしむ。御祭神は『経津主神、武甕槌神』で御神徳は交通安全、心願成就、縁結び、厄除、安産となっている。」
兵庫県高砂市阿弥陀町北山20
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一の鳥居

二の鳥居

参道

手水舎





狛犬



拝殿





本殿

神鹿

稲荷社



香取神社
「今は天孫降臨に先だち建御雷命(鹿島神宮祭神)と共に出雲国にくだり大国主命と国譲りを交渉し、また荒ぶる神たちを平定したと伝える。奈良時代には藤原氏の氏神として奈良春日大社が創立されるにあたり御本殿の第一殿には鹿島の神、第二殿には香取の神が祀られ崇敬されている。社殿は千葉県佐原市香取の香取神宮より御分霊を迎え、聖峰高御位山を望む当地象須山のふところにこの地の守護神として祀る。」
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生石(おうしこ)神社・石の宝殿

2023-03-24 17:04:38 | 東播磨
2023年3月22日、お参りしました。
由緒書より「大己貴命と少彦名神が天神の勅命で国土経営のため出雲から当地に立寄りになり、この宝殿山に仮宮を作って御滞在された時、この石宝殿を刻まれた。工事中に天佐久売がやってきて、今麓の里で阿賀神が反乱を起こしていると二神に告げたので、石宝殿作りの工事は中止して今の神爪(神詰で神爪の名称の起りという)に諸神を集めて阿賀神を平定されたが、石宝殿作りの工事は捨てられたので、未完成に終わった。この工事で生じた石屑は一里北の高御位山に捨てられた。高御位の北側に頂上から麓にかけて莫大な石屑が今尚あり、魚の象になっている。この附近には岩を切ったあとかたは全くない。崇神天皇13年に創建されて以来、伊保荘、平津荘の鎮守として崇められ、孝徳天皇は白雉5年千石の土地(現在の生石、神爪、島の土地併せて千石)を寄付されたのでこの三ケ町は墓地をいみ、生石は魚橋、神爪は岸、島は米田に墓地を作り、宮百姓と称していたので大いに栄えていたが、天正年間豊臣秀吉の焼打ちに逢い、土地は没収、鐘楼、釣鐘は分捕りされ、当社の宝物、古文書は焼失し没落した。鐘は陣太鼓代りに使用した後、岐阜県大垣市赤坂町の安楽寺に寄付した(この鐘は大垣市の指定文化財となっている)鐘は播州石宝殿と寄進者の名が入っている。荒井川はもと御手洗川と称し、神々が手を洗われたと伝える。泊は神々が御泊りになったのでとまりの名称が出来たと伝えられ、今日の加古川市泊の名の起りという。」
兵庫県高砂市阿弥陀町生石171
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鳥居

手水舎



石宝殿(国史跡)

由緒書

参道







絵馬殿
「1816(文化13)年以降の建築、高砂市指定文化財の算額のレプリカがかかっており、本物は本社の中央の上にあります。備中井原の佐藤善一郎一門の算額は東播磨では、ここと稲美国安の天満神社の2つしかありません。」

案内図

社標

狛犬



詰所
「階段の上の詰所は江戸時代の末期に建てられたものです。」

参集殿・案内所

山上公園登口









頂上、大正天皇行幸之跡碑

本社(拝殿)
「現在の本社は1844(天保15)年に棟上げ再建されたもの。右側に少毘古那を、左側に大穴牟遅の2神が祀られています。このような造りを『割り拝殿』といいます。」









霊岩
「下の面が座りキズで切れていることが明確で、これを根拠に浮石製作にかかったと推察される。」

末社

石灯籠
「島村の石工さん達が精魂込めて造った灯籠です。一説には播磨灘を照らす灯台の役目も担っていたとも言われています。竜山石でつくられた丸竿形の灯籠で、中台と竿のみ元の部材です。明暦元年銘があります。」

浮石(国史跡)
「465トンもある巨大な石造物、幅6.47m、多可さ5.68m、奥行き5.58mの直方体に屋根形の突起部がつきます。えぐり込まれた底面に水がたまり、浮かんでいるように見えることから『浮き石とも呼ばれています。奈良時代に編纂された、我が国最古の地誌『播磨風土記』に物部の守屋が造らせたと書かれていましたが、それ以外は全く謎につつまれた石。日本国内で類をみない特異な構造物で、江戸時代以降、制作目的や年代等について諸説出されてきましたが、古代以前の採石・加工技術を今に伝える貴重な遺構です。浮石の下は水平方向に割れており、東側に溝を深く掘り立てようとしていた様です。」









神輿蔵

御旅所

竜山1号墳
「石棺とその蓋がむき出しで見られます。採石場を纏めていた首長の墓とも言われていますが詳しくは不明です。」

能舞台
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真浄寺

2023-03-24 15:49:06 | 東播磨
2023年3月22日、お参りしました。
「浄土真宗本願寺派別院の高砂組です。阿弥陀如来をご本尊とする。詳細は不祥。」
兵庫県高砂市伊保3-15-17
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寺標

山門



手水舎

鐘楼





経蔵

本堂











玄関


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高砂神社

2023-03-24 15:24:34 | 高砂市
2023年3月22日、お参りしました。
縁起書より「祭神は、素戔嗚尊、大己貴命、奇稲田姫命。祭事は、尉姥祭5月21日、祇園祭7月7日より13日、例祭10月10日・11日。神功皇后征西の際、大己貴命の冥護を得て敵を平げ凱旋の途鹿子の水門に泊られた時、『此処は広く西国を見渡し近く畿内を護るに適したよい処である。われこの地に留らん』との御託宣により大己貴命を祀られたのが高砂神社の創始である。後に、圓融天皇の天禄年間国内疫病流行し人民の死亡するもの算なし神誨を得て素戔嗚尊、奇稲田姫命を合わせて祀ったところ疫病たちまち息み、国内大に治まった庶民歓び報賽の典を修めた。実に972(天禄3)年9月11日の事である。爾来以て恒例とし高砂牛頭天王又は祇園社とも称する様になった。古来朝廷、国司、武将等の崇敬厚く近世に入りても豊臣秀吉は朝鮮出兵の際、戦勝を祈願し姫路城主池田輝政京都所司代板倉勝重は社領を寄せ本多忠政姫路城に臨むに及びては崇敬殊に深く1625(寛永2)年本社、末社を改造し門墉を建築し社領を捧げ、又三代相生松を継植した。寛政7年には尉姥神像を禁裡御所に勧請御代拝あらせられ金品を下賜せられた。1909(明治42)年4月東宮殿下の行啓を仰ぎ1956(昭和31)年10月秩父宮妃勢津子殿下御参拝『五代相生松』御命名を賜った。上代以来和歌に謡曲に有名な相生松の枯死を惜んで本多忠政が継植した三代相生松は天然記念物に指定された天下の名木であったが1937(昭和12)年に枯死し、今は秩父宮勢津子殿下御命名の五代相生松が緑の色もいよいよ濃く立栄えている。松の傍に尉姥神社がある。松の木陰を清めつつわれら神霊をこの木にとどめ永く夫婦伉儷の道を護らんと仰せられた尉姥の二神をお祀りしている。大前に額きて和合長寿を祈り結婚式を挙げて偕老の契を結ぶ人々は近年ますます多い。」
兵庫県高砂市高砂町東宮町190
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由緒書

社標

境内図

鳥居

表門











手水舎

石灯籠

池田輝政公高砂城趾
「高砂城の記録はあまり残っていない。1600(慶長5)年に池田輝政が播磨に入り、姫路城を築いた後、1612(慶長17)年に播磨の海の守りを固めるために高砂城を築いた。中村主殿助正勝が城主となり、大規模な構えの城を形成させ、高砂は城下町として生まれ変わった。しかし、立派な城も1615(元和元)年に出された『一国一城令』により破棄され、歴史を終えた。その後、1626(寛永3)年に本丸の跡地に元来の地にあった高砂神社が戻された。」







東宮駐駕所

神馬

狛犬



拝殿





















本殿



和魂神社







歌碑

琴平神社









猿田彦社・秋葉社

神馬厩

天満社



粟島社

神輿倉



高砂の真砂

社務所



稲荷社

三社、天照大神・春日大神・八幡大神





住吉社





尉姥神社
由緒書より「祭神は伊弉諾尊・伊弉冊尊、尉姥祭5月21日・22日。境内にある日一本の松生い出で、その根は一つで雌雄の幹が左右に分かれていましたので神木霊松などと称えられていましたところ伊弉諾尊・伊弉冊尊の二神現われ『我は今より神霊をこの木に宿し世に夫婦の道を示さん』と告げられました。これより人はこの松を霊松と呼び、この二神を『尉と姥』として今日めでたい結婚式にはなくてはならないものとなったのです。また、『お前百まで、わしゃ九十九まで』とうたわれています尉と姥は平和と長寿の省庁としてあまりにも有名です。天正年間、戦乱の巷にゆくえ知れずとなった『尉と姥』の御神像が寛政7年めでたく京都で見つかり5月21日当社で御遷座奉祝祭が盛大に斎行され、お面かけ神事はそのお祝として今日まで伝承されております。」













五代目相生松





霊松殿





三代目相生松



能舞台

愛宕社

弁財天





厄落とし清め処


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