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大城神社

2022-09-18 17:27:38 | 滋賀
2022年9月15日、お参りしました。
「高皇産霊神や菅原道真公などをお祀りしている。観音寺城から艮の方角(北東/鬼門とされる)にあたる佐々木氏の守護神として信仰された。当神社のお祭りは、近江商人の旅姿で4月の第2日曜日に開催。9月15日に1860(万延元)年に建築された『万延楼』と称する曳山が出る。」
由緒書より「人皇34代推古天皇29年(621年)厩戸皇子大臣小野妹子に令して当地に金堂寺を建立せしめられし創り其の護法鎮守の為字大城の地を卜して社檀を造営勘定奉斎せられたるを創始とす。實に紀元1281年也。後紀元1830年嘉応2年(1170年)に至り西南地続きたる現地に社殿を改造し天満天神大梵天王八幡大神を勧請し同殿に合祀し当山の前五個荘総本社と崇敬せり天満宮の称は蓋しこの頃より始まりしものなり。降りて紀元2163年文亀3年蓋(1503年)地頭職那須与一の末金堂修理允社宇を加造し以って家運長久を祈願せり祭礼は卯月吉辰勤行の慣例とせり。佐々木氏観音寺城を繖山に築くに至り城の艮位に方れるを以て守護神とし崇敬特に篤く神田を寄進し年々幣物を奠し重く祭祀せられしが元亀年間(1570年頃)度々織田氏の兵燹に罹り佐々木氏の没落と共に当社の書記等亦紛失す。徳川の世となり大和郡山候柳沢氏領となり代官陣屋を当地に設けられるや年々1月3日藩候代参拝して祭儀を警衛し以って明治に及べリ。天和2年(1682年)3月故ありて大梵天王を七里村に分祀す。五個神社是なり。安政2年(1855年)4月八幡大神を川並村塚本村に分祀す。結神社八幡神社是なり。明治9年(1876年)村社に制定、同14年郷社に加列せらる。」

滋賀県東近江市五個荘金堂66
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鳥居





社標









手水舎



拝殿

狛犬



灯籠









本殿



末社

日若宮神社、大城神社の南がわ道路向かいに鎮座

鳥居

常夜燈



手水鉢

狛犬



社殿

曼殊沙華が咲いていました。

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