2019年3月26日、岐阜観光で訪れました。
岐阜公園周辺案内図
護国神社
『この地には、岐阜の出身者で、日清戦争、日露戦争、第二次世界大戦の犠牲になった約37,000人の英霊が祀られている。昭和14年(1939)、当時の内務省令により建てられたが、建設においては、県・市町村・各職域団体の浄財や勤労奉仕があり、地域に密着した神社として生まれた。ここには、「鵜飼桜」があり、以前にはこの桜の咲き具合で鵜飼の豊漁の程度を占っていたという。』
慰霊塔
鳥居
手水舎
桜
社務所
鳥居
参道
御手洗池
三重塔(国登録有形文化財)
説明書より「大正天皇の即位を祝う御大典記念事業として記念塔の建設が企画され、岐阜市が、市民の寄付を募ったうえで、大正6年(1917)11月21日にこの三重塔を建立しました。材木には、明治24年(1891)10月28日に発生した濃尾大震災により倒壊した長良橋の古材が利用されています。石造りの二重基壇の上に建つ木造三重塔で、各重(各層)とも三間四方のつくりです。中央の心柱は、鎖で吊り下げて礎石から浮かした懸垂式とよばれるもので、江戸後期から明治にかけて、全国でもわずかな例しか見られない特徴的な方式です。装飾を用いない古風で調和の取れた意匠は、明治神宮などを設計し日本建築史学の創始者と評される伊東忠太の手によるものです。また、塔を建てるのにふさわしい場所としてこの地を選んだのは、岐阜市内の小学校を卒業している日本画家、川合玉堂と言われています。」
ロープウェイに乗車、景色
名和昆虫博物館
岐阜公園周辺案内図
護国神社
『この地には、岐阜の出身者で、日清戦争、日露戦争、第二次世界大戦の犠牲になった約37,000人の英霊が祀られている。昭和14年(1939)、当時の内務省令により建てられたが、建設においては、県・市町村・各職域団体の浄財や勤労奉仕があり、地域に密着した神社として生まれた。ここには、「鵜飼桜」があり、以前にはこの桜の咲き具合で鵜飼の豊漁の程度を占っていたという。』
慰霊塔
鳥居
手水舎
桜
社務所
鳥居
参道
御手洗池
三重塔(国登録有形文化財)
説明書より「大正天皇の即位を祝う御大典記念事業として記念塔の建設が企画され、岐阜市が、市民の寄付を募ったうえで、大正6年(1917)11月21日にこの三重塔を建立しました。材木には、明治24年(1891)10月28日に発生した濃尾大震災により倒壊した長良橋の古材が利用されています。石造りの二重基壇の上に建つ木造三重塔で、各重(各層)とも三間四方のつくりです。中央の心柱は、鎖で吊り下げて礎石から浮かした懸垂式とよばれるもので、江戸後期から明治にかけて、全国でもわずかな例しか見られない特徴的な方式です。装飾を用いない古風で調和の取れた意匠は、明治神宮などを設計し日本建築史学の創始者と評される伊東忠太の手によるものです。また、塔を建てるのにふさわしい場所としてこの地を選んだのは、岐阜市内の小学校を卒業している日本画家、川合玉堂と言われています。」
ロープウェイに乗車、景色
名和昆虫博物館
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