2020年10月11日、お参りしました。
「浄土宗知恩院の末寺で、山号は白道山、戦国時代の初め、1512年に建立したと伝えられています。」
大阪府泉佐野市栄町10-5
map
表門(登録有形文化財)
「明治前期(1868年-1911年)建立、木造、瓦葺、間口3.5m。本堂の正面、通りに西面して建つ。切妻造本瓦葺の四脚門、本柱は円柱で、その前後に方柱を建てる。組物は三斗組で、妻は虹梁大瓶束。軒は二軒繁垂木。中央に両開桟唐戸をたてる。組物間や扉上部等が植物紋様や動物の彫刻で充たされる。」
裏門(登録有形文化財)
「江戸中期(1661年-1750年)建立、木造、瓦葺、間口2.5m、両脇袖塀付。庫裏の西、孝子越街道に北面する。切妻造本瓦葺の一間薬医門。両脇に袖塀を設け、東袖塀に潜りを開ける。本柱は五平柱で、控柱は面取方柱。一軒半繁垂木。妻と冠木中備に板蟇股を置く。旧佐野町場の町並みに建つ、重厚な門である。」
手水舎
境内
鐘楼(登録有形文化財)
「江戸時代の1797年(寛政9年)建立、木造、瓦葺、面積16㎡。本堂の南方に位置する南北棟の吹放ち鐘楼で、屋根は切妻造本瓦葺。桁行3.9m梁間3.6m、切石積基壇上に四方転びに円柱を建て、貫や台輪で固める。三斗組で、妻は虹梁大瓶束、軒は二軒繁垂木。笈形や木鼻、中備などに貘や獅子ほかの良質な彫物が配される。」
銅鐘
本堂(登録有形文化財)
「江戸時代の1683年(天和3年)建立、木造平屋建、瓦葺、建築面積380㎡。境内のほぼ中央に西面して建つ。入母屋造本瓦葺の七間堂で、正面に一間向拝を付ける。内・外陣からなる典型的な浄土宗平面に、正面に広縁、両側面入側一間半に各3室を設ける特徴的な平面になる。正面各間には両開双折桟唐戸をたてる。大規模な浄土宗本堂の一例。」
庫裏(登録有形文化財)
「江戸後期(1751年-1829年)建立、木造平屋建、瓦葺、建築面積322㎡。本堂の西北に南面して建つ。南北棟の切妻造妻入本瓦葺で、正面14m奥行16mと規模の大きな庫裏である。東側面には桁行5.6m梁間9.0mの切妻屋根を張り出し、その南面に式台を付ける。棟に煙出を載せ、妻正面には虹梁や束、貫からなる架構を表す。」
観音堂
「浄土宗知恩院の末寺で、山号は白道山、戦国時代の初め、1512年に建立したと伝えられています。」
大阪府泉佐野市栄町10-5
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表門(登録有形文化財)
「明治前期(1868年-1911年)建立、木造、瓦葺、間口3.5m。本堂の正面、通りに西面して建つ。切妻造本瓦葺の四脚門、本柱は円柱で、その前後に方柱を建てる。組物は三斗組で、妻は虹梁大瓶束。軒は二軒繁垂木。中央に両開桟唐戸をたてる。組物間や扉上部等が植物紋様や動物の彫刻で充たされる。」
裏門(登録有形文化財)
「江戸中期(1661年-1750年)建立、木造、瓦葺、間口2.5m、両脇袖塀付。庫裏の西、孝子越街道に北面する。切妻造本瓦葺の一間薬医門。両脇に袖塀を設け、東袖塀に潜りを開ける。本柱は五平柱で、控柱は面取方柱。一軒半繁垂木。妻と冠木中備に板蟇股を置く。旧佐野町場の町並みに建つ、重厚な門である。」
手水舎
境内
鐘楼(登録有形文化財)
「江戸時代の1797年(寛政9年)建立、木造、瓦葺、面積16㎡。本堂の南方に位置する南北棟の吹放ち鐘楼で、屋根は切妻造本瓦葺。桁行3.9m梁間3.6m、切石積基壇上に四方転びに円柱を建て、貫や台輪で固める。三斗組で、妻は虹梁大瓶束、軒は二軒繁垂木。笈形や木鼻、中備などに貘や獅子ほかの良質な彫物が配される。」
銅鐘
本堂(登録有形文化財)
「江戸時代の1683年(天和3年)建立、木造平屋建、瓦葺、建築面積380㎡。境内のほぼ中央に西面して建つ。入母屋造本瓦葺の七間堂で、正面に一間向拝を付ける。内・外陣からなる典型的な浄土宗平面に、正面に広縁、両側面入側一間半に各3室を設ける特徴的な平面になる。正面各間には両開双折桟唐戸をたてる。大規模な浄土宗本堂の一例。」
庫裏(登録有形文化財)
「江戸後期(1751年-1829年)建立、木造平屋建、瓦葺、建築面積322㎡。本堂の西北に南面して建つ。南北棟の切妻造妻入本瓦葺で、正面14m奥行16mと規模の大きな庫裏である。東側面には桁行5.6m梁間9.0mの切妻屋根を張り出し、その南面に式台を付ける。棟に煙出を載せ、妻正面には虹梁や束、貫からなる架構を表す。」
観音堂
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