2020年11月3日、お参りしました。
説明書より『神谷神社は通称「神谷太刀宮」「太刀宮(たちのみや)」と称し、式内社である神谷神社を合祀したと伝えられている。祭神として丹波道主命、八千過矛神、天神玉命、天種子命を祀る。丹波道主は四道将軍として丹波に派遣されたと「日本書紀」に記されいる。神社では丹波道主命が丹波平定の後、明神谷に出雲国より八千過矛神、天神玉命、天種子命の三座の神々を迎え、出雲の人々の歓心を得、社殿を創建したのに始まると伝えられいる。丹波道主命は、丹波河上摩須郎女をめとり、五子を授かる。その娘の日葉酢媛は第十一代垂仁天皇の皇后となる。神谷神社は旧郷社で、あり、社蔵文書によると、1596年(文禄5年)城主松井康之から用地寄進を受けたとされてる。』
京都府京丹後市久美浜町1314
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手水舎
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鳥居(京都府登録文化財)
「石造明神鳥居で、1707年(宝永4年)に建てられたものである。」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/5c/d6fc7373ce139f98a5bdd2a17d4a8b0e.jpg)
狛犬
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/2c/2645b3565d6f02d10b768d0f9da0a0a6.jpg)
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神門(京都府登録文化財)
「本殿の正面にあり、四脚門で、内部は格天井を張っています。江戸後期の特徴がよくあらわれています。」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/52/4f11ddb17b5c389885d7d633063100f3.jpg)
本殿(京都府登録文化財)
「1781年(天明元年)に建てられた。桁行二間、梁行二間、一間の向拝付、入母屋造、桧皮葺の出雲地方に多い大社造り系統をひく建物であり、彫刻も精巧なものとなっており、「太刀宮造」と称され、この地方では例のない神社建築である。」
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境内社八幡神社本殿(京都府登録文化財)
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神谷磐座
「祭祀の時に神が降りて依り代となる巨岩の聖域として、大切に守られてきました。1年の太陽の動きは、夏至・冬至・春分・秋分を時計のように示すので、磐座で観察することにより、生活に必要な木の実の採取、狩猟、稲作などの最良の時期の指標としました。夏至の日の出は、かぶと山の山頂から上がります。その光は、磐座の中心になる石に差し込みます。」
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皇大神宮
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石碑
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恵比須社
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稲荷社・猿田彦神社
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川裾社
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参考館(京都府指定文化財)
「境内にある参考館は、旧久美浜県の県庁舎の一部分が大正12(1923)年に移築されたものです。
旧久美浜県は、明治政府によって1868年(明治元年)閏4月28日に設置され、1871年(明治4年)11月に旧豊岡県と旧生野県に編入されて廃止となりました。旧久美浜県の管轄地域は、当初は現在の京都府北部、兵庫県西部、富山県東北部にわたっていました。旧久美浜県庁は、旧久美浜代官所跡地に置かれ、その場所は、現在久美浜小学校になっています。
棟札銘文によれば、旧県庁舎が手狭かつ荒廃していたため、1696年(明治2年)秋に新庁舎の造営工事を始め、1870年_(明治3年)5月に完成したということです。大工棟梁は丹後国与佐郡大原村(現岩滝町)の高岡豊助義為でした。
旧県庁舎の配置と間取りを描いた図面を見ると、敷地の三方を溝川が流れ、正面に「大門」が開き、後方は城山を崩した崖になっており、そこに「御役所」、「御玄関」、「御台所」の3棟の建物が渡り廊下で接続されて雄大な構えを見せていたことが窺(うかが)われます。
その後、建物は一旦移築されて後身の豊岡県庁として使用され(「大門」は現在も豊岡市に保存)、さらに1923年(大正12年)に現在地に移建されました。
参考館の屋根は、切妻造の一部入母屋造、桟瓦葺です。参考館の平面を旧県庁舎の図面と比較すると、全体がそのまま一致する箇所はありませんが、参考館の玄関まわりと向かって左側の3室続きの部分は、旧県庁舎の「御玄関」棟の外周部を一部除去したものにおおむね合致します。しかし、内部の間仕切り位置は全面的に変更されていて、内部はほとんど原型を留めていないことが推測されます。
参考館は、旧県庁舎のごく一部が保存されているにすぎず、改造も少なくありませんが、外観は当時の面影をよく伝えており、久美浜の歴史を語るに欠かせない建物です。また、現在では数少なくなった明治初期における武家屋敷の流れをひく役所建築の遺構として、貴重なものといえます。」
説明書より『神谷神社は通称「神谷太刀宮」「太刀宮(たちのみや)」と称し、式内社である神谷神社を合祀したと伝えられている。祭神として丹波道主命、八千過矛神、天神玉命、天種子命を祀る。丹波道主は四道将軍として丹波に派遣されたと「日本書紀」に記されいる。神社では丹波道主命が丹波平定の後、明神谷に出雲国より八千過矛神、天神玉命、天種子命の三座の神々を迎え、出雲の人々の歓心を得、社殿を創建したのに始まると伝えられいる。丹波道主命は、丹波河上摩須郎女をめとり、五子を授かる。その娘の日葉酢媛は第十一代垂仁天皇の皇后となる。神谷神社は旧郷社で、あり、社蔵文書によると、1596年(文禄5年)城主松井康之から用地寄進を受けたとされてる。』
京都府京丹後市久美浜町1314
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手水舎
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鳥居(京都府登録文化財)
「石造明神鳥居で、1707年(宝永4年)に建てられたものである。」
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狛犬
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神門(京都府登録文化財)
「本殿の正面にあり、四脚門で、内部は格天井を張っています。江戸後期の特徴がよくあらわれています。」
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本殿(京都府登録文化財)
「1781年(天明元年)に建てられた。桁行二間、梁行二間、一間の向拝付、入母屋造、桧皮葺の出雲地方に多い大社造り系統をひく建物であり、彫刻も精巧なものとなっており、「太刀宮造」と称され、この地方では例のない神社建築である。」
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境内社八幡神社本殿(京都府登録文化財)
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神谷磐座
「祭祀の時に神が降りて依り代となる巨岩の聖域として、大切に守られてきました。1年の太陽の動きは、夏至・冬至・春分・秋分を時計のように示すので、磐座で観察することにより、生活に必要な木の実の採取、狩猟、稲作などの最良の時期の指標としました。夏至の日の出は、かぶと山の山頂から上がります。その光は、磐座の中心になる石に差し込みます。」
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皇大神宮
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石碑
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恵比須社
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稲荷社・猿田彦神社
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川裾社
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参考館(京都府指定文化財)
「境内にある参考館は、旧久美浜県の県庁舎の一部分が大正12(1923)年に移築されたものです。
旧久美浜県は、明治政府によって1868年(明治元年)閏4月28日に設置され、1871年(明治4年)11月に旧豊岡県と旧生野県に編入されて廃止となりました。旧久美浜県の管轄地域は、当初は現在の京都府北部、兵庫県西部、富山県東北部にわたっていました。旧久美浜県庁は、旧久美浜代官所跡地に置かれ、その場所は、現在久美浜小学校になっています。
棟札銘文によれば、旧県庁舎が手狭かつ荒廃していたため、1696年(明治2年)秋に新庁舎の造営工事を始め、1870年_(明治3年)5月に完成したということです。大工棟梁は丹後国与佐郡大原村(現岩滝町)の高岡豊助義為でした。
旧県庁舎の配置と間取りを描いた図面を見ると、敷地の三方を溝川が流れ、正面に「大門」が開き、後方は城山を崩した崖になっており、そこに「御役所」、「御玄関」、「御台所」の3棟の建物が渡り廊下で接続されて雄大な構えを見せていたことが窺(うかが)われます。
その後、建物は一旦移築されて後身の豊岡県庁として使用され(「大門」は現在も豊岡市に保存)、さらに1923年(大正12年)に現在地に移建されました。
参考館の屋根は、切妻造の一部入母屋造、桟瓦葺です。参考館の平面を旧県庁舎の図面と比較すると、全体がそのまま一致する箇所はありませんが、参考館の玄関まわりと向かって左側の3室続きの部分は、旧県庁舎の「御玄関」棟の外周部を一部除去したものにおおむね合致します。しかし、内部の間仕切り位置は全面的に変更されていて、内部はほとんど原型を留めていないことが推測されます。
参考館は、旧県庁舎のごく一部が保存されているにすぎず、改造も少なくありませんが、外観は当時の面影をよく伝えており、久美浜の歴史を語るに欠かせない建物です。また、現在では数少なくなった明治初期における武家屋敷の流れをひく役所建築の遺構として、貴重なものといえます。」
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