2020年12月9日、お参りしました。
説明書より「随願寺念仏堂は常行三昧堂として建てられたものと思われる。1085年(応徳2年)白河天皇の中宮賢子の菩提のため常行堂を二階五間の堂に改め造くられたと増井山集記に記載されている。現在の建物は棟札により江戸時代の1809年(文化6年)大工棟梁池内忠兵衛により完成したものである。本尊は弥陀三尊である。周りには姫路藩士の墓や榊原藩士の墓がある。太子谷には風羅堂跡があり、芭蕉につながる誹諧の地である。姫路城主酒井忠恭の千山を思い『はせを葉や風にやれても名は幾世』と詠じた歌碑もある。」
兵庫県姫路市白国三丁目12-5
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山門
念仏堂
説明書より「随願寺念仏堂は常行三昧堂として建てられたものと思われる。1085年(応徳2年)白河天皇の中宮賢子の菩提のため常行堂を二階五間の堂に改め造くられたと増井山集記に記載されている。現在の建物は棟札により江戸時代の1809年(文化6年)大工棟梁池内忠兵衛により完成したものである。本尊は弥陀三尊である。周りには姫路藩士の墓や榊原藩士の墓がある。太子谷には風羅堂跡があり、芭蕉につながる誹諧の地である。姫路城主酒井忠恭の千山を思い『はせを葉や風にやれても名は幾世』と詠じた歌碑もある。」
兵庫県姫路市白国三丁目12-5
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山門
念仏堂
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