2019年4月24日、お参りしました。
出石神社
説明書より「出石神社は、但馬国の一宮で、天日槍命が新羅の国よりお持ちになりました八種の神宝を出石八前大神として、また天日槍命の大御霊を御祭神として斎祀しています。天日槍命は、古事記、日本書紀ともに新羅国王の王子であり、日本に渡来されたとし、その事蹟は記紀のほか古語拾遣、播磨国風土記等にうかがうことができます。八種の神宝とは、古事記には珠二貫・振浪比礼・切浪比礼・振風比礼・切風比礼・奥津鏡・辺津鏡と記しています。天日槍命のご子孫には、田道間守命や神功皇后があります。
神社の創立年代はあきらかではありませんが、社伝の一宮縁起には、谿羽道主命と多遅麻比那良岐と相謀り、天日槍命を祀ったと伝え、諸書によりますと、およそ1300年前にはこの地で祭祀がおこなわれていたことがうかがわれます。
但馬の国一宮として当地では別名を一宮(いっきゅう)さんと呼び親しまれています。天日槍命は泥海であった但馬を円山川河口の瀬戸・津居山の間の岩山を開いて濁流を日本海に流し、現在の豊沃な但馬平野を現出され、円山川の治水に、また殖産興業に功績を遣された神として尊崇を集めています。
現在の社殿は大正3年(1914年)の再建され、透塀で囲まれ三間社流造の本殿、その前面には切妻造りの幣殿と祝詩殿があり、拝殿は舞殿形式で入母屋造り平入りで蔀戸をつり、正面に拝殿の屋根を独立した平唐破風出桁の向拝は他に類のない珍しい建築です。神門は丹塗の八脚門で、数多くの蟇股を飾り、左右に連なる塀も丹塗りです。境内東北隅に約600坪の禁足地があり、老樹が生い茂り、入れば祟りがあるといわれています。」
兵庫県豊岡市出石町宮内99
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境内
狛犬
神門
手水舎
社務所
絵馬殿
拝殿(豊岡市指定文化財)
本殿
夢見稲荷社
比売社
市杵島比売神社
菅原神社(天神社)
総持寺
「当寺は但馬の古都入佐の里を菩提の居地と定めてより、千二百幾十年の歳月を遂げる行基菩薩の開創であります。平安末のころ、現在の地に移り七院十坊の塔堂を構え一山を調え、霊光六方に輝く但馬国の大寺でありました。正平年間、山名時義が但馬を領し此隅山を本拠とし、貞治3年(1364)総本城此隅山城を築き以来歴代城主は、この寺を祈祷寺として保護・安堵されました。時義より九代の国主祐豊は天文4年(1535)に金堂の本尊十一面千手観世音菩薩を造仏寄進し霊地の尊厳を昴め以て国内の安穏を記念されました。応仁の乱、六分一殿で知られる山名氏より代々黄金秘仏性観音の加護を念じ、共に戦難の万霊と草木国土悉皆の成仏を祈念されました。」
兵庫県豊岡市出石町宮内17
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鐘楼
梵鐘
本堂
徳利・杯塚
観音堂
観音様
猿田彦大神・天照大神・豊受大神
出石神社
説明書より「出石神社は、但馬国の一宮で、天日槍命が新羅の国よりお持ちになりました八種の神宝を出石八前大神として、また天日槍命の大御霊を御祭神として斎祀しています。天日槍命は、古事記、日本書紀ともに新羅国王の王子であり、日本に渡来されたとし、その事蹟は記紀のほか古語拾遣、播磨国風土記等にうかがうことができます。八種の神宝とは、古事記には珠二貫・振浪比礼・切浪比礼・振風比礼・切風比礼・奥津鏡・辺津鏡と記しています。天日槍命のご子孫には、田道間守命や神功皇后があります。
神社の創立年代はあきらかではありませんが、社伝の一宮縁起には、谿羽道主命と多遅麻比那良岐と相謀り、天日槍命を祀ったと伝え、諸書によりますと、およそ1300年前にはこの地で祭祀がおこなわれていたことがうかがわれます。
但馬の国一宮として当地では別名を一宮(いっきゅう)さんと呼び親しまれています。天日槍命は泥海であった但馬を円山川河口の瀬戸・津居山の間の岩山を開いて濁流を日本海に流し、現在の豊沃な但馬平野を現出され、円山川の治水に、また殖産興業に功績を遣された神として尊崇を集めています。
現在の社殿は大正3年(1914年)の再建され、透塀で囲まれ三間社流造の本殿、その前面には切妻造りの幣殿と祝詩殿があり、拝殿は舞殿形式で入母屋造り平入りで蔀戸をつり、正面に拝殿の屋根を独立した平唐破風出桁の向拝は他に類のない珍しい建築です。神門は丹塗の八脚門で、数多くの蟇股を飾り、左右に連なる塀も丹塗りです。境内東北隅に約600坪の禁足地があり、老樹が生い茂り、入れば祟りがあるといわれています。」
兵庫県豊岡市出石町宮内99
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境内
狛犬
神門
手水舎
社務所
絵馬殿
拝殿(豊岡市指定文化財)
本殿
夢見稲荷社
比売社
市杵島比売神社
菅原神社(天神社)
総持寺
「当寺は但馬の古都入佐の里を菩提の居地と定めてより、千二百幾十年の歳月を遂げる行基菩薩の開創であります。平安末のころ、現在の地に移り七院十坊の塔堂を構え一山を調え、霊光六方に輝く但馬国の大寺でありました。正平年間、山名時義が但馬を領し此隅山を本拠とし、貞治3年(1364)総本城此隅山城を築き以来歴代城主は、この寺を祈祷寺として保護・安堵されました。時義より九代の国主祐豊は天文4年(1535)に金堂の本尊十一面千手観世音菩薩を造仏寄進し霊地の尊厳を昴め以て国内の安穏を記念されました。応仁の乱、六分一殿で知られる山名氏より代々黄金秘仏性観音の加護を念じ、共に戦難の万霊と草木国土悉皆の成仏を祈念されました。」
兵庫県豊岡市出石町宮内17
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鐘楼
梵鐘
本堂
徳利・杯塚
観音堂
観音様
猿田彦大神・天照大神・豊受大神
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