2014年12月9日、ゆめさき川温泉に泊まった帰りに一乗寺にお参りしました。
山号は法華山で、西国26番札所となっています。駐車場はありますが、300円です。お寺の入山料は500円です。
パフレットより『一乗寺は白雉元(650)年法道仙人の開山、孝徳天皇の勅願による官刹であった。仙人はインドより紫雲に乗じて中国朝鮮を経て、谷は蓮華の如く峰は八葉に分かれた当山に降り止まり、山を法華山と名付けた。仙人は観世音菩薩像と仏舎利のみ持し、飛鉢の術をもって供養を乞うた。孝徳天皇が御病気の際、仙人を宮中に召し玉体を加持せしめたところ、御病気忽ちに平癒した。法道仙人を御慕いになった天皇は法華山に金堂を建立し、白雉元(650)年落成して臨幸せられ、法華山一乗寺の勅願を賜い、道慈律師をもって供養し、鎮護国家の道場とされた。永延2(988)年花山法皇御幸あらせられ、金堂を大悲閣と命名され、西国26番札所と定め給い、「春は花 夏は橘 秋は菊 いつも妙なる法の華山」と御詠あり、以降永く巡礼の霊場となった。』
加西市坂本町821-17
map
香炉
参道
常行堂(阿弥陀堂)
聖武天皇勅願建立し、天文22(1553)再建。明治初年再々建に着手し、止観道場として使用しました。
地蔵尊ほか
三重塔(国宝)
パンフレットより「承安元(1171)年法印隆西、一和仁西の勧進により造立しました。各層の逓減が大きく安定感があり、三層の照りむくり、三手先の組物、左右二材を組み合わせた本蟇股など平安様式の優美な古塔で我国和様建築の完成を示します。」
本堂(金堂、大講堂、大悲閣)重要文化財
本堂内部
絵馬
天井の札
香炉
鐘楼(県重要文化財)
パンフレットより「寛永5(1628)年、本堂と同じく本多美濃守忠政公により再建、下層が高く、上層が小さく姿よく造られている。」
手水舎
護法堂
仏法守護の毘沙門天を祀っています。
行者堂
仁明天皇御願により創建
弁財天社(左)、妙見社(右)
石碑
地蔵様
燈籠
石造五輪塔
パンフレットより「元亨元(1321)年10月17日、権律師阿弁の銘があり、梵字もしっかり刻まれた堂々たる作品です。この外石造美術には、鎌倉時代の笠塔婆一基、石造宝塔二基がありいずれも県指定文化財です。」
太子堂
五輪塔ほか
放生池
稲荷見子大明神
笠塔婆(県指定文化財)
隣聖院
歓喜院
水子地蔵尊
石碑
粟嶋堂
南無眼地蔵尊
石碑
延命地蔵尊
山号は法華山で、西国26番札所となっています。駐車場はありますが、300円です。お寺の入山料は500円です。
パフレットより『一乗寺は白雉元(650)年法道仙人の開山、孝徳天皇の勅願による官刹であった。仙人はインドより紫雲に乗じて中国朝鮮を経て、谷は蓮華の如く峰は八葉に分かれた当山に降り止まり、山を法華山と名付けた。仙人は観世音菩薩像と仏舎利のみ持し、飛鉢の術をもって供養を乞うた。孝徳天皇が御病気の際、仙人を宮中に召し玉体を加持せしめたところ、御病気忽ちに平癒した。法道仙人を御慕いになった天皇は法華山に金堂を建立し、白雉元(650)年落成して臨幸せられ、法華山一乗寺の勅願を賜い、道慈律師をもって供養し、鎮護国家の道場とされた。永延2(988)年花山法皇御幸あらせられ、金堂を大悲閣と命名され、西国26番札所と定め給い、「春は花 夏は橘 秋は菊 いつも妙なる法の華山」と御詠あり、以降永く巡礼の霊場となった。』
加西市坂本町821-17
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香炉
参道
常行堂(阿弥陀堂)
聖武天皇勅願建立し、天文22(1553)再建。明治初年再々建に着手し、止観道場として使用しました。
地蔵尊ほか
三重塔(国宝)
パンフレットより「承安元(1171)年法印隆西、一和仁西の勧進により造立しました。各層の逓減が大きく安定感があり、三層の照りむくり、三手先の組物、左右二材を組み合わせた本蟇股など平安様式の優美な古塔で我国和様建築の完成を示します。」
本堂(金堂、大講堂、大悲閣)重要文化財
本堂内部
絵馬
天井の札
香炉
鐘楼(県重要文化財)
パンフレットより「寛永5(1628)年、本堂と同じく本多美濃守忠政公により再建、下層が高く、上層が小さく姿よく造られている。」
手水舎
護法堂
仏法守護の毘沙門天を祀っています。
行者堂
仁明天皇御願により創建
弁財天社(左)、妙見社(右)
石碑
地蔵様
燈籠
石造五輪塔
パンフレットより「元亨元(1321)年10月17日、権律師阿弁の銘があり、梵字もしっかり刻まれた堂々たる作品です。この外石造美術には、鎌倉時代の笠塔婆一基、石造宝塔二基がありいずれも県指定文化財です。」
太子堂
五輪塔ほか
放生池
稲荷見子大明神
笠塔婆(県指定文化財)
隣聖院
歓喜院
水子地蔵尊
石碑
粟嶋堂
南無眼地蔵尊
石碑
延命地蔵尊
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