2023年3月1日、お参りしました。
「この村に祇園左近太夫がいて、夙に菅公を崇敬していたところ、連夜、無数の埋め樹が生じ一斉に開花する夢を見たため、村の九大家を始め村人の賛を得て社殿を建て、京都北野神社より、菅公の御分霊を勧請したといい伝えられている。その後天文年間(1532~)、当村西浦城主高井重兵衛、灯明田を寄進す。1662(寛文2)年、社殿を再建修理(棟札写所蔵)し、更に、1774(安永3)年、大阪阿波橋玉屋五兵衛、灯明田を寄進す。1913(大正2)年、幣殿・拝殿を新設するも1929(昭和4)年に落雷により焼失し、1931(昭和6)年に本殿を再建した。10月10日の例祭には、地区内を廻った子供神輿が宮入りした後、練り込みがある。これは、御分霊勧請の際の村民の歓迎の名残りと伝えられている。境内では獅子舞などを奉納する。また、鳥居近くの土俵で子供相撲が行われる。」
神戸市北区大沢町日西原字門之前2413
map
説明書
西の鳥居
参道
鳥居
狛犬
手水舎
獣神
社務所
狛犬
拝殿
本殿
末社、岩佐神社・木本神社・護国神社。地区内株の地神社
神輿
「この村に祇園左近太夫がいて、夙に菅公を崇敬していたところ、連夜、無数の埋め樹が生じ一斉に開花する夢を見たため、村の九大家を始め村人の賛を得て社殿を建て、京都北野神社より、菅公の御分霊を勧請したといい伝えられている。その後天文年間(1532~)、当村西浦城主高井重兵衛、灯明田を寄進す。1662(寛文2)年、社殿を再建修理(棟札写所蔵)し、更に、1774(安永3)年、大阪阿波橋玉屋五兵衛、灯明田を寄進す。1913(大正2)年、幣殿・拝殿を新設するも1929(昭和4)年に落雷により焼失し、1931(昭和6)年に本殿を再建した。10月10日の例祭には、地区内を廻った子供神輿が宮入りした後、練り込みがある。これは、御分霊勧請の際の村民の歓迎の名残りと伝えられている。境内では獅子舞などを奉納する。また、鳥居近くの土俵で子供相撲が行われる。」
神戸市北区大沢町日西原字門之前2413
map
説明書
西の鳥居
参道
鳥居
狛犬
手水舎
獣神
社務所
狛犬
拝殿
本殿
末社、岩佐神社・木本神社・護国神社。地区内株の地神社
神輿