2007.5.16(水)曇り
7:00 起床
9:00 YH香宝寺発~市道~ハワイ風土記館~R9~空港入口~県道21号線~
16:00 グリーンホテルモーリス着(鳥取駅前)
ユースホステル香宝寺は本願寺派のお寺で、設備も整い、温泉があるという嬉しい宿であった。書架には興味深い本もいくつか有るのだが、好天続きで雨読している場合ではない。食事を済まし出発までの90分ほどは、テレビを点けておくことが多い。サラリーマン時代には考えられない事なのであるが、みのもんた氏の朝ズバッというのが氏の軽快なコメントで面白くみることができる。日本語の乱れというより、古いことわざや例えが若い人達に解らなくなっているという問題を取り上げていた。みの氏は新聞を読まないから
そうなるのだという主張だったが、まさにそう思う。しかし、その番組は新聞記事を羅列し、それを解りやすく説明したり、コメントをしたりしているのである。新聞を読む必要が無くなる番組なのである。なにか矛盾を感じるのだが、、、、。
挨拶をして出発、日本海に向かって走る。やがてハワイ風土記館という古墳史料館に着く。えらい坂の頂上にあり、いきなりのアルバイトだ。周りには弥生後期の円墳から古墳時代の前方後円墳まで24基もの古墳があるのだが、調査の後は樹林に覆われており、その存在さえも解らないぐらいだ。
ハワイ風土記館と橋津古墳群1,2,3号墳あたり
長瀬高浜一号古墳は全国でも最大級の箱式石棺が発掘されており、中から148cmの熟年女性の骨が出て、卑弥呼ドリーミングとなっている。ここの丘陵は馬ノ山と言い、秀吉と毛利側の吉川元春が対峙したことで有名な所である。元春は秀吉軍6万に対し6千の軍勢で橋津川の橋を総て落とし、数百の船は総て陸に揚げ櫓は残らず降り棄てたという。いわゆる背水の陣をしいて悠然としていたという。秀吉はいたく感服して、戦わずして兵を引き上げ、元春も追うことはなかったという。「吉川が橋を退きたる陣構え」という言葉が囲碁や将棋の世界に流行ったそうである。元春は毛利のいわゆる三本の矢の毛利三兄弟のひとりである。
国道を泊まで行くと湯梨浜町の泊歴史民俗資料館がある。訪れると鍵がかかっているので閉鎖されているのかと思うが、念のため隣の建物に行くと鍵を開けてくれて、明かりを点けてくれた。要するに訪問客が少ないということだ。旧泊中学校の校舎跡に3,000点もの民具、農具、生活用具等が並んでいる。雑然と並んでいる中に、銅鏡などもありひょっとしたら凄い値打ちのあるものも有りそうだ。
雑然と並べられた収集品と銅鏡
鳥取県の二つの大きな弥生遺跡、妻木晩田(むきばんだ)と青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡について論文とアイデアの募集を行っている。妻木晩田遺跡は大山の方なのでいまさら行けないが、青谷上寺地遺跡は今日の道中なので是非とも寄っていきたい。
国道9号線からJR青谷駅方面に行き、青谷上寺地遺跡展示館にゆく。野外に設置されたパネルで概要を把握してから、展示室に入る。アイデア募集の課題は2点、兎のような形をした黒い石像物と琴の側板に描かれた動物の絵である。その他にも何に使うものか解らないものが数多く展示されており、見る者にとっては楽しい限りである。どこの遺跡にも用途不明の石製品、木製品、土製品は数多くあるのだろうが、展示をしているところは少ない。また、これらについてのアイデアや論文を一般募集しているのは、いい企画だと思う。応募しようと思うが、いい構想が湧いてこない。締め切りは5月末日なので、遺跡発掘ノートと論文・アイデア作品集を購入して、ゆっくり考えることとする。
これは一体何でしょう、アイデア募集中
浜村は温泉と貝殻節で有名だ。このあたりからどうも身体の調子が悪くなる。熱っぽくてしんどいのだ。とにかく鳥取まで行ってビジネスホテルにでも泊まろうと電話するが、数軒断られる。空港近くまで来ると、風も出てきて余計苦しくなってきた。京都も近くなって気が緩んできたのだろうか。ふらふらになって駅前のホテルに入る。なんとか部屋が取れたので、もう一日延泊し休養することとする。近所のレストランで無理矢理食事を押し込み、ドリンク剤と解熱剤を飲み、7時頃には眠る。旅先の病気はつらいものだ。
走行距離53Km 累計10,323Km 経費14,580円
★グリーンホテルモーリス 鳥取駅近く、一泊5,800円 朝食が550円で種類も多く、日ごとにメニューも代わりありがたい。