2007.5.19(土)曇り時々雨 道中13℃
7:00 起床
9:15 つねの家発~大乗寺~県道11~佐津~県道256~R178豊岡~R426~
14:40 ペンションウィンブルドン着(出石)~出石史料館~出石城跡~有子山城跡
夕べ降り続いた雨が朝には上がっていたのだが、出発時にはまたもや降ってきた。昨日温泉への道中に応挙前という店があって、応挙に所縁が有るのかなと思っていたのだが、大乗寺というお寺に応挙とその弟子によるふすま絵が百五十六面あるという。なぜこの地に、と思うがとにかく行って見るべしだ。高野山真言宗のお寺で、山門といい石垣といい、風格のある寺院である。玄関では円山応挙本人が出迎えてくれる。勿論像である。受付を済ますと一室ずつ説明をしてくれる。応挙の「老松孔雀図」「遊鯉図」や一門による「梅花狗子図」など日曜美術館などで見たことのある有名な障壁がここにあったのだ。総て重要文化財である。応挙が使用した硯、欅であったろうか、水差し、筆洗いがある。満足して出てくると、山門横の大クスの木の隣に小さいが根元が瘤のようになったクスがある。応挙が見たらなんと描くだろうか、いやそれとも何の興味も示さないか。
この本堂内に応挙と一門ののふすま絵がある。
国道178号線香住、佐津インター間は自動車専用道路だ。歩行者、軽車両、原付等は海沿いの県道を行くか、山越の市道を行けということである。ふざけた国道だ。おかげでがら空きの県道を行く。国道に合流しいくつかの長いトンネルを越える。兵庫県は鳥取県と逆で、道路に歩道が無くてもトンネルには歩道がある。これは大変助かるし、第一安全である。歩道の段差も鳥取県はひどかったが兵庫県はほとんど無くて大変スムーズである。
同じ国道でも県によってこうも違うものなのか。ところがだ、森本トンネルの歩道を走ってきて愕然とする。先は階段、道路へは大きな段差を降りなければならない。やっとの思いで道路に降ろしたが、いま増えている電動の車いすだったらどうするんだ。行き返すしかないぜ。評判いい兵庫県の道路だけにがっかりである。サービスというものは、9割9分完璧であっても、最後の最後に一回手抜きが有れば、何もなかったと同様の扱いとなるのだ。利用者の立場に立った道路行政、兵庫県にもそんなものは無かった。残念。
トンネルを出ると、石段となる。
出石に着いて宿探しをする。人気の観光スポットなのに宿の看板が無い。観光案内所に飛び込んで聞くと、あるにはあるのだが何しろ高い。安い宿は無いのかと尋ねると、提携では無いようだが、紹介してくれた。あるのは有るもんだね。早速荷を置いて、出石街を彷徨する。出石はなんと言っても皿そばである。あまりに店が多いので迷ってしまうが、なるべく街のはずれの小さな店が美味しい。これ本当。予想通りおいしいそばを頂き、満足満足。出石のシンボル辰鼓楼(しんころう)のあたりは、土産物屋と皿そば屋が妙にけばけばしくて落ち着かない。
左:辰鼓楼あたりの街並み 中:出石史料館 右:旧家に使われている赤壁
史料館ならそう人は居ないと思って、大手前通りを北へ行き、旧福冨家住宅の史料館に入る。明治の時代に再建された商家を史料館としているのだが、紅い壁が上品で気に入った。ベンガラを使っているのではなく、赤土の壁で、かつては出石の多くの建物に使 。時刻は四時前だが山城の有子山城跡に登ってみるか。道はしっかり整備されているが、恐ろしい急登である。泥岩であろう濡れると滑りやすい岩の尾根で、ダイレクトに登っているのできついこと。期待通り誰もいない、来るかこんな所。上半身裸で登る、それでも汗がだらだら、まいったね。いくつかの曲輪を越え、ようやく山頂の石垣にたどり着く。石垣の保存は良く、、、と記されているが、一体どこの保存がいいのか。草ぼうぼうはともかくとして、本丸も三分の一は崩れており、寂しい感がする。
左:山稜の真ん中に有子山城がある。 中:恐ろしく急な登り道 右:やっと到着
本丸跡からは出石の全貌が俯瞰され、素晴らしい眺めである。下り道も心配なので早々に下り始める。30分あたりで下りきり、辰鼓楼などゆっくり見学、もうこのころには観光客の姿も少ない。ビールを買って宿に戻る。
本丸跡は崩壊が激しい、右は出石の俯瞰
走行距離58Km 累計10,468Km 経費2,730円
★出石温泉元湯館 ナトリウム水素塩硫酸塩線 300円(宿泊者は無料) ph8 29℃ 循環 加温 露天風呂有り
★ウィンブルドン 豊岡市出石市 一泊二食付き 6,300円 宿と温泉と食堂がひとつの場所にありリーズナブルで便利。
2007.5.18(金)曇り~雨 出発時22℃、道中25℃追い風
7:00 起床
9:45 グリーンホテルモーリス発~R53~県道318~県道265~鳥取砂丘~
県道319~R9~駟馳山峠(しちやまとうげ)~R178~浜坂~
16:00 香住つねの屋着~矢田川温泉
9号線は面白くないので県道経由、鳥取砂丘を巡りながら行くこととする。途中住宅地の中に離水海食洞と言う看板有り、少し道をずれて見に行く。1m程の穴が奥へ続いている。現在の海岸から4Km程内陸だが、海岸の波によってできた洞である。縄文海進(気温の上昇によって極地の氷が溶けて海水面が上昇したもの)により形成されて、その後の海退により現在地に残されたものだ。古代の鳥取、千代川河口はかなり内陸であったといわれる証拠となっている。
離水海食洞
鳥取砂丘は何度も訪れているので、道路から眺めるだけにする。折からの西風で大きな波が立っているが、よく見ると砂を含んで波頭が茶色い色をしている。砂丘の生成過程がよく解る
鳥取砂丘と打ち寄せる波、波頭に砂を含み茶色くなっている。右は広がるらっきょう畑
。駟馳山峠のあたりではジリジリと太陽が照りつけて、昨年の夏の旅を思い出す。
どんな種類なのか知らないが、蝉が鳴いているではないか。もうそんな季節になったんだと感激していたら、山の方では鶯が鳴いている。季節が交差している時季なのだろう。
初蝉や 鶯も鳴き 駟馳峠 うとく
峠を下りて海岸沿いの178号線に入ったところに小畑古墳群(こばたけこふんぐん)の案内がある。1号墳は小山の裏側にある横穴式石室なのだが、大きな切石で形成されており、石室全長は11mを越える巨大なものである。地元では穴観音と呼ばれており、これは後世石像観音菩薩三十三体が祭られていた所以である。石室に行くまでにコンクリート造りの祠があり、地蔵様などが祭られているようだが、見ると蝋燭が灯っており、この地の人々の信心深さがうかがわれる。石室は中には入れないが、大きな石で組まれており、かなりの有力者が葬られていたのだろう。3号墳は9号線の工事で発見されたそうだが、この地に復元して展示してある。立派な石棺で、副葬品も沢山見つかっているそうである。
小畑一号墳(穴観音)と移築復元された三号墳
またこの地には自然石に名前を大書きした顕彰碑が多く建っており、展示古墳のすぐ近くに「下り松治良兵衛」「八幡山庄右右衛門」の二基があり、前者は天保15年の銘が入っている。そのまた10m程横に「生月云々」の碑があり、これは源頼朝の愛馬生月がこの地で誕生していると言うことである。馬まで碑が建てられるのだから凄い。あたりの山を見ると、あちこちに岩盤が見えており、海岸も合わせて豊富な岩が古墳や石碑を支えていたのではないか。
浦富、東浜あたりの美しい海岸と上り下りの道を越え兵庫県に入る。浦富は二十年ほど以前キャファの合宿に参加したその場所では無かろうか。小原巧、八尾彰一、高橋希代子など蒼々たるメンバーが加わっていた。実は私自身もその当時が絶好調の時期だったように思う。辻本さんに電話して確認しようとしたが、不在であった。
諸寄(もろよせ)から城山の坂を越えると浜坂の町に出る。浜坂は孤高の岳人加藤文太郎の故郷である。私の最も好きな登山家は加藤文太郎と松濤明である。加藤文太郎の「単獨行」の古い本がある、初版ではないが私の宝物のひとつである。今でこそヒマラヤの冬期でさえ単独で登る時代だが、当時の装備、当時の労働環境でよくぞあれだけの山行を行ったものかと敬服する。文太郎、明両氏が槍ヶ岳北釜尾根で遭難死するのは偶然の一致だろうか。
観光案内に加藤文太郎氏の墓というのがある。観光地にはよく誰々の墓というのがあるのだが、あまり好きでないので訪れていない。ただ小原庄助の墓だけは探しに探して行ったのだが、、、。加藤文太郎のお墓はお参りしたい、こんな機会は無いと思う。
ところが墓所の場所が解らない、街を3周ほどしてようやく墓地に着くが、これが信じられないような大きな墓地で、いくら探しても見つからない。お墓の中を墓標を見ながらうろうろするのはどうもみっともない感じである。お墓の入口に手書きの案内図が書いてある、簡単なルート図が書いてあるのだが、その波線で書かれた部分、右、左、右、左を
忠実に辿ると、行き着いた。実に20分ほどを要した。登山家だけに高度なルートファインディングを要する墓所である。その墓石には「冬山登山中槍ヶ岳北釜尾根ニテ遭難ス
昭和十一年一月六日 加藤文太郎 享年三十一才」と記されてある。旅が終わったらもう一度単獨行を読んでみよう。
左、中:孤高の人の碑と文太郎の墓 右:お墓へのルート図
桃観峠を越えると、余部(あまるべ)に着く。何年か前あの鉄橋から列車が落ちて死傷者を出すという信じられないような事故のあった鉄橋がある。平成二十二年には撤去されるということで、訪れる人も多いそうだ。特に工事のためシートが掛けられ、鉄橋の姿が見えなくなると言うので、テレビ局の取材なども来ている。海岸も美しい箇所があるが、観光バスが止まり多くの人がうろうろしているので、素通りする。上り下り、トンネルを越えて香住に着く。
キャンプ場も有るようだが、今夜の雨が予想されているので民宿を探す。あまりに多くあるので解らない。駅の案内所で紹介してもらう。荷物を置いて矢田川温泉に行く。すぐ近くかなと思ったら4Kmもあった。漁師町だけあってこの時間利用客が多い、必死で会話を聞いているのだが訛がきつく、今ひとつよく解らない。漁や船の話には違いないのだが。
走行距離74Km 累計10,410Km 経費9,880円
★かすみ矢田川温泉 NaCa-塩化物・硫酸高温泉 500円 循環 サウナ、露天風呂、うたせ湯有り
★峠列伝(59)駟馳山峠61m R9鳥取市岩美町境 困難度1 景色2 トンネル有り 歩道有り(トンネル内無し) 水場無し
★峠列伝(60)陸上(くがみ)トンネルの峠 R178陸上付近 困難度2 景色4
水場無し トンネル有り 歩道無し
★峠列伝(61)桃観峠132.7m R178 兵庫県新温泉町、香美町境
困難度3 景色4 水場無し トンネル有り 長い快適な下り
★民宿つねの家 香住町七日市 一泊朝食付き 4,935円 駅近く便利、冬場のカニがメインか。
2007.5.17(木)雨のち曇り
7:00 起床
11:00 グリーンホテルモーリス発~県立博物館~鳥取城跡~
15:00 グリーンホテルモーリス着~鳥取温泉木島湯
夜の間恐ろしいほど汗をかき、シーツを濡らして夜が明けた。ありがたいことに熱も下がり、気分もすっきりしている。夕べから雨も続いているが、午前中で上がるという予報なので、鳥取城方面に出かけることとする。いつまでたっても雨が止まないので、県立博物館に入る。地学生物展示室にはオオサンショウウオの液浸標本があり、143cm、44.3Kg2003年に死亡したおそらく日本最大のオオサンショウオだろう。ここまででかいと気味が悪い。歴史民俗展示室では鳥取地方の民俗芸能等のビデオが面白く、特に各地で害虫として忌み嫌われている斉藤実盛(サネモリ虫)が虫送りの神様として尊敬されている兵庫県境の村の祭りなど興味深いものがある。旅の最初に興味を持っていた幼児を入れる藁の籠をここでは「あこざ」という。あこというのは幼児のことである。また、戦前の修身の教科書があり、木口小兵の部分については「コヘイハ ラッパヲクチニアテタママデ シンデヰマシタ。」というのが正当な文であった。
鳥取城跡と県立博物館
鳥取城は中世山城部分と山麓の近世城郭部分があり、値打ちは山城と思うのだが、今日の体調と天候では登れそうにない。山麓部分はあまり魅力的でもなく、その上工事中であり、ざっと巡って終わりとする。
鳥取温泉は鳥取市中、鳥取駅から1Kmぐらいの所にあり、これだけ都市部にあるのも珍しい。温泉旅館もありビジネスホテルにも温泉が引かれているところもあるようだ。公衆浴場も三件有り、ホテルのスタッフのお勧めで木島温泉に行く。駐車場に黒の高級車が駐まっており、なんとなく嫌な予感がしたのだが、はたしてくりからもんもんのおじさんが数人入っており、特段危害が有るものではないがなんとなくつらい。ひとり上がったなと思うと二人入ってきたりして、いつまでたっても落ち着かない。早い時間の公衆浴場ってこんなもんか。さっさと上がって食事に行く。明日は天気もいいとの予想、体調も良くなったので、良しとするか。
走行距離13Km 累計10,336Km 経費5,683円