2010.1.5(火)曇、雨、雪
昨晩は大風が吹くという予報で、家の周りをしっかり片付けて準備する。確かに風は吹いたが、それほどでもなく拍子抜けというところだ。やはり上林の風は春が一番である。
昨日紹介した「古代の朱」の中に面白い記事があった。湯殿山のミイラと水銀について調査をされたもので、湯殿山は水銀含有量の多いところで、ミイラの中にも多くの水銀が含まれているというものである。いわゆる即身成仏の仕方について研究されているが、個人差があってうまくミイラになれない僧もあったようだと言われている。そういう僧は梁から吊して薫製にした、即身仏の中に胸に十字の縄の跡があるのがそれだと言われている。というような内容だ。
ここで小説月山に出てくる即身仏について、不思議に思っていたことがあったのでこの機会に書いておこうと思う。月山はもう三度も読んだので慣れ親しんだストーリーなんだが、不思議に感じていたことは、主人公「わたし」が注連寺に滞在しているときは寺院内にミイラは火事で焼失したとかで無くて、現実の今の注連寺にはしっかり存在することだ。もちろん小説の中身と現実を混合して考えるのは論外なことかも知れないが、「わたし」が滞在した間の村や寺の様子はあながち作り事ではないような気がするのだ。
相模地蔵、大日坊の銘がある。
月山方面を望む。
月山の中に行き倒れのやっこのミイラというのが数カ所出てくる。「ンだ。吹きの中の行き倒れだば、ツボケの大根みてえに生でいるもんださけの。肛門から前のものさかけて、グイと刃物でえぐって、こげだ鉄鉤を突っ込んでのう。中のわた(腸)抜いて、燻すというもんだけ。」「おぼけ(びっくりし)て腰はぬかしたんども、まンず、仏は寺のなによりの商売道具ださけの」というような調子だ。
さてここで注連寺の鉄門海上人の即身仏について様々な伝説があるのだが、有名なのは眼病が流行した際に自らの左目をえぐり出して祈願をしたことと、自らの睾丸を女郎にくれてやったことだろう。実際に即身仏には左目と睾丸がないそうだ。
左目はともかく、睾丸がないというのは月山に出てくるやっこのミイラと同じじゃないか。
鉄門海上人の 即身仏については、戦後大阪や東京に見せ物として出されていたとか(森敦が注連寺に滞在したのは昭和26年である)、上人は実は風邪で死亡し、薫製してミイラにしたとかという説もあるようだ。これはいかにもつじつま合わせのような気がするのだが、、、、、。古代の朱の著者松田壽男氏は気を使ってか「不幸にも悲願を達成できなかった行人もたいへん多いわけである。なかには、そのばあいに梁からつるして薫製にされたものもいた。」と記しているのだが、それは果たして行人であったのだろうか。
【作業日誌 1/5】
バイオトイレ2缶目作製
ドッグラン用看板作製
今日のじょん:じょんが吠えるのは、見知らぬ人が玄関に来たとか、誰かが道を歩いているとか、獣が周囲を徘徊しているとか大変有効なものもあるが、梅の木に鳥が留まっているとか、風に袋が揺れているとかあまり役立たないものもある。それよりなんで吠えているのか解らないのが結構あり、これが一番つらい。 寝ていたものが突然起き出して吠えたりするので、なにか訳があるんだろう。
これも起き出して何か見ているのだが、なんだか解らない。