晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

続々 日置氏の正体は? 1/12

2010-01-14 | 歴史・民俗

2010.1.12(火)曇

 「太陽の道」か「鉄の道」かなどと論争されていることばかり書いて、タイトルにある日置氏について書いておかなければならない。カテゴリーも雨読から歴史・民俗に変えよう。
 日置氏とは如何なる氏族なのか、地名辞典や書物を紐解くとあらゆる説が現れ訳が解らなくなる。そのうち最大公約数的に主な説をあげると、まづ日神祭祀の集団と云う説、戸数を調べおく品部というものだろう。その次に、鉄、金属に関係する集団というもの、朝廷で油や蝋燭など燈火に関する職をもった集団などという説がある。
水谷氏はこれらの総ての説に矛盾しない(鉄に対しては言及していないが)仮説として、日置氏を決して権力の表に出ない現代のテクノクラートにも似た「蔭の測量師」と呼んだ。つまり古代の太閤検地といえば解りやすいと思うが、税を徴収するにあたって、戸数を調べる、つまり戸籍を確定し、田畑の測量をするのは基本である。それらの役を担っていたのが日置氏だという説だ。日置の地名が地方に飛んで存在するのはそのためだという。わたしはこれらの説がイエスであるかノーであるか判断する資料も知識も持っていない。ただ、日置は戸置(へき)であって、租税を徴収するために戸数を調べ置く集団、役所だという、江戸時代の国学者判信友らの説は直感的に受け入れられないのである。水谷氏も最初はこの説がどうも理解しがたいものであったと書かれている。ところが日置氏が測量の専門技術集団だとした場合にこの戸籍役所説が符合してくると結論づけられているのだ。真弓氏は五十瓊敷命(いにしきみこと)大刀一千口を作ったとき、参加した十箇の品部の中に日置部があること(日本書紀)などを理由に、日置氏が製鉄に関連する氏族であることを主張されている。
 このことに関し、数日間思いをめぐらせているのだが、日置という地名は各地に数多くある地名だという。もし戸数を調べて徴税のための測量をするとしたら、朝廷の権力の及ぶ地域で、農耕の盛んな地域と考えられないか。山間僻地の田畑も無いような地域だと意味をなさないのではないか。また、産鉄、製鉄に関する氏族だとしたら、産鉄の地に存在することは明らかである。
 残念ながら今その調査に取り組む余裕がない。しかしいつか取り組んでみたいと思う。その時上林の日置谷(へきだに)の古代の姿も、少し見えてくるのではないか。

 【作業日誌 1/12】
枯れ草焼却
薪玉切り、薪割り

今日のじょん:イスを退けたら吠えるのは無くなった。なーんだこれやったんかと、幽霊見たりの心境になるのだが、回数は減っても必ず数回吠えることがある。もちろん外の様子をうかがうのだが、何も見つからない。一体何を感知しているのだろう。Img_3579            


こういう風に尻尾下げて不安そーになるのよね。

コメント
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