2013.6.6(木)晴れ
京都帝釈天登り口にある石灯籠の穴については、盃状穴であることは間違いないと思われるので、今回は大きさや個数などを調査するとともに、聞き取りなど出来たらというぐらいに思ってきた。参道入り口とはいえ、個人の家の敷地内にあるので、気兼ねしながら測っていると、その家のご主人が帰ってこられた。
「珍しいものがあるので見せてもらってます」
「ああ、よく見に来られて紙に写し取って帰られたりしますよ」
「それは石柱の方でしょ、そちらではなくて石灯籠の台にある穴のことなんですけど、、」
「えっそれは雨だれの作った穴ですよ」
西村さんとおっしゃるこのご主人は、聡明な方だった。怪訝そうにしているわたしの顔を見て、「雨だれの落ちる場所じゃないねえ、それに穴の大きさがまちまちじゃ」
皆が見に来るのは向こう側の石柱らしい。
わたしの興味はこの盃状穴。
鋭い観察眼である。「そうなんですよ、これは盃状穴というもののようです」と説明すると納得された様子で、この石灯籠のいきさつなどお話いただく。
この石灯籠は西村家で世話をされていて、昔は夜になるとろうそくを点けていたそうだ。やがて電気を点けるようになって、今ではその電気も灯らなくなっているそうだ。
「子供が草搗き遊びなどしていたことはありませんか」と聞いたが、記憶には無いそうだ。女の子ならしていたかもしれないのだが。
ロクロヶ谷のことも聞いたら、知っておられた。ロクロヶ谷は帝釈天登り口から桂川を500mほど遡ったところにある新庄発電所から千谷(せんたに)峠に向かう谷の支流だということだ。
「木地屋といって木の椀を作っていたと思われる谷なんですけど、移動しながら生活していたので何も残っていないと思います」
「土が無くなったら移動するわけか」
なるほど一般的にはロクロと言えば茶碗を成形する道具である。
「ロクロと言っても茶碗ではなく、木でお椀を作るのです、木が無くなれば移動するのです」
ロクロヶ谷は新庄発電所の右手の道を入って行く。
「ところで、帝釈天に奉納してある鉄の塊はいったいなんでしょう」と先ほど撮った写真を見せて聞いてみる。
「いつのものだかなんだか解らないけど、空襲の際の爆弾の破片というはなしもあるようだが」
なるほど、爆弾の破片なら納得できる。それにしてもあんなに分厚いものなのだろうか、この辺りで空襲はあったのだろうかなどと疑問も湧いてくる。
「爆弾の破片を奉納するというのも解らないではないですが、鎖で厳重に留めてあるというのはどういうことでしょうねえ」
この厚さの爆弾なら相当大きいものだろう。
「よく解らないけど、福寿寺の住職なら歴史のことをよくご存じだし、書いたものもあるかもしれないよ」と教えていただいた。
これは幸いと思ったのだが、あいにく時間が足りない、日を改めて訪問することにする。つづく
【晴徨雨読】224日目(2007.5.8)大豊町~大歩危
大歩危は高校生一人旅の時に訪れている。高知から電車で訪れ、また電車で帰っている。これが妙な旅で大歩危の景色のことなど何も憶えていないのだ。憶えているのはホームのベンチで寝っ転がって電車を待っているとおまわりさんが来て、「こんなところで野宿してもらったら困る」というのだ。こちとらそんな気はさらさら無く電車を待っているだけなんだが、そんな職務質問されるんだから相当遅い時間なんだろう。そして高知城を訪れて、足摺岬に行っている。高知に泊まった記憶は無いのだ。いったいどこで夜を明かしたのだろう。
最も今回の旅はしっかりしたもので祖谷渓を始めいろんな所を巡っている。
高知の高地性集落は半端じゃない。
祖谷渓に向かう平家屋敷はどうやら本物らしい。
【作業日誌 6/6】
ドッグランどネット張り、支柱立て
【今日のじょん】ドッグランどプレオープンしてから、臭い嗅ぎで大変。
「そんなもんいちいち嗅いでたらこれからきりがないで」