2013.6.24(月)曇り
沖浦氏はサンカの起源が幕末期の飢饉によって発生した帳外者、無宿者であるとし、いくつかの根拠を示している。例えば飢饉の被害が甚大であった地方ほど、明治期のサンカ情報が多いのも一つの根拠だろう。
わたしは「知井村史」などで飢饉によって無宿者となった農民が、その借財でもって村を出なければならなくなったことを知り、沖浦氏の説に確信を持つこととなった。
単に無宿者というだけなら、自らの本貫などについて秘密にする必要は無い。サンカは本貫はもとより名前や家族などについて語ることも書くこともしなかった。他の漂泊民、木地屋や家船(えぶね)などが由緒書きを持ち、自らの説話や伝承も語っていることと正反対である。
サンカの起源が歴史的に浅いという一つの根拠となるが、借財に追われて村を出たということが大きく影響しているのではないだろうか。
柳田国男の日記にサンカに関する聞き取りの部分がある。
「また石川県にてオゲの貞女あり。夫の死したるとき村民憐みてよくこれをいたわる。その折りに見たるに、その小屋には小さき厨子ようの物ありて、その中に先祖の位牌を納めていたり。平人とさして異なる生活にはあらざるか。はたこのオゲのみが、特に彼らの中に入り込んでいたものか。」
オゲとはサンカのことであるが、柳田氏はサンカが近世末に発生したとは考えていないので、このように位牌を持ったオゲが腑に落ちなかったようである。
実は同様の話を他の本で見たことがある。漂泊、山民に関する本を乱読しているので、いったいどこに書かれていたか不明なのだが、「漂泊の女性が村の薬師堂かなんかに居つき、誰とも口をきかなかった。懇意になった者にようやく口を開き、出所も名前も告げ、包みの中から先祖の位牌を出したそうである。そしてその日に姿をくらました。」というものである。この話はサンカに関するものでは無かったと思うが、同様の説話が各地にあるのかもしれない。
いずれにしても柳田氏の話など、着の身着のままで夜逃げしたものが、せめて位牌だけでもと持ち出しだしたと考えれば順当な話に思えるのである。
サンカは特別な民族でも種族でもなく、歴史の波の中で必然的に生まれ、そして消えていった民衆の一形態である。放っておけば歴史の中からも人々の記憶からも消えてしまうだろう。沖浦氏が綿密な調査と聞き取りの中からまとめられた本書はまさに名著である。
本書の表紙を飾るサンカ移動の写真の彼らの笑顔は心をとらえてはなさない。
【作業日誌 6/24】
草刈り(3-5、終了)
ドッグランど柵作り
【今日のじょん】連日のワンコの来じょんで、朝の臭い嗅ぎが大変、とにかく気がそちらに行っているのでぽんぽこぽん訓練も形無し、スタートもおいでもちっとも聞かない。写真は怒られてすごすご帰って行くところ。