2013.6.13(木)快晴 上林の盃状穴(23)は2013.6.7
雨水が地輪に穴を穿ったと仮定して、それが大小不均一になる理由としてもう一つ考えられることは、石灯籠自体が傾いていて、水滴の量が一方に偏ったということが考えられる。特に今回の場合参道に向かって左側が大きく、右に行くほど小さく不鮮明になっている場合、左に傾いていたらそうなるのではと考えてしまう。
一見当然のような考え方なのだが、その場合灯籠の円柱部分、これを竿(さお)と呼ぶそうであるが、左の穴が竿から離れ、右側が竿にくっついて穿たれるはずである。
京都帝釈天の石灯籠の場合、竿の周囲に均一に穿たれており石灯籠が傾いて不均一な大きさの穴が開いたとは考えられない。
このように現地に行けないものだから様々な想像を巡らせているのだが、雨水により穴が作られたとは考えられなくなってきた。それは単純な理由である。もし雨水によって地輪に穴が出来るということがあるならば、今までに見てきた多くの石灯籠にもその痕跡は見られるはずだからである。石灯籠の地輪部分は特に注意して観察しているので見落とすことはあり得ないのだが、とにかく発見したのは今回が初めてなのである。
というような情況で、やはりこの盃状穴は巷間言われている雨水によるものではなく、人為的に穿たれたものだろうと考える。ただし、雨水が落ちるかどうかの実験は次回訪問時に行ってみたい。
参道側から見た盃状穴、この辺りが最も不鮮明。
2.なぜ、京都帝釈天に無くて、遠く離れた参道の入り口に存在するのか?
まだ盃状穴に対する調査件数が少なくて一概に言えないのだが、現在言えることは盃状穴は街中の施設に多いということだ。解りやすく言えば民家の近くの神社等ということになる。
これは近世に穿たれたいわゆる二義的盃状穴といわれるものに関して言えることだが、文献に現れる盃状穴も同様の傾向があるようだ。
このことは「子供のいたずら説」のひとつの根拠となるかもしれない。
「子供いたずら説」は一般に言われる盃状穴の成因理由として最も多いもので、その存在をご存じの神職、住職などのほとんどがこの説を信じておられる。
今回の京都帝釈天の盃状穴が初めての雨水説であった。つづく
【作業日誌 6/13】
ドッグランどネット底部処理、デッキ手すり作成
【今日のじょん】最近のじょんの楽しみは、仕事終了後のウッドデッキでのビヤガーデン。といってもじょんがビール飲むわけでなく、少々の竹輪をもらうだけなんだが、結構嬉しいみたい。要するに人間どもがビール飲んで楽しんでいるのだが、この時間谷からの涼風があり、次々と咲く花や育ってくる樹々を眺めて飲むビールは格別である。
じょんは竹輪が好きなんだな。
【晴徨雨読】227日目(2007.5.11)高松~倉敷
高松城には多くのサヌカイトが使われている。佐賀県のカンカン石に始まって中国四国で沢山の伝説に残るサヌカイトにあってきた。なぜか親しみを感じ、破片を拾ってきた。玉野では玉比咩神社の立石に驚く。瀬戸内は磐座の宝庫と言ったところだが当時は関心も無く通り過ぎてしまった。