2015.7.4(土)曇り
実はこの間沢山の本を読んだのだが、雨読に書かないので記憶が無くなってしまっている。だから余計筆が進まない状況となりどんどん溜まり、将に悪循環となっている。当面思い出しながら書いていこうと思うので、興味の無い方には誠に面白くもない記事となるだろうが、おつきあい願いたい。
「親鸞と被差別民衆」河田光夫著 明石書店 1994年11月第一刷発行 古書
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。」「歎異抄」(たんにしょう)に出てくる親鸞のことば、いわゆる悪人正因説は誰もが聞いたことのあることばだろう。歴史の授業では必ず出てきたし、一体何のことだろうと考え込んだり、チンプンカンプンな先生の説明を聞いていたことが思い出される。それから数十年そのことについて考えることもなく、ましてや研究をするでもなく過ごしてきた。
本書は実に丁寧にその意を明らかにされている。まず悪人とはなにかということが重要になってくるのだけれど、河田氏はケガレ差別(室町期)より以前に悪人差別(鎌倉期)があったと説かれている。文献に出てくることばを丁寧に拾って時代別に検証すると確かに悪人という差別が考えられる。後半に資料があるのだが文献で悪人と書かれているものは、蝦夷(えみし)、濫僧(ろうそう)、、犬神人(いぬじにん)、癩者、屠児(とに)、狩人、漁民、商人、女性、武士(平安期)、悪党などとあり、農民以外はすべてが悪人になりそうである。ちなみに悪人善人というのは今で言う悪い人、良い人でないことは言うまでも無い。
悪人が往生を遂げる確かな原因であるという親鸞の思想は実に素直に書かれているのだけど、ここでは伏せておこう。知りたい方はいつでも本書をお貸しするので読んでいただきたい。ヒントは「他力をたのみたてまつる」ということだろう。