2015.7.25(土)晴れ
サンカについては当ブログでずいぶんと書いてきたので、古い読者の方はご存じかと思うが始めてみられる方は一体何なのかわからないと思う。「定住しないで山間に瀬降り(せぶり、仮小屋や天幕生活をすること)しながら、漂泊していた人々」といってもよく理解できないだろうか。その多くは徐々に市民生活に同化してきたが、一部は1950年代頃まで漂泊生活を続けるものもあったそうだ。
始めてサンカのことを知ったのは今から40年も前のことだが、丹波の山間で細々と田畑を耕していたわたしの母に尋ねたことがある。
「箕(みー)とか笊とかを行商に来ていた人はおらんかったか?」
「毎年決まった時期に歩いて売りに来ていた。重宝なので買っていた」
「それは知ってる人か?」
「いやどこのだれだか知らなかった、村の人なら分かるはずだからどこかから来てたんやろ」
それがサンカだったのか、それとも単なる竹製品の行商人なのか今となってはわからないのだが、母はサンカという言葉は知らなかった。
明治の時代に確かにサンカはいた。しかし明治新政府以来、昭和27年の住民登録制に至るまで無籍の漂泊民を政府は放ってはいなかった。彼らは納税、徴兵、教育の義務の埒外にいたからだ。戸籍に登録され、一般社会に同化するいわゆる<トケコミ>の歴史、その側面を小説にしたのが「風の王国」だと思う。本書に出てくるサンカ狩り、強制労働などが実際にあったのか否かは分からないのだけど、明治新政府の野蛮性を追求している点には共感を得る。北海道の開拓工事に囚人を狩り出した事などは事実であり、明治新政府がいかに野蛮で非人間性であったかは明らかである。
五木氏と沖浦氏の出会いについて決定的な文章を見つけた。それは五木氏の「サンカの民と被差別の世界」116頁~120頁に書かれている。沖浦氏が中国山地のサンカの末裔に会うのだが、実は彼らが「風の王国」の熱烈な読者であったと言うことである。サンカの末裔とされる人たちが書いた記録の中に「風の王国」からサンカの歴史とアイデンティティーをめぐる重要な箇所が5頁分抜き書きされていたという。サンカに対する奇異な目で書かれたもの、犯罪者のごとく書かれているものなどはいくつもあったのだが、そもそも自分たちの起源が分からない人々が自らのアイデンティティーとして「風の王国」を持っていたということだ。そのことが沖浦氏と五木氏の結びつきの原点であると考える。「風の王国」「幻の漂流民・サンカ」「サンカの民と被差別の世界」は三冊を読んで始めて理解できる不思議な世界のような気がする。
それにしても二上山はなんと縁のあるところだろう。日置の研究、穴虫の研究、古墳石材やサヌカイトの研究、火葬墓の研究、古代葬送の研究そして今回のサンカの小説の舞台と何とも縁の深いことか。
主人公速見卓が近鉄特急で二上山に向かう場面がある。大和郡山を過ぎたあたりから西の方角に見え隠れする特異な山容を追いかける様子は、わたしが始めて二上山に向かった時と景色も感情も同じであって驚いた。最も彼の相方は謎の天台僧なのだが、わたしの横では娘がグウグウ居眠っていたのである。
穴虫、二上山、竹内街道、矢も盾もたまらない思いである。
いつでも撮れると思っていたら遂に機会を逃してしまった二上山。
南無阿弥陀 佛の御名を呼ぶ小鳥 あやしや たれか ふたかみの山
【今日のじょん】じょん君が登場しないので心配、、、という方に最近のじょん君お見せしましょう。
往年の元気は無くなったが、兄妹が亡くなってから2年がたとうとしている。夏はこれからだのに長い影が寂しいねえ。そういえばじょんの先生、マック隊長の訃報を聞く。やっぱりあのお見舞いの日が最後になってしまった。合掌