晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 「サンカの民と被差別の世界」 7/5

2015-07-05 | 雨読

2015.7.5(日)曇り

 五木寛之氏といえば「青春の門」「蒼ざめた馬を見よ」などの小説が有名だが、「風の王国」でサンカについて書かれている。小説だからといって荒唐無稽というものでは無く、数多くの文献などを調査した上で書かれているようだ。それが沖浦和光氏に影響を与えているという一文が出てくる。沖浦氏の著書は「竹の民俗史」「日本民衆文化の原郷」「日本の聖と賤 中世篇」(雨読2015.2.2)「幻の漂流民サンカ」(雨読2013.6.20)などを読んでいるが、それらの中にも「風の王国」について書かれていたように思う。そういう意味では本書より先に「風の王国」を読むべきではあった。
 「サンカの民と被差別の世界」五木之著 講談社2005年10月第一刷発行 古書

 沖浦氏と五木氏は随分親交があったようで、本書の内容は沖浦氏の各誌と同じ流れの中で書かれている。ただし、小説家の場合発想が自由で、奔放であることが魅力である。学者の場合は同じように発想しても確たる証拠が揃わないと発表するのは難しい。下手をすると学者としての地位を失いかねない状況となる。その点小説家であれば大胆な発想ほど受け入れられる。無責任といえば言い過ぎだが、読者にとってはその方が魅力的だし楽しいわけだ。松本清張氏や黒岩重吾氏の古代史に関するものなど一気に読んでしまう楽しさがある。そして実際その方が真実に迫っていることもあるのではないだろうか。
 五木寛之氏の本書においてそういう箇所を幾つか紹介してみよう。
 「小説家の発想というか、直感にすぎないのだが、私は何となく海の民は曲線的、農民は直線的、という印象を持っている。」(P44)農民にとって忌み嫌われる蝮や蛇などを崇拝しているのが海民とか船乗りなのだと書いている。曲線といえば隼人の盾の渦巻きをまず思い出した。これなどは南方海洋民族の流れを汲むものなのだろうか。

沖縄県南城市玉泉洞に展示されている船。蛇は海洋民族のトーテムである。(2007.3.3撮影)
 「水軍の船は木造船だったが、鉄も要所要所で使われていた。そのため鍛冶業が発展したのだった。考えてみれば、雑賀衆も鉄砲をつくる技術を持った鍛冶の専門家集団である。熱烈な真宗門徒だった両者に「鉄」という共通点があるのは興味深い。」(P51)
 真宗と「鉄」を結びつける発想には始めて出会った。わたしの研究中の何鹿郡鋳物師集団も敬虔な真宗門徒であり、歴史的にも鋳物師、鍛冶師が真宗と関係深いことはいわれている。真宗寺院の近隣にかつての鋳物師、鍛冶師が居住している例が多いこともうすうす気付いていた。五木氏の「鉄」の発想は本書ではそれ以上に発展するものでは無かったが、発想、着想には特異なものがあると感じた。おわり

【今日のじょん】マック隊長の具合が悪いと連絡が入った。6月23日見舞いに行ったときは食事はしっかり取っていたみたいだったけど、今では流動食になってるそうだ。じょんにとっては社会性をつける先生だったし、海に山に活動的だっただけにつらいなあ。

寝たきりになっても愛想振りまいて、けなげな隊長である。(6/23)

【作業日誌 7/5】畑のネット張りまくり。

 

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