2015.9.8(火)雨
7月1日、長岡天神に向かう10分間の間に大雨が降って全身ずぶ濡れになってしまった。ルーヴル美術館展が開催されている京都市美術館に向かう途中のことである。入場料の割引がされる新聞の切り抜きを握りしめて向かったのだが、このずぶ濡れでは堪らない、がたがた震えながら綾部に帰ってきた。もう諦めていたのだが、プーさんが「ルーヴル美術館展観たいねえ」って言い出すから行くことになった。やっぱり雨が降って大変だったが、7月ほどのことは無い。
普通のルーブル美術館展なら行ってないだろうけど、今回のは「日常を描くー風俗画にみるヨーロッパ絵画の神髄」というものだ。フェルメールの「天文学者」、グルーズの「割れた水瓶」、マセイスの「両替商とその妻」など有名な絵の実物が見られるのだから素晴らしい。展覧会も終盤にかかっているためか多くの人で落ち着いて鑑賞するのは難しいが、さすがのルーヴルに感動する。絵の見方は各人の勝手だが、やはり風俗画となるとその当時の暮らし、特に庶民の暮らしはどうだったのかと、歴史博物館を観る感じで見てしまう。16世紀は裸足の人が多いが18世紀になるとみんな靴を履いてるなあとか、八割方の絵の中に犬が登場しているのもヨーロッパの生活文化を感じさせる。狩りの場面には当然だが、家の中でペットとしているのも多いのだ。中にはマルチーズがいたりして、ペット文化の先進性を感じる。年代が新しくなると首輪をしているのも多くなり、やはりベースには狩猟文化があるのかとも思われる。日本では江戸時代あたりの年代だから、やはり文化の違いを思わせる。
庶民や貧民を描いているのだけど、描いているのは王侯貴族に雇われた画家達だし「蚤をとる少年」も「蚤をとる女性」も妙に血色が良かったりして貧しさや悲惨さは伝わってこない。絵に込められた教訓めいたことはともかくとして、皮肉めいたことはその雇い主にはわからないだろなあなんて余計な想像までしてしまう。
一番嬉しかったことは、カミーユ・コローの「アトリエ・画架の前に座る若い女」がその中にあったことだ。どこでこの絵を知ったのか憶えはないのだが、どこか見覚えのある絵で、この絵の実物に会えたことはこの上なく嬉しい。コローに家族があったかどうかも知らないのだが、彼の娘に対する情愛を感じてしまうのだ。斜め後ろから描かれているからだろうけどその顔の輪郭と頬の膨らみがわたしの娘に似ていて、マンドリンを持っているのが余計そのように思わせる。コローに娘がいたとしたら、マンドリンを弾いている途中に「お父さんって何描いてるんだろう」なんて、ふとアトリエに入って絵を覗いてみる。そんな情景が浮かぶんだが、本当はどうかわからない。わたしが思うんだからそれでいいのだろう。同じ色調の「身づくろいをする若い娘」と二枚のポストカードを買ってきた。
左のが「アトリエ」