2015.9.25(金)雨
なんとも壮絶な本である。サブタイトルは「生活民俗と差別昔話」というものだが、社会の底辺にあるとされた非常民の生活と性民俗を独特の資料収集と筆使いで書かれたものである。
「非常民の民俗文化」赤松啓介著 明石書店 1991年第6刷 古書
柳田国男氏がサンカや木地師などのいわゆる非常民の研究を急に止めて常民の民族学を提唱し始めたこと、性民俗、性風俗については黙して語らなかったことは有名でありまた謎である。赤松氏はこの柳田氏、柳田民俗学を徹底的に批判している。柳田民俗学に欠いている部分を本書に求めたのだが、学術的な内容ではなく、個人的な体験談や見聞きしたことを羅列してあるばかりで、週刊誌の下ネタ記事を読んでいるような嫌な気分になった。ところがよく読んでみると、端々に氏のポリシーが窺え、困難ではあるがひとつの主張が見いだされる。
例えばかつて底辺であり差別されていた武士(侍)がやがて主人公になり、その時にやはり底辺であった町人、百姓、職人が近代の主人公となった。そして次の時代は中流に上昇した彼らに期待するのではなく、もっと底辺にある非民衆、非市民、非常民を発掘し育てようと唱えている。
性民俗についてはなぜ柳田が語らなかったかという事については諸説あるようだが、わたしは国策として性が虐げられ隠匿されタブー化していたからだと考えている。官吏でもあった氏が国の方針に逆らうとみなされる研究や発表を出来ようはずもない。赤松氏はこういった事情を少なからず理解していると思えるのだが、それをも無視して徹底的に非難している。それは柳田氏があまりにも偉大であったということの裏返しかもしれない。
「周知のように日本民俗学の主流であった柳田派はこうした性的民俗については、実に頑強なまでの拒否反応をしめした.当時の民俗学の置かれた状況からみて、ある程度までの自制を必要とした立場は、私にも理解できる。しかし彼と、その一派の拒否反応は異常というべきまでに昂進してしまい、人間生活にとって最も重要な半面の現実を無視する誤りを犯した。私は早くから柳田は、ほんとうにムラで民俗を採取した経験があるまいと推測していたのである。ムラの住人たちは、そうやすやすと他国の人間、とくに肩書きのついた人間にムラの事情、とくに日出を話すものでないからだ。当たり障りのないことはしゃべるが、ムラの不為なると思うようなことになると貝のように口を閉じる。云々」
つづく
【今日のじょん】鍋シーズン始まる。「じょんはこれが好きなんだナ」(芦屋雁之助口調で)