2015.11.15(月)晴
京都新聞のテレビガイドで「阪急電車 片道15分の奇跡」をやってるってので早速観てしまった。カンテレで14日午後3時から2時間余りである。この映画は2011年の製作なので、4年前ということだが何で知ったのかわからないのだが、とにかく観てみたいと思っていたところである。宝塚から西宮北口までを走る阪急今津線の中で起こる様々な人々の悲喜こもごもの物語なのだが、不特定多数の大勢の人々がそれぞれに哀しみや悩みをもってやりきれない思いでいるところから始まる。わたしはこの時点ですっかりはまってしまった。悲しい思いや悔しい思い、思いだしても戦慄する過去のことがなぜか電車や汽車の中の風景にからんでいるのだ。これは私だけのことかと思っていたのだが、どうやら多くの人々に共通することらしい。
観たい映画をDVDで借りてきて観ようとはなぜか思わないのだ。
青春時代は小田急線、働くようになって近鉄線、京阪線、一時はJR線を使ったが、最も長かったのは阪急線で、京都線ではあるが15分程度の乗車時間だった。その車窓からの風景は実によく憶えている。2006年に小田急線に30数年ぶりに乗ったときには、その周囲のかわりように驚いた。脳裏に残っている風景とはうって変わっていた。しかしこの小田急線には哀しい思いでは無い、なにせ青春時代のまっただ中で哀しいなんて思っている暇も無かったのだろう。哀しくやるせない思いが残っているのは近鉄奈良線、JR山陰線、阪急京都線である。このまま胸に納めて棺桶までもって行こうと思っているので内容を明かすことは出来ないが、電車に絡んでいるというのは不思議なことだ。
さて映画の方だが、様々な悩みを持った人々がオムニバス形式で紹介され、失恋、破局、暴力、いじめなどいろんな悩み苦しみが出てくるのだがいずれも本人が勇気を出すことで良い方向、ハッピーな方向に向かうので、さわやかな感がする。それぞれの悩みについては痛いほどわかるのでついつい涙ぐんでしまった。人前で泣くことはないのだが、一人でテレビを観ているときは自由に涙を流すことにしている。
しかしよく考えてみると、わたしならあんな勇気は無いし、ぐじゅぐじゅと悩みを抱えたまま、やるせない思いや悔しい思いが沼に沈んだ化石のようになって永遠に残ってしまう。何年たっても消え去ることなく、時々メタンガスのように表面に出てきて戦慄する。誰だってそうじゃないだろうか。
ここでやっとサブタイトルの意味が読めてきた。悩みや苦しみ哀しみが解決するのはやっぱり「奇跡」なんだ。