晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

1世紀を生ききる 8/9

2016-08-09 | 日記・エッセイ・コラム

2016.8.9(火)晴れ

 「一世紀を生きる」(2015.7.2)という百才を迎えたわたしの母の記事を書いた。その母が8月6日に永眠した。昨日火葬にふして小さな骨のかけらとなってしまった。百才の時は元気な様子だったが、その後骨折したりして弱っていたようだ。生前2回見舞いに行ったのだが、早く楽にさせてあげたいというのが実感だった。

10年前に百才を目指して書いてあげた書、施設での100才の記念写真、総理大臣から贈られたという銀杯
 大正4年(1915年)の生まれと言えば、人生の1/3は戦争の影を落とし、封建的な地方の農家で重労働と貧困に耐えた半生だった。父が亡くなってからもわたしが大学を出るまで一人で支えてくれた。京都に出て70才まで働いていたと思うが、その頃の母が一番輝いていたというのは姉の言である。
 母は論理的に物事を考えるタイプで実に聡明な努力家であった。80才頃でも新聞は隅から隅まで全部読んで、世界中のことを知っていた。発明家の娘で、工夫するということが得意だった。わたしが中学の頃だろうか、養鶏をするというので、物置を改造して鶏小屋を作った。百羽近くを飼育する大きなものである。材料はあり合わせの板といくらでもある竹である。金網だけは購入したと思うが、道具も資材も乏しい中でよく頑張った。糞がたまれば引き出し状になった床を取り出せるようになっており、粗末ではあるが実に合理的な鶏舎だった。水道もそうである、以前は風呂も台所も井戸からバケツでくみ上げていた。山から本格的にパイプを引く家やモーターで井戸水をくみ上げる家もあったが、我が家はそんな余裕はなかった。母は家の裏の斜面に水がしみ出てることに着目し、大きな穴を掘って水をため、そこからホースで水を引くことにした。購入したのはホースと蛇口だけである。「北の国から」の中に山から水道を引くシーンがある。そのときの家族の喜びようが痛いほどわかった。
 苦労を重ねて1世紀を生き抜いてきた母にわたしはいったい何をしてあげただろうかと一人になれば悔しい涙が出てしまう。
あの世ではゆっくりしなよ、何度も呼びかけた 合掌



 

 

 

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