2007.4.28(土)曇り後快晴 道中17℃
7:00 起床
9:15 松山YH発~R33~市道~R56~内子座(うちこざ)~
17:15 大洲郷土館YH着~大洲市内
松山ユースホステルは今日から満室だそうだ。マネージャーのお母さんからお話を聞いていると、バブルの絶頂期にこの土地を買い、建築をしたので金利が8.3%とか、大変な資産である。生ゴミの堆肥化や天然石鹸の利用、ソーラーシステムの設置や薪ストーブの利用などあらゆる環境対策を行っておられ、感心する。お礼を言って子規記念博物館に行く、すぐ下にあるので五分足らずで到着する。道後や松山の歴史から始まり、子規の生い立ち、青春時代、ジャーナリスト時代、闘病、多くの文人との交流など子規の総てを展示や映像でみることができる。やはり七年間に及ぶ闘病生活の最中に、俳句や短歌の革新を成し遂げたという偉業は、尋常の人間には到底出来得ない、まさに神業としか思えない事である。
子規記念博物館と記者時代のかばん、山雨海風と記してある。
糸瓜咲て 痰のつまりし 佛かな
糸瓜三句が絶筆となるわけだが、その実物を見て、涙せずには居られなかった。
館内に松山市の観光俳句を募集していたので、二句を投函する。
葉桜に 頬冷やしたる 風呂上がり
神の湯や 五十肩に ひたかけり うとく
博物館を出ると十二時半となっている。この博物館で四時間も居たのが不思議である。それほど子規の世界に没頭してしまった。今日開館の坂の上の雲ミュージアムには行けなくなってしまった。高校の先生だったろうか、えらい司馬遼太郎のファンである先生が居て、授業中に坂の上の雲の話をたっぷり一時間聞かせてくれた人が居た。その先生によると日露戦争はやむなく行った戦争で、侵略戦争ではない、いわゆる祖国を守る戦争だと言うようなことを話しておられた。そういえば、日清や日露の戦争がいかなる理由で、どのようにして行われたか、私たちの世代は知らないのではないか。そんな話を聞きつつも坂の上の雲を読んではいなかった。おりん口伝、砂の器、坂の上の雲など帰ったら読む本が段々増えてきた。
市内を適当に南に走る。電車道の先に小さく松山城が見える。何度も訪れているが、本当は今の目で訪ねてみたい。写真を撮って、振り切るように走り出す。連休の走りとて、やたら乗用車が多い、一体どこへ行くのかと思えば、坊ちゃん球場のところでほとんどが左折する。そうだ四国には四国アイランドリーグがあるのだ。今日は愛媛対香川の試合がある。手元に日程表があるのでうまく合えば観戦してみたい。
さよなら松山城、九州山陰とついぞ見なかった例の看板が愛媛から出てきた。
郊外をどんどん南下すると、山となってきて遂に今日の難所、犬寄峠の登りとなる。車も多く、道も狭く、ゴミだらけで坂も長い、中国山地よりも四国の峠の方が傾斜がきつい、
トンネルも歩道無しで、長くて暗い。久々に完全装備でトンネル越えをする。歩道のない峠では登りよりも下りが危ない。スピードがあるから、油断できない。一瞬のミスが事故となる。ハンドルを持つ手に力が入り、肩がかちかちに凝ってくる。
愛媛に入って気付いたことだが、昨年の旅ではどこの県でも見かけたが、今回沖縄から山陰まで見かけなかったキリストの黒い看板が出てきたことである。広島でも少し見かけたが、こうなると懐かしい気もする。なお、マルフクの看板は全国どこにでもある。
内子(うちこ)あたりまで下りが続いて、かなり時間を稼ぐ。内子は町並みが人気で、松山以来見かけなかったお遍路さんも沢山見かける。彼らが車で移動しているか、私の通った道が遍路道でなかったかどちらかだ。
時間も無いので内子座だけ寄ってみる。内子座は大正五年に建てられた歌舞伎劇場で他に転用されていたものを昭和六十年に復元したものである。福岡の嘉穂劇場に行けなかったので、是非見ておきたいという気持が合ったものである。かつて日本中の各地にあったこの類の劇場が、今はほとんど消えている。維持をするのは大変かと思うが、頑張って頂きたい。
10Kmあまりで大洲(おおず)のユースホステルに着く。大洲城の天守閣のすぐ下にあり、昔なら城内の土地である。すぐ横を肱川(ひじがわ)が流れていて、三次の街とそっくりだ。元郡長屋敷のたるヰという和食のお店を紹介してもらい、夕食をとる。予算の都合でたいそうなものは食べられないが、天ぷら定食と生ビールを頂く。付き出しにそらまめが出る、夏を感じさせるしゃれたもてなしだ。
そら豆や 囲炉裏の用も 終ひなり うとく
料理もいい味付けで美味しく頂く。夏には鵜飼いもあるそうでまるで三次と同じだ。日本三大鵜飼いだそうで、こちらの方が大きいのだろうか。また秋のいもたきも盛大で、このあたりが会場となっている。大洲駅周辺の繁華街を巡り、明日の朝食を買い、肱川橋を渡って古い町並みを探索する。肱川橋から臥龍山荘(がりゅうさんそう)までは赤煉瓦館やポコペン横町、明治の町並みやおはなはん通りなど古い町並みが残っている。石見銀山大森の町で気になったようなわざとらしさが無く、本当に良い町並みだ。
臥龍山荘の坂を越えると臥龍の湯という日帰り温泉がある。用意はしていたが混み合っていそうなので、宿に帰ることにする。
ユースホステルの前はお堀跡の公園になっており、天守閣の上にいい月が出ている。
月と城 花と若宿 郷土館 うとく
2年前に再建された大洲城天守閣、左の白い建物がユースホステル
宿に帰ると同宿の先生が古銭の整理をしている。実はこのユースホステルは大洲郷土館ユースホステルといい、先代が若い時分から集めに集めた郷土の資料を若い人達に見せようとユースホステルを開かれたそうである。ところが交通事故で急死されたために、集めた資料などの分類や整理がされないままになっており、引き継がれた子供さん達が苦労して整理分類されている最中である。たまたま古銭に詳しい先生が宿泊されたため、銭函に満杯の古銭を一枚一枚確認し、分類されているところである。風呂に入って、ビール飲んで「先生、何かお宝はでましたか」などと気楽なことを言っていると、「出ましたよ、島屋文と言いまして、これですよ」と見せてくれる。山ほどある寛永通宝のなかから一枚、その島屋文が出てきたのである。どう違うのかよく解らないが、通のマの部分と字の傾きなどが違うそうで、通常ではトラック一杯の寛永通宝から一枚出てくればいいくらいの珍しいものだということだ。「で、先生一体幾らぐらいするんですか」などと賤しい質問をする。「10万円以上はするでしょう」「えー」てな調子で、先生は夜中まで古銭ととっくみあいをしていたようだ。
古銭の山から島屋文が出てきた。
走行距離72Km 累計9,421Km 経費6,168円
★大洲郷土館YH (大洲市三の丸)一泊3,200円 郷土資料館併設、大洲城天守閣のすぐそばにあり、先代の集められた貴重な資料があり、値打ちもの。
古銭の先生と。
★峠列伝(49)犬寄峠 250m(R56、伊予市) 困難度4 景色1 水場無し 歩道無し トンネル有り 登りも下りも長く、交通量多く苦しい峠、ゴミ多し。