晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大雪情報続く 1/15 

2010-01-15 | 日記・エッセイ・コラム

2010.1.15(金)曇

 北陸以北では大雪の情報が相次ぎ、上林では「降る降るいうて、降らんなあ」などと不足を言っている。それでも北陸の映像を見ると、やっぱり降らなくてありがたいということになる。新潟県津南町では一日で8,90cmも積雪があり2m60cm程度の積雪量となっているそうだ。除雪で亡くなっている方が一名、負傷者が数名出ているということである。豪雪で有名になったこの町、実は自転車旅行で通ったところなのだ。ニュースを聞きながらどっかで聞いた町の名前だなあと思っていたら、2006年8月25日に通過していた。この年の1月に豪雪となり、津南町役場前で362cmの積雪という記録がある。わたしが通ったのは、真夏の最中だったので、雪のイメージはまるで湧かなかったが、信濃川沿いの国道に延々と雪除けがあったのが印象的だった。「日本一の河岸段丘の町」という看板があり、信濃川の河岸段丘に町が開けているようだ。Img_0353

このあたりも雪景色となってるんだろうね。

 上林は幸い雪が少ないが、先日荒木さんに頂いた電動除雪機なる物を修理する。パーツは300円と送料切手代の140円で手に入れられたが、この除雪方向ガイドのプラスチックの板がうまくはまらない。両端を板にはめ込むものだが、T字型の穴にボタン状の先端がなんとしても入らない。穴の開いている板をはずせば、はまりそうだが、はずせるようなビスも見あたらない。無理矢理やっているとボタン部分がとれそうになってきた。これはやばいとメーカーに電話する。「それ結構難しいですよ。ドライバーを突っ込んでこねてください。ぱちっとはずれますから、、、、」なんという機械だ、最近の家電製品なんかでもネジで締めてあるのが少なくなって、接着してあったり、はめ込むようになっていたりで、修理して使うようにはなっていない。壊れたらそれっきりという感じだ。とにかく直して、運転してみる。モーターは順調に回り、羽根板がうなり声を上げる。それにしても、やわなつくりだ。上林の雪じゃあ太刀打ちできんかもしれないなあ。Img_3759
【作業日誌 1/15】
除雪機修理
薪割り

今日のじょん:いくみちゃんが帰るときに何とも言えない鳴き声をしたそうだ。お別れが解るんだろうか、なんとなくかわいそう。綾部駅まで送って、帰ってきたら、二人と一匹の日常が還ってきた。Img_3755

いくみちゃんと最後のポンポコポン。

 水滴事件の後も夜になると、1,2回唸って外を見る動作が続いた。やはりなにかが来てるのかと見に行くが何もいない。とうとう狼少年ならぬ狼じょんになってしまった。ところが今夜、吠える対象が解ったのだ。つづく

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上林凍る 1/14

2010-01-15 | 日記・エッセイ・コラム

2010.1.14(木)曇

 降雪の予報にびびって、じょんのび坂の水を流しっぱなしにしていた。幸い雪は降らずに、ホースを片付けに行くと、おっと驚き、低温のために坂全体がブルーアイスとなっている。確かに今朝は寒い、寒暖計をみると-3℃、今冬最低温度だ。
 開店までに氷を取り除かないと車が上がって来られない。ところが薄く張り付いた氷はちょっとやそっとでは取り除けない。角スコップでこつこつと割ってゆく。かなりきつく叩かないと割れないので、手は振動病になりそうだ。昨冬から何度も水を流しているがこんなことは初めてだ。氷を割って溝に捨てると一時間ぐらいたってしまった。雪を確認してから水を流すべきだ。反省、反省。Img_3746
 夜は久々に綾部温泉に行き、しまだ屋さんで食事する。今季二度目の猪鍋を頂く。地元の猪は美味い。しかも温まる。奥さんが「朝六時半に境の府道の温度計をみたら-7℃やったんやで」とのたまう。ホンマかなあと思うが、昨年も大町の温度計が-6℃なんてのを聞いたことあるから、無い話でもなさそうだ。
 寒いのは寒いけれど、冬も二回目となると、少し強くなっているみたいだ。昨年の今頃は靴下は二枚、オーバーズボンや羽毛服なんて着ていたが今年はそのようなこともない。決して薄着とは言わないが、昨年よりは寒さに強くなっているようだ。

今日のじょん:一日いくみちゃんと遊んでひこひこ。Img_3749

 

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大雪情報 1/13

2010-01-15 | 日記・エッセイ・コラム

2010.1.13(水)雪、曇

 世界中が寒波に襲われて大変な様子だが、さすがに温暖化を云々するニュースは無くなった。今度は寒冷化を心配しなければならないのか。温室効果ガスを出しましょうなーんてことになるかも。
 夕べのニュースでは世界中の大雪や吹雪の映像を見せ、続いて日本の北国の雪下ろし風景などを見せ、おもむろに大雪の予報をするもんだからびびってしまった。近畿北部は50cmの積雪予報である。朝起きるなり窓を開けてみる。積雪は2,3cmだが、雪は激しく降っている。うーむやっぱり天気予報は当たっていて、これから降り続いて、50cmほど積もるのかと覚悟する。
 ところが、開店の時刻になると、明るく晴れてきて、その後もちらほらすることもあるが概ね好天で、すぐに雪も解けてしまった。こういう予報のはずれはありがたいのだが、結構みんな「なーんや、降らへんのんかいな」と不満そうだ。
 昨年のブログを見ていると、1月10日頃から降り出し、13日でも4,50cm積もっていた。Img_1958 やはり今年は暖冬か。いやいや地域によってはもの凄く降っているし、ゆめゆめ油断めすなかれ。

じょんも埋もれておりやす、昨年の今日。

今日のじょん:じょんの一番好きないくみちゃんが来た。いやーもう大興奮、こんなに喜ぶことは他にはない。尻尾だって、こんなに振れるのかと思うぐらい振るし、もうおとーやおかーは完全無視だ。誰のおかげで飯食えてんねん。Img_3663



いーぬはサークルで円くなる。

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続々 日置氏の正体は? 1/12

2010-01-14 | 歴史・民俗

2010.1.12(火)曇

 「太陽の道」か「鉄の道」かなどと論争されていることばかり書いて、タイトルにある日置氏について書いておかなければならない。カテゴリーも雨読から歴史・民俗に変えよう。
 日置氏とは如何なる氏族なのか、地名辞典や書物を紐解くとあらゆる説が現れ訳が解らなくなる。そのうち最大公約数的に主な説をあげると、まづ日神祭祀の集団と云う説、戸数を調べおく品部というものだろう。その次に、鉄、金属に関係する集団というもの、朝廷で油や蝋燭など燈火に関する職をもった集団などという説がある。
水谷氏はこれらの総ての説に矛盾しない(鉄に対しては言及していないが)仮説として、日置氏を決して権力の表に出ない現代のテクノクラートにも似た「蔭の測量師」と呼んだ。つまり古代の太閤検地といえば解りやすいと思うが、税を徴収するにあたって、戸数を調べる、つまり戸籍を確定し、田畑の測量をするのは基本である。それらの役を担っていたのが日置氏だという説だ。日置の地名が地方に飛んで存在するのはそのためだという。わたしはこれらの説がイエスであるかノーであるか判断する資料も知識も持っていない。ただ、日置は戸置(へき)であって、租税を徴収するために戸数を調べ置く集団、役所だという、江戸時代の国学者判信友らの説は直感的に受け入れられないのである。水谷氏も最初はこの説がどうも理解しがたいものであったと書かれている。ところが日置氏が測量の専門技術集団だとした場合にこの戸籍役所説が符合してくると結論づけられているのだ。真弓氏は五十瓊敷命(いにしきみこと)大刀一千口を作ったとき、参加した十箇の品部の中に日置部があること(日本書紀)などを理由に、日置氏が製鉄に関連する氏族であることを主張されている。
 このことに関し、数日間思いをめぐらせているのだが、日置という地名は各地に数多くある地名だという。もし戸数を調べて徴税のための測量をするとしたら、朝廷の権力の及ぶ地域で、農耕の盛んな地域と考えられないか。山間僻地の田畑も無いような地域だと意味をなさないのではないか。また、産鉄、製鉄に関する氏族だとしたら、産鉄の地に存在することは明らかである。
 残念ながら今その調査に取り組む余裕がない。しかしいつか取り組んでみたいと思う。その時上林の日置谷(へきだに)の古代の姿も、少し見えてくるのではないか。

 【作業日誌 1/12】
枯れ草焼却
薪玉切り、薪割り

今日のじょん:イスを退けたら吠えるのは無くなった。なーんだこれやったんかと、幽霊見たりの心境になるのだが、回数は減っても必ず数回吠えることがある。もちろん外の様子をうかがうのだが、何も見つからない。一体何を感知しているのだろう。Img_3579            


こういう風に尻尾下げて不安そーになるのよね。

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続・日置氏の正体は? 1/11

2010-01-13 | 雨読

2010.1.11(月・祝)晴

 水谷氏のいう「太陽の道」には確かに古代の重要な遺跡がある。同時にそのあたりは地形的に中央構造線、あるいは領家変成帯にあたり、鉄や水銀などの鉱物の宝庫でもあるわけだ。そのことが古代国家の成立と発展に大きく寄与していることは水谷氏も周知のことと思われる。また、ご丁寧にNHKの取材中においても、あらゆる手段を持って「鉄」のことを助言されているようだ。それらが総て無視されて放映、出版されたものだから、著書の中に批判文の一項を設ける結果となったようだ。しかし、古代の遺跡がある緯度に沿って存在すること、その測量の方法については言及されているわけでない。「鉄」に対する洞察が欠落していること、日置氏についての顕彰が誤っているということを云っておられる様だ。
 しかし水谷氏はディレクターという立場であって、番組の本旨は既に決まっているだろうし、放映予定だって決まっているだろうから、途中で他の要素が現れても無視するしかないのではと予想する。ましてや昨日書いたように「スジが単純であること、意外性をもつこと、ヤッタという感じがあること」という番組ヒットの原則を貫こうとすれば、「鉄」の要素をストーリーに組み込むことは考えられないのではないだろうか。と考えると、この二冊の本は同じ古代の日本を扱いながら、方や学術論文であり、方や視聴者に受けるドキュメント番組という風にスタンスをまったく異にするのではないだろうか。だからその間で批判をすること自体が無意味なんじゃないかと、わたしの間では結論づけた。これで一件落着ということになるのだが、どうしても見逃せないことがあるので書いておきたい。それは下衆の勘ぐりと思われるだろうし、またそうであって欲しいのだが、本書の帯に松本清張氏が賞賛の文を寄せておられる、そのことについて気に掛かることがある。文では、古代のいわゆる「太陽の道」を検証したことはすごい事だと賞賛し、後半に著者はNHKで「日本史探訪」など歴史ものを長らく手がけてきたチーフディレクターであり、古代史の知識は専門家の域であり、その探求心は専門家以上であると絶賛しているわけである。Img_3745
 わたしはこの書が、番組作製を目的として取材、研究されたことを書かれている書だと結論づけ、真弓氏が言う欠落があってもしかるべきという結果になったのだが、松本氏はいわゆる歴史書としてみておられるようだ。そうすると、氏の「古代探求」でおっしゃっているアマチュア歴史家に対する苦言(本ブログ2009.11.9参照)と矛盾するのではないか。

「これは史料や資料から、自分の仮説に都合の良いところばかりを択ってくる独善的な態度にも云えることである。」

思えば古代史ブームなどといって、学者の間でしか語られなかった邪馬台国や古墳などを一般人の間に広めていただいたのは松本清張氏らの書物とNHKなどの歴史ドキュメントであった。「清張古代をゆく」は水谷氏がディレクターとして作製されたものだそうだ。そういう親しい間柄で書かれた讃辞なのかなと思う。

今日のじょん:朝、散歩から帰ってきて妙なことに気付いた。実は夕べ急激に気温が下がって、窓に大量の結露が着いていて、二階のベランダから水滴が一階のベランダに落ちていたのである。それは丁度じょんが外を覗いているあたりで、そこにはベビーチェアーにポリ袋が被せてあるのだ。水滴は数分おきにポタッと落ちるわけで、じょんの吠えたのも一定の間隔を置いていた。Img_3744じょんの名誉に関することだから、安易に断定は出来ないが、一応チェアーを除けてみて様子を見よう。

こいつが犯人か?

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日置氏の正体は? 1/10

2010-01-12 | 雨読

2010.1.10(日)雨、曇

 「知られざる古代 謎の北緯三四度三二分をゆく」なんという魅惑的なタイトルだろうか。水谷慶一氏というNHNのディレクターによって書かれた書は幻の一族日置氏の正体を白日の下にさらそうというものだ。
 丹後に日置(ひおき)があるのは従前から知っていたが、上林に日置谷(へきだに)があるのを知ったのはこちらに越してきてからである。上林に存在するだろう古代の部民は日下部氏、弓削氏そして日置氏である。前二者が鉱山、金属に関わる部民であることは想像できるのだが、日置氏については今ひとつはっきりしない。草壁に日下部姓は残っていないし、弓削、日置谷にも弓削姓、日置姓が残っていないのはどういうことだろう。日置谷は日置と日置村中の小字と綾部市史にあるが、寛政年間の丹波國図を見ると日置殿となっており、現在は日置谷と殿村に分かれているが、府道51号線遊里を過ぎたところにも日置殿町という小字がある。日置氏については如何なる部民であったかいくつかの説はあるのだが、どうも納得しかねる部分が残っている。
 この本は北緯三四度三二分に沿って古代の重要な遺跡が存在し、その間に日置氏の痕跡があるので、日置氏は測量を専門とする一族であるという主旨だ。ところが「古代の鉄と神々」(真弓常忠著)の中で、一項を設けてこの説を批判されている。これがわたしがこの書を読もうとした動機である。歴史の一場面を見方が違えばどう変わるものなのか見てみたかったというものだ。
 「知られざる古代」は今までに読んだ歴史に関する本とは違って、あっという間に読み進めたし、理解するために二度読み三度読みする必要もなかった。話は昨日の古本談義に戻るけど、インターネットで古本が売買されるようになって、本の値段がとんでもないものもあるけれど、一般的に本の価値と価格が比例するようになったと思う。例えば今日現在、「古代の鉄と神々」は1500円、「知られざる古代」は580円の値が付いている。単純には言い切れないが、わたしはそれらの本の価値はそのようなものかと思っている。前者は学術書的な本であり、後者は読者に興味もたれるように、悪くいえばおもしろおかしく書かれた本のように思える。表紙の裏には「スリリングな知的探求の書である」と書かれている。Img_3743

 「知られざる古代」とそれを批判している「古代の鉄と神々」


 本書の後書きに、「前文略、、、この主題について吟味を加え、適当な取捨選択を行って構築してゆくのはこれからの作業だし、おそらく、それは、わたしの任ではありません」とある。つまりこの書はNHKの同題のドキュメントを作製したのと同じスタンスで書かれているものだろう。水谷氏がK氏の言を借りて言っているように、番組がヒットするための条件は、スジが単純であること、意外性をもつこと、ヤッタという感じがあることだそうだ。そういう意図でもって書かれた書なのではないか。
 真弓氏の批判は、「太陽の道」ではなくて、「鉄の道」だということだ。つまり古代祭祀の蔭に「鉄」の文化があったことへの視点がまったく欠落しているいう点である。また日置氏についても、太陽の運行によって測量をするのは必ずしも特定の氏族でなくともよく、日置部の職掌は日神祭祀であり、製鉄に関わった氏族でもあるという主旨で批判されている。その反論というか反証が16ページにもわたって書いてあるのだが、なかなか難しい内容で、理解するのに苦労するところもある。つづく

今日のじょん:今夜のじょんの吠え方は強烈だ。サークルの中で寝ていたと思ったら急に飛び出し、窓の外をジッと見つめ、わたしの方を見て、目が遭うと吠え出すのだ。無視をすると「うーうー」となんとも言えない唸りを上げてうろうろする。これは何者かが外にいるのだろうと、外に出て見渡すが何もいない。耳を澄ましても何も聞こえない。毎日一度二度はあるのだが、一定期間をおいて何度もあることは珍しい。かみさんは、「こうやってじょんが追い払ってくれているから、見に行っても何もいないんだ」と肯定的な考えをしているが、わたしは半信半疑である。先日風の強いときも同じようなことがあり、窓の外にカバーのビニル袋が飛んできて、風に揺れていたことがある。
 昨晩はヘイヘイが脱走してきてキュンキュン鳴いていたがこういうときは吠えることはない。へいへいもじょんのび村に来たいのかな。元旦に遊びに来たから憶えているみたい。Img_3702  

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初ゴルフ 1/9

2010-01-10 | 日記・エッセイ・コラム

2010.1.9(土)曇

 福知山東ゴルフの例会に行く。最長100ヤードに満たない9ホールのショートコースだがなかなかマニアックなコースで面白い。熱心な会員さんは連日のように訪れてラウンドしているそうだが、私たちは二ヶ月一度ぐらいしか参加することが出来ない。京都にいるときの方がよく通えていたのは不思議なことである。綾部カントリーだって2年間の間に一度しか行ってないのだ。時間的な理由、経済的な理由で当分ゴルフは行けそうにもない。七夕ゴルフで我慢するしかない。ただし、月に一度の第2土曜の定休だけはリラックスするために使いたいと思っている。
 ここでちょっと幻想的な現象が起きたことがあるので紹介しておく。1月2日の夕方のことなんだが、朝まで雪が降り積もり、昼は雪が止んで気温が上がり、夕方になって気温がぐんと下がってきたときに起こった。向かいの枡ヶ原の田んぼや村田の田んぼから湯気が上がって幻想的な景色が登場した。思わずカメラを持って上林川に行ってみる。きっと蒸発していた水蒸気が冷たい外気に当たって水滴、いわゆる湯気となったのだろう。Img_3726 Img_3731

なかなかいい写真が撮れる。


 今日のじょん:今日は一日お留守番をしていた。いつも私たちと一緒にいるもんだから、一人で締め切った部屋で留守番するのは気の毒に思うのだが、致し方ない。一日淋しかったのだろうか、帰ってきたときの反応がもの凄い、よくそこまで動くかとばかりに尻尾を振る。普段、夕飯をやって二時間ほど綾部温泉に行くときは、帰ってきても小屋の中で寝っ転がってピッピと尻尾を動かすだけである。よーするにお腹が空いているか否かということだけだろうか?
Img_3614_3

じょんはハンディクリーナーが大好き。

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続・古本考 1/8

2010-01-10 | 日記・エッセイ・コラム

2010.1.8(金)曇、雨

 綾部には古本屋はなさそうである。舞鶴にはあるそうだが、果たして私が思うような本屋さんなんだろうか。とにかく最近の古本購入はインターネットの通販に頼っている。便利なのは検索が出来ることで、欲しい本がある場合は簡単にしかも安い順に探し出すことが出来る。これはとても凄いことで、都市に出かけて古本屋さんを見て歩いて探すことを思うと、時間的にも経費の面でも大変効率的である。少々の送料がかかっても充分に安く上がる。稀少本となると何軒本屋さんをまわっても見つけられない、これが居ながらにして探せるのだから優れものである。Img_3742
 最近の古本はネット通販ばかり

ただし、昨日紹介した古本屋さんめぐりの楽しみは一切消え失せてしまった。特に値段に対する、駆け引きというか掘り出し物探しというか、そういう楽しみがないのは寂しい。インターネットに出品されている書籍は大体の相場が決まってきているようだ。本の価値が正当に評価されるという意味ではいいことなんだろうが、価値あるものを安く手に入れるという楽しみが無くなった。そしてもう一つの問題は、価格が正当に付けられていないものが多々あることだ。例えば郷土史のように出版社から発行されていない書籍などの値段がまちまちであることだ。綾部市史上下、資料編計3冊はまだ在庫があり、新品で8,000円で購入することが出来る。ところがネット上の価格はほとんど数万円で、高いものでは6万円を超えている。これはぼったくり以外のなにものでもない。いずれにしても、旧き良き日の古本屋通いを再現すべく、この夏は古本祭りに行きたいものだ。
 今探していて見あたらない本、買いたいけれど妙に高値の付いている本をそこで見つけたいものだ。

今日のじょん:じょん語録(46)なーじょん
じょん語録も続々出てるのだが、面倒になってきて、久々の登場である。最近よっこらじょんの次に多用している「なーじょん」である。なーは同意を求める接頭語とでも言おうか、バツの悪いとき、喧嘩してるとき、じょんに同意を求めて治まるという、便利な言葉である。なーじょん。Img_3614_2

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古本考 1/7

2010-01-09 | 日記・エッセイ・コラム

2010.1.7(木)雪

 夜半から降り続いた雪が朝も降っている。今冬4度目の雪で、今回は少し重そうだ。じょんを連れて散歩に出ると、道路では10cm、河原の芝の上で15cmぐらいの積雪だ。夜間降り続いたというより、朝方に降ったのかも知れない。それでも一応、坂の雪かきをして、木々のレスキューをする。昨年植えたコニファーは遂に一本が折れてしまった。やむなく青だけで支柱をしてやる。やはり雪国には落葉樹が楽ようじゅ???
こんな日はお客さまも少なかろうと、やろうと思ってやれなかったことをする。それはストーブの横で雪景色を見ながら読書することだ。本当はロッキングチェアーと角瓶とが欲しいのだが、将来の夢としておこう。本はネット通販で求めた「知られざる古代」という本、たいした内容ではないのだが、肩の凝らない本だ。ますます雪は激しくなり、忙しそうに立ち回る府道の車を見ながら、至福の時を過ごす。一時間半ほど過ごしただろうか、お客さまが次々と現れ、贅沢な読書は終わった。
 実は読みたいなと思って買い溜めた本が四冊、借りている本が二冊ある。買った本はネットで買った古本ばかしである。大体蔵書の六割ぐらいは古本だ。安いと言うことより、古本でしかない本がほとんどであるからだ。
 古本が好きになったのは大学時代である。学校の近くに神田の古本街があったので、普段は下見に、バイトの給料が入ったら購入に店を訪れた。その当時はいわゆる山岳本を探しており、今も多くの蔵書が残っている。悠久堂書店というのが山の本が充実しており、まづはそこで値段を調べて、専門でない古本屋で探すのである。なかなか見つからないが、たまたま見つかると大抵の場合値段は安い。下手をすると半額以下となる物もあった。要は専門的に扱っている店ではその本の価値が解るから、規準的な値が付き、それ以外のところでは適当に値を付けている様だった。京都に帰省したときや地方都市に行ったときなども神田の古本屋街と比べれば随分乱暴な値を付けてるなあと感じた。中身はどうあれ、古ければ高い値を付けているようでもあった。例えば「ガッシャブルム4峰」という本は、悠久堂では2万円で、それは当時の一ヶ月の生活費ぐらいしたのでとても買えなかったが、京都の店で7,000円で見つけてすぐに買った。逆に「近畿の沢」という古いだけでやたら高い本があったが、東京では見つからないかと思い買ってしまった。Img_1838

靖国通りの古本屋。(2006.11.23)

 京都に帰ってからは、古書籍組合のイベントによく行った。神田のように店がかたまっていないので、イベントで各店の集まっているのが探しやすい。今は無い近鉄百貨店の古本祭り、アバンティ入口での出店などよく通った。つづくImg_5992Img_5993 

糺の森の古本祭り、京都では最大の古本イベントか。その時買った本、探していたものがあったときは嬉しい。(2007.8.14)


今日のじょん:最近新しい芸が出来るようになった。杉丸太を台木に乗せて乾燥させていたら、それを飛び越すようになってきた。「ジャンプ」と言って飛び越える様になり、往復ジャンプも出来るようになった。Img_3609
 この材木を往復ジャンプする。 

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神社の変遷 1/6

2010-01-06 | 歴史・民俗

2010.1.6(水)曇

 正月のニュースに京都市中京区の御金神社(みかねじんじゃ)というのが出てきた。お金にまつわる神様というので、金融関係者のみならず老若男女で賑わっている映像が紹介されていた。株で大儲けしたいとか、宝くじが当たりますようにとか欲の皮の突っ張った絵馬が奉納されていた。主祭神が金山彦命ということで金属に関係があるのかと調べてみるが、その地が金属、金属加工に関係があるとは思えない。金山彦命は金属(metal)、元々は銅の神様であり、決して金(money)の神様ではない。黄金色の鳥居などを見ると単なる受け狙いで、古来からの地元に根ざした、歴史的な価値のある神社とは思えない。
 自転車旅行中に白石市小原の材木岩周辺にゴルフの神様というのがあった。飛不動尊といわれ、空を飛んできたとか、災害の時飛んで厄を逃れたとか言われている不動さまらしいが、「飛」だからといってゴルフの神様とはつらいものがある。Img_1441 Img_1456

小原の材木岩にある飛不動尊跡地と現在の地


 これらは極端な例だが、神様は人間の都合によって変遷するということを以前にも書いた。例えば上林の浅原にある葛禮本神社は御金神社同様金山彦命を主祭神とし、かつては金属関係の神様として奉られたのだろうが、現在では万物生産の神ということになっている。かつては鉱業、冶金、製鉄などの金属業が彼の地に存在し、金属の神として機能していたのが、やがてそれらの民が去ってしまったり、農耕民として生活するようになると金属の神様は用なしとなる。そして農耕の神様、水の神様などにとってかわるわけだ。「古代の朱」松田壽男著にはその辺が詳しく載っており、水銀の女神ニュウズヒメがミズノハメ(水の女神)に変わり、さらにオカミ(雨の神)などと代わっていくというものだ。朱砂というのは露頭に現れているものを発見し、掘り進むが、水が出てくるとそれ以上掘り進めない、そうすると採掘の民は他の地で朱砂を探すか、その地で農耕民となるかということとなるわけだ。そうして祭神までが代わってくることとなる。葛禮本神社のように、霊験は変わっても主祭神がそのまま残っているのは良心的といえよう。Img_3224

葛禮本神社


 祭神はその地の民の信仰というだけでなく、政治的な理由や世の流行などにも影響される。このことは祭神をもって古代の歴史を探ろうとする場合、単純に現在の祭神について過去のことを判断できないということとなる。ただ金属神→農耕神・その他の神々という流れには逆進性は考えられないというのが救いでもある。

今日のじょん:夕べは寝てから二度ばかし唸っていた。面倒だから見には行かなかったが、何者か獣でも来ていたのだろう。ただ、階下で物音がしたので気にはなっていたのだが、朝の様子では何も分からない。雪があるときは侵入する獣が何であるか解るのだが、そうでないときは解らない。お金持ちになったら監視カメラでも買おうか。いずれにしても素晴らしい番犬になっている。Img_3534


番犬のつもりで飼ってるのではないけど、、、、   

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月山のミイラ 1/5

2010-01-05 | 日記・エッセイ・コラム

2010.1.5(火)曇、雨、雪

 昨晩は大風が吹くという予報で、家の周りをしっかり片付けて準備する。確かに風は吹いたが、それほどでもなく拍子抜けというところだ。やはり上林の風は春が一番である。
 昨日紹介した「古代の朱」の中に面白い記事があった。湯殿山のミイラと水銀について調査をされたもので、湯殿山は水銀含有量の多いところで、ミイラの中にも多くの水銀が含まれているというものである。いわゆる即身成仏の仕方について研究されているが、個人差があってうまくミイラになれない僧もあったようだと言われている。そういう僧は梁から吊して薫製にした、即身仏の中に胸に十字の縄の跡があるのがそれだと言われている。というような内容だ。
 ここで小説月山に出てくる即身仏について、不思議に思っていたことがあったのでこの機会に書いておこうと思う。月山はもう三度も読んだので慣れ親しんだストーリーなんだが、不思議に感じていたことは、主人公「わたし」が注連寺に滞在しているときは寺院内にミイラは火事で焼失したとかで無くて、現実の今の注連寺にはしっかり存在することだ。もちろん小説の中身と現実を混合して考えるのは論外なことかも知れないが、「わたし」が滞在した間の村や寺の様子はあながち作り事ではないような気がするのだ。Img_0479 Img_0480

相模地蔵、大日坊の銘がある。
月山方面を望む。


 月山の中に行き倒れのやっこのミイラというのが数カ所出てくる。「ンだ。吹きの中の行き倒れだば、ツボケの大根みてえに生でいるもんださけの。肛門から前のものさかけて、グイと刃物でえぐって、こげだ鉄鉤を突っ込んでのう。中のわた(腸)抜いて、燻すというもんだけ。」「おぼけ(びっくりし)て腰はぬかしたんども、まンず、仏は寺のなによりの商売道具ださけの」というような調子だ。
 さてここで注連寺の鉄門海上人の即身仏について様々な伝説があるのだが、有名なのは眼病が流行した際に自らの左目をえぐり出して祈願をしたことと、自らの睾丸を女郎にくれてやったことだろう。実際に即身仏には左目と睾丸がないそうだ。
左目はともかく、睾丸がないというのは月山に出てくるやっこのミイラと同じじゃないか。
 鉄門海上人の 即身仏については、戦後大阪や東京に見せ物として出されていたとか(森敦が注連寺に滞在したのは昭和26年である)、上人は実は風邪で死亡し、薫製してミイラにしたとかという説もあるようだ。これはいかにもつじつま合わせのような気がするのだが、、、、、。古代の朱の著者松田壽男氏は気を使ってか「不幸にも悲願を達成できなかった行人もたいへん多いわけである。なかには、そのばあいに梁からつるして薫製にされたものもいた。」と記しているのだが、それは果たして行人であったのだろうか。

【作業日誌 1/5】
バイオトイレ2缶目作製
ドッグラン用看板作製

今日のじょん:じょんが吠えるのは、見知らぬ人が玄関に来たとか、誰かが道を歩いているとか、獣が周囲を徘徊しているとか大変有効なものもあるが、梅の木に鳥が留まっているとか、風に袋が揺れているとかあまり役立たないものもある。それよりなんで吠えているのか解らないのが結構あり、これが一番つらい。Img_3739 寝ていたものが突然起き出して吠えたりするので、なにか訳があるんだろう。

これも起き出して何か見ているのだが、なんだか解らない。

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読了「古代の朱」 1/4

2010-01-05 | 雨読

2010.1.4(月) 曇

 先日紹介した「古代の朱」松田壽男著学生者版を読了する。例によって二度読みしないと理解できないので、今回はサーと読み流したという感じだ。この書を読む動機は、朱いわゆる水銀が古代においてどういう必要性があったのか、水銀の産地はどういったところなのかという点である。若狭や舞鶴地方に古代の朱産地があったようだが、果たして上林にはどうだったのかということも知りたい。大体古代の金属産地というのは何を産出していたのか、鉄、銅、水銀が主要と思われるが、その関連はどうなのか。上林では一体何を産出していたのだろうか。等々謎が深まるばかりで、少しでも手がかりが得られればという思いもある。Img_3487
 結果、解ったこともあれば、益々謎が深まるものもあった。古代において朱が装飾として使用されたことも理解できるし、アマルガム法という冶金の材料として多用されたことも解った。解らないのは丹生氏という氏族のことである。水銀を採掘する民であることは解るのだが、その発祥、実体がよく解らない。実は松田氏の前著「丹生の研究」を読まなければその辺の詳しいことが解らないような気がするのだが、この本が実は稀少本でとんでもない値が付いているのだ。図書館など探して読むしかないのだが、こうなると暇がない、とジレンマに陥るわけだ。
 鉄、銅、水銀の関係もすっきりしない。古代の金属関係の書物について、鉄は鉄、水銀は水銀、銅は銅という感じで研究、出版されており、関連というか比較というかそういうつながりが解明されていないのである。例えば上林の地名について見れば、ニョウズ、イカ入の様に水銀関係と思われる地名もあれば、菅坂、浅原、ヒシリ、サビシロ、鍛冶屋谷のように鉄関係と思われるのもあり、赤谷、赤坂などとどうにでもとれるものもある。以前に紹介した葛禮本神社に祀られる金山彦命は銅の神と言われている。採掘されていた鉱物はどれなのか、総てが時代を異にして採掘されていたのか、謎は深まるばかりである。このことは古代の金属関係の論文(多くは歴史の専門家ではない、いわゆる郷土史家などが多いのであるが、、)を見ても、銅と鉄と水銀が混同されているのである。ただ私自身が金属鉱に対して知識が薄いもので解らないだけのことかも知れない。私が訪ねた多くの銅山では、当初は金を採掘していたという事実も多くあった。丹生氏が水銀だけを掘っていたわけではないかも知れない。鉱山技術があれば銅も鉄も掘ることは可能だろう。
 上林にある浦入、大丹生、大入姓も気になるところだ。舞鶴にその地があるから舞鶴から移住してきたと単純に考えていいものだろうか。地名としてあるのは武吉の浦入だけである。
 いずれにしても再度読み直し、出てくる各地の朱砂産地の詳細を調べるとともに、「丹生の研究」をなんとか読んでみたいものである。

今日のじょん:Img_3707 雪が解けるとうんPの処理だ。じょんのうんPが4ヶ所、徘徊犬のうんPが4ヶ所処理をする。自分とこのうんPはともかく、他家の犬の世話までやらされるのはやるせない。バイオトイレも一斗缶が満杯になってきた。低温では発酵しないという衝撃的なアドバイスを受ける。臭いはしていないが、あの大量のうんPはそのままなんだ。コンポストがあるのでそこに放り込んでもいいのだが、置き場所が問題だ。あまりお客さんの目に付くところはよろしくないし、奥の方だと猪の恐怖もある。なにせ大好物の糠を使ってるからなあ。Img_3736

うんP山盛り

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正月休み終わる 1/3

2010-01-04 | 日記・エッセイ・コラム

2010.1.3(日)曇、小雪

 正月気分も失せて、今日こそはなんかしようと意気込む。まず第一に家から出ようと綾部に向かう。我が家から綾部まで三つの峠がある。一つめの峠で口上林に出、二つめの峠で山家に出、三つめを越えて少し行くと綾部という勘定になる。この峠を越えるたびに雪が減っていき、遂に綾部ではすっかり無くなっていた。うーむこれだけ違うんだなあ、雪を嫌う人が綾部や福知山に出て行くのはこのためかなあ。私は雪道を通勤するわけで無し、雪の中で働くわけで無し、雪のある方が冬らしくていいと思っている。雪の少ない綾部の人は気の毒だなあと思うと同時に、奥上林のように雪の多いところの人はやっぱり気の毒だなあと思うのである。ちなみに老富では40cmと積もっているそうだ。上林は長いのでこれだけ差があるのだ。
 大本さんで昼食をとり、買い物をして家に帰るともう2時だ。実は年末になにかともらい物をして、それが軽トラの荷台に山積みとなっている。これを片付けなければならない。
 まず前川さんに貰った、波板と古材だ。波板は助かるのだが、釘が残っており、これを処理しなければならない。古在は焚き付けにぴったりなんだが、ゴミが混ざっており、保管のために束ね直す必要がある。
 次に荒木さんに貰った除雪機、電動で雪を吹き飛ばす優れものだが、上林の雪にテコがあうだろうか。それよりもなによりも、貰った理由は真ん中のガイド板が壊れて無くなっているためだ。なんでも、荒木さんが買って最初の使用時に壊れてしまったらしい。うーむ、ますます上林で使えるか不安だ。ネットで部品の供給先を探して問い合わせる。部品は300円だが、送料が900円だって。切手でもいい旨書いてあるので、140円切手を貼った返送用の封筒を同封しておいた。
 最後は貰い物ではないが、ネットオークションで買った振動ドリルだ。まともに買うと2,3万の値が着いているので、中古を3,100円で買う。とにかく中古品は使ってみないと不安である。なんとか無事に作動しそうなのでよしとする。Img_3735 Img_3734 Img_3733
 夜は久々に綾部温泉に行く。昼間は待ち時間が出るほど混雑したそうだ。遅くなるとのんびり入れていい、ちらほら雪も降ってきた。そんなこんなで正月休みは終わった。
【作業日誌 1/3】
本文のとおり。

今日のじょん:雪が解けてきたが、庭や畑にはしっかり残っている。雪があると他の犬や獣の動向がよく解る。散歩しながら、じょんがなぜそこを臭ぐか、なぜそこにオシッコするか理解できるわけだ。猪がどこから畑に入って、何をしているか解る。じょんの気持が少し解るような散歩道だ。Img_3709
わんこ川柳2「***** ******* *****」投稿は未発表に限ると書いてあるので念のため公表しないことにする。従って昨日のも消しちゃうからね。発表が済んだら公表するのでお楽しみに、、、。

 かっこいいでしょ。

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らしい正月 1/2

2010-01-02 | 日記・エッセイ・コラム

2010.1.2(土)雪、晴

 元旦から今朝まで雪が降り続いた。おかげでらしい正月が過ごせたようだ。晴れていると何かしなくてはと思ってしまうのだが、この雪じゃあ食って呑んでゴロゴロしてるっきゃない。昨日したことなんて、初詣に行っただけ。Img_3692 御神酒の方は朝な夕なに頂いて、昼寝までする始末、らしい正月といえば、らしい正月である。いつもは格安の酒を呑んでるのだが、正月だけは少し上等の酒となり、昨年同様丹波の銘酒、雪小鼓を頂いている。綾小町も美味しいが、このお酒もかなり美味しい。Img_3662

綾小町にごり酒は大晦日に呑んでしまった。真ん中は今年作った梅酒


 さて積雪だが、昨日が15cm、今朝が23cmというところだ。一応ここで冬型が緩むそうだから、正月の雪はこんなもんだろう。必要ないかと思うが駐車場とじょんのび坂を雪かきしておく。Img_3717
 正月といえば箱根駅伝と大学ラグビーである。箱根駅伝は余り興味なかったのだが、母校明治が一区でトップとなり、目がはなせない。いつ落ちるかと思いつつ箱根の山までトップを守り、最後に交わされるという残念な往路であった。ラグビーは対抗戦でも下位だったので期待していなかったが、準決勝までよくぞ残ったというか、組み合わせが良かったというところだろう。早稲田を破った帝京戦だから分が悪いのが見えているが、果たしてぼこぼこに負けてしまった。
 明日から看板作製作業頑張るぞ。

【作業日誌 1/2】
雪かき

今日のじょん:ペティオがわんこ川柳を募集している。選ばれるとわんこと泊まる宿の宿泊券があたるのだ。当選した際の使用権はペティオにあるので今の内に発表しておこう。大体、遺言川柳とかいろいろ投稿したが入選したことが無く、入選結果を見るとショーもないのが入選しているので、多分選者が悪いんだよね。

Img_3716
今日も今日とてラッセルじょん。 

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あけおめ 1/1

2010-01-01 | 日記・エッセイ・コラム

2010.1.1(金・祝) 雪


 今年もカフェじょんのびをよろしくお願いします。新年4日から通常営業いたします。Img_3687

かくして雪の新年が明けた。いつもどおりじょんは大喜びで駆け回っている。雪の降る地方に住むと、雪の降らない地方の冬がつまらなく思う。少なくとも雪に関しては他の季節と風景が同じなんだから、、、。じょんと一緒に雪を楽しもう。

さて新年が明けて、じょんのび村も三年目ということになる。今年の目標はドッグラン作製だ。店の看板も作らなくっちゃ。実はもっともっと沢山やりたいことがあるのだけど、どこかの政党のマニュフェストみたいになってはかっこ悪いのでこのくらいにしといたら~。


元旦のじょん:来年は、、、、えっ正月から来年の話すなってか。もとい来年用のカレンダーを作ることと相成った。2011年じょん君カレンダー、予約受付中、鬼が笑うで。Img_3669 Img_3680 Img_3685 Img_3675




コメント (2)
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