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韓国で撮影進む慰安婦映画「鬼郷」、人々の良心を呼び覚ます作品に期待―中国メディア

2015年05月19日 05時43分43秒 | 歴史問題
2015年5月18日、中国網は韓国で撮影が進んでいる慰安婦問題を扱った映画「鬼郷」について、人々に歴史の真実を伝え、良心を呼び覚ます作品になると期待されていると報じた。



韓国・中央日報によると、「鬼郷」は10代の頃に旧日本軍の慰安婦として連行された女性たちを描いた映画。光復70周年を迎える8月15日、被害女性のおばあさんたちを招いた試写会に向け、撮影が進められている。米紙ニューヨーク・タイムズも今年3月、同作品を扱った記事を掲載した。人々に歴史の真実を伝え、良心を呼び覚ます作品になるとの期待が高まっている。チョ・ジョンネ監督は「この作品が慰安婦問題の文化的な証拠になってほしい」と期待を込める。

主人公は1943年に慶尚南道居昌から中国の牧丹江慰安所に連行された14歳の少女。演じるのは在日4世のカン・ハナさん(15)だ。大阪にある朝鮮中級学校3年生の彼女は、韓国語でのコミュニケーションに支障はない。「日本の学校では自国話を学べない。歴史も日本の立場で間違って教えている」と話す。

ハナさんの母親は娘の出演について、「ほかの映画なら出演はなかったかもしれない。だが本作は私たちの民族の話であり、歴史認識を正しく伝える内容なので、必ずすべきだと思った」と話す。

大阪市内では「ゴキブリのような韓国人はただちに出て行け」などの嫌韓デモが日常茶飯事だ。デモは朝鮮学校前でも行われるが、警察は傍観しているだけ。ハナさんの映画出演が日本で伝えられると、インターネット上には脅迫のコメントが並び始めた。

「鬼郷」の英語タイトルは「Spirits Homecoming」。戻ることのできないおばあさんの魂を、故郷に迎えるという意味だ。屋外撮影は6月末に終わる。ハナさんは「ほかの内容なら学校を休んでまで出演しない。あってはいけないことがあったということを知らない人も多い。おばあさんの悲痛を共に感じてもらえる映画になればいい」と話す。(翻訳・編集/柳川)
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「マネーの虎」が初めて明かす借金100億円ホームレス生活

2015年05月19日 05時31分55秒 | お役立ち情報
 100億円──多くの人にとっては縁のない数字だ。だが、短期間のうちに「3つの100億円」を経験した男がいる。かつての人気番組『マネーの虎』(日本テレビ系・2001~2004年放送)で敏腕経営者と評された南原竜樹氏(55)。年商100億円の会社を経営し、高級車を乗り回して札束を机の上に並べていた同氏は最も多い時で100億円の借金を抱えて、一転して地獄に落ちた。そこから再び年商100億円に復活。南原氏が仰天のジェットコースター人生を語った。

 * * *
 この7月の決算では、売り上げが再び100億円に届く見通しで、最盛期だった2004年当時に追いつきました。あの番組で私を観ていた人は知らないと思いますが、私はあの後、カネがなくなり地獄に落ちました。ホームレスになり食べるものにまで困ったほどです。今ようやく“マネーの虎”に戻ることができました。

〈そう語る南原氏が自動車の輸入代理店オートトレーディングルフトジャパンを設立したのは1988年。当時はまだ珍しかった高級欧州車の並行輸入で業績を伸ばし、2001年にはアルファロメオの代理店であったチェッカーモータースを買収。2003年にイギリスの老舗自動車メーカー、ロータス、MGローバー(以下ローバー)の輸入権も獲得し、年商は100億円を超えた。

 当時、南原氏は起業を目指す若者らが著名な経営者に事業計画をプレゼンし、出資を募る人気テレビ番組『マネーの虎』に出演。「楽しようとするな」など応募者に厳しい発言を繰り返す南原氏は“冷酷な虎”の呼び名で、一躍有名になったが……。〉

 私の人生は、番組終了から約1年後の2005年4月にローバーが経営破綻したことで一変しました。ローバーの工場はもぬけの殻と化し、再建は不可能でした。輸入代理店である弊社は大量の在庫を抱えていましたが、アフターフォローもなくなることから新車としての価値はなくなり大幅な減損処理を余儀なくされました。

 私はそれまでピーク時で100億円もの借金を背負っていました。会社経営に借金はつきものであり、返済をしながら事業を拡大していくわけですが、それは主たる事業が稼働していることが前提です。経営の柱だったローバーを失った時点で、会社には30億円の借金が残りました。私の頭には「倒産」「自己破産」の言葉が浮かびました。

 しかし、倒産は会社の歴史を捨てると同時に、多くの人に迷惑をかけることになります。私は借金を返し、会社を再建する道を模索しました。それには、規模を小さくしてゼロからやり直すしかありませんでした。全社員263人を解雇する日、最後の挨拶をした時には涙が溢れました。事業もカネも失いましたが、人を失うことの辛さは何と表現していいか未だにわかりません。

 誰もいなくなったオフィスで“敗戦処理”を始めました。目が眩むような借金でしたが、まずは預金をすべて返済に充て、各地にあったショールームを売却するなど資産を処分し毎月約1億円ずつ返済しました。田園調布にあったショールームは6億円で売れ、返済のスピードを速めてくれるとともに我が社の命をつなぎ止めてくれました。在庫の車も新車の半分以下の値しかつきませんでしたが、少しずつ売却して返済に充てました。

 資産や在庫の売却がうまくいかず返済日に間に合わない時には、知人の会社などから借金し、それでも足りないと高金利の金貸しに手を出したこともありました。借金の切迫感から胃に穴が開きそうな日々でしたが、払えるものが残っているうちに次のビジネスを立ち上げてすぐ軌道に乗せなければ、ジリ貧になってしまうこともわかっていました。

 この頃は私の給料は当然ゼロです。オフィスの机とイスを毎日1セットずつネットオークションに出し、売り上げの約3500円を生活費に充てました。食事は、ひとつ50円の具の少ないカレーパン。たった1個で1日過ごすこともざらでした。

 当時住んでいた六本木ヒルズのマンションも退去し、「住所不定」になってしまいました。マンションの敷地内にある公園のベンチに横になり、そのまま夜を明かそうとしていたら、守衛に「ここは私有地だから寝るな」と追い出されました。

 先日まで目の前の高層マンションの住人だった私が、その下の公園にさえ入れないホームレスになったのです。その時、人間は泣きながら歩くと坂道を登れないんだと気づきました。六本木ヒルズの前の坂道を麻布十番方面に下り、バス停のベンチで寝ることに。深夜、大型トラックが通るたびに振動で起こされました。寝床を探し歩くうち、高速道路の下のほうが、静かで雨や風もしのげて快適だと知りました。

〈転落から約1年。“敗戦処理”も順調に進み始めると南原氏は復活へ向けて本格的に動き出す。知人の会社の一角に居候する形で、少ない資本金で始められる人材派遣業を開始。高齢化を見据え、医療・介護に力を入れた人材派遣業が成功し、事業は軌道に乗った。さらにM&Aの仲介、旅館の再建、レンタカー事業、腕時計の輸入販売に飲食業と、幅広く事業を拡大。社員数もグループ全体で3000人を超えた。〉

 復活できたのは、下がった生活水準に順応できたことが大きいと思います。いろんな経営者を見てきましたが、欲が強い人は逆境に弱い。洋服や飲食費が多額の固定費になっていると、カネがない時には借りてまでその生活を維持しようとしてしまい、首が回らなくなる。そんな人が何人もいました。

 かつては高級車を乗り回していた私ですが、それはビジネス上の“演出”であり、今ではコンビニのサンドウィッチで満足ですし、スーツは上下1万円のセール品で十分。だからといって借金が悪いとはこれっぽっちも思っていません。

 これは西武グループの創始者である堤康次郎さんの話ですが、年商1億円を達成したとアピールしてきた若者に「1億円稼ぐのは大したことはない。1億円の借金をしていれば大したもんだ」と返したといいます。ビジネスの観点でいえば、1億円を貸してもらえるほどの信用を築いている人間のほうが優秀なのです。

 新たなビジネスを成功させるにはお金が要ります。私のように、短期間で会社を大きくしようとすればなおさら大勝負が必要になります。借金は自分の資産以上の力を発揮するための“テコ”といえるでしょう。

 私は今も借金をしているし、経営者である限り、これからも借金と共に生きていきます。 失敗したらまたゼロから始めればいい。挑戦した結果、もう一度あの地獄に落ちてもいいとさえ思っています。ホームレスは辛かったので、せめて家だけは残しておきたいですが(笑い)。

※週刊ポスト2015年5月29日号
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