お役立ち情報ブログ

日々の生活やビジネスにおいて役に立ちそうな情報を収集、公開しています。

定期預金、2倍にするのに1000年超  普通の人でも資産運用をしなければいけない理由(1)

2012年07月08日 07時54分01秒 | お役立ち情報
 「今、銀行の定期預金にお金を預けて、2倍に増やすためには、何年くらいかかると思いますか」。

 ごく普通の個人の方におたずねすると、「うーん、30年くらいかなあ」、「100年くらいかかりますか」などと、様々な答えが返ってきます。

 日本がまだバブル経済に余韻にひたっていた90年代初め、銀行の定期預金の利率は年7%程度が珍しくありませんでした。7%の金利がつけば、利息の複利計算で、10年間預けると資産は約2倍になりました。

1990年度の国内総生産(GDP)成長率は8.6%、10年債国債の年度平均利回りは7.3%でした。中国やギリシャの数字ではありません。ほんの20年前、日本経済はまだまだ高い成長力があり、銀行預金は安全かつ有力な資産運用の手段だったのです。

 では、現在の預金金利はどうでしょう。

 利率が高いと言われるネット銀行の定期預金でも金利は年0.3%程度です。この利率で資産を2倍に増やそうと思ったら、30年や100年では足りません。なんと約270年かかる計算になります。3回くらい生まれ変わらないと、2倍になりません。

 メガバンクの定期預金金利は年0.03%程度なので、これでは1000年かかっても2倍になりません。「平安時代から今まで預けても2倍にならない金融商品なんて……」、と誰しも思うでしょうが、現実は、有利な運用手段とはいえなくなった預金は増え続け、今や840兆円もの個人資金が銀行預金口座に、低い金利のまま、放置されているのです。
 「貯蓄から投資へ」。政府はずいぶん前から掛け声をかけていますが、個人のお金は銀行から動きません。なぜでしょうか。

 今の日本でお金を持っているのは高齢者の方々です。政府の統計でみても、貯蓄残高の約60%を60歳以上の方が占めています。一方で、30歳未満の層の占める比率は0.5%です。20代の若者は貯金どころではないという現実が、この数字からも垣間見えます。

 高齢者の方は金利7%、10年で2倍に増える銀行預金の古き良き時代を知っており、その恩恵を実際に受けてきた世代です。だからでしょうか、銀行預金以外の資産運用にあまり関心がない場合が多いようです。

 例え利息は大幅に少なくなっても、相変わらず、ゆうちょ銀行も含めた銀行預金から、あえて資金を動かそうとしません。そういう発想すらないのかもしれません。

 現在、60代、70代のリタイアしたサラリーマンOBの方は、平均像として持ち家があり、住宅ローンは終わっています。退職金も年金もしっかりもらえる世代なので、「資産は増えなくても、大きく減らなければいい」と考えがちです。

 夫婦で月25万円程度の年金を受け取り、預金を取り崩すのは、たまの旅行や孫の入学祝いくらい。日本経済はデフレが続き、物価が上がらない状態がもう20年も続いています。まとまった現金を持つ高齢者にとって、実は今の日本は経済的には過ごしやすい環境が続いているのです。今、年金を受給している世代は、資産運用とは無縁でも生きて行けた、幸福な世代といっても間違いはないでしょう。

 一番お金をもっている層が、低い利息で増えないことを承知で銀行に預けたままにしている。これではいくら政府が「貯蓄から投資へ」と叫んでも、証券市場に個人のお金は流れません。銀行は銀行で、たくさん預かった預金をすべて融資に回せるわけではありません。景気が低迷し、企業の設備投資意欲は衰えたままなので、銀行からお金を借りる企業はなかなか増えません。銀行は仕方がないので、余った預金で国債を購入しています。

 日本の国債が長年、10年債で1%前後と非常に低い水準で推移しているのは、銀行や保険会社などがせっせと国債を購入していることも一因で、実は個人のお金が銀行を経由して、本人はまったく知らないまま、国債市場に流れているともいえるのです。
 2008年のリーマン・ショック以降、企業の退職金は1~2割程度、目減りしたと言われています。年金については誰もが悲観的で、将来の受給額への不安を感じない人はいないでしょう。かつては放っておけば10年で2倍になった銀行預金も、今はメガバンクに100万円を1年間預けても、利息は税込みで300円です。

 昔は良かった、こんな時代に誰がした、と嘆いてみても、もはや国も会社もあてになりません。確実にいえるのは、「ごく普通の人でも、資産運用を考えないといけない時代になった」ということです。

 退職金が大幅に減らされても、年金の受給開始がまたもや先送りになっても、銀行預金の低金利が続いても、将来の不安を感じないで済むように、自分の身は自分で守るしかありません。

 リタイアするまでに自分で資産を作り、自分で守ることが、将来のお金の不安から、少しでも自由になるための方策です。




■本記事は「普通の人がゼロから始める資産づくり」(日本経済新聞出版社刊)から抜粋、再構成しました。
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検証するだけむなしい鳩山一族の総資産

2012年07月07日 07時30分22秒 | 経済
<ちょっとツツけば百億単位がゴロゴロ>

 2日公開された国会議員の資産等補充報告書。鳩山由紀夫元首相(65)と邦夫元総務相(63)の兄弟がそれぞれ母親から約42億円、計84億円相当の生前贈与を受けていたことが判明したが、この程度は鳩山家にすれば“はした金”。庶民がタマげるにはまだ早い。

 生前贈与の内訳は、それぞれ現金24億円と、ブリヂストン株100万株(時価約18億円)など。2人の「ゴッドマザー」の安子氏(89)は、言わずと知れたブリヂストン創業者・石橋正二郎氏の長女。父親から受け継いだ大量のブリヂストン株を息子たちに譲り渡した格好だ。

「20年前まで安子氏は、ブリヂストンの大株主10傑に名を連ねていました。93年当時の保有株数は1240万株。その後は若干、保有数を減らしたようですが、今回、息子2人と長女の和子氏(68)に100万株ずつ渡しても、まだ手元には600万株(時価約108億円)ほど残っているはず。年間配当額は1億3200万円に上る計算です」(証券関係者)

 今回、兄弟が受け継いだのはブリヂストン株だけではない。東京・麻布にある「永坂産業」という聞きなれない会社の株式も、それぞれ2万6000株ずつ贈与を受けていた。

「この会社は東京・京橋のブリヂストン本社ビルを所有・管理し、ブリヂストンの第8位の大株主でもある。保有株数は1632万5000株。時価換算で約294億円、年間配当額は約3億6000万円に達します。生前贈与の前から鳩山兄弟は、同社株をそれぞれ7万株ずつ保有。今回の積み増しで兄弟の実効支配が強まり、この会社がブリヂストンから得ている利益の“間接所有”の度合いも高まったわけです」(財界事情通)

 我々のあずかり知らない不動産だってゴロゴロあるのだろう。ちょっと検証するだけで、すぐ百億単位の資産が出てくるのだ。この兄弟に庶民感覚を求めるほど、バカらしい話はない。

(日刊ゲンダイ2012年7月3日掲載)
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「儲かる時代はとうに終わった」赤貧・歯科医の告白

2012年07月04日 07時35分57秒 | 経済
■コンビニの数より多い……
「投資に失敗したなどの理由ではなく、本業の赤字で夜逃げする歯科医が現れました。多くの歯科医院が内部留保を取り崩すジリ貧の状態です」

悲愴感を漂わせるのは、都内に歯科医院を開業したばかりの若手歯科医、山崎拓哉さん(仮名、33歳)だ。

「2009年に参加したお寿司チェーン『すしざんまい』での歯科医師の親睦会で、同業者は口々に『保険診療だけなら、1日30人の患者を治療しないと赤字』と話していました。実際に、きちんと治療しようと思えば、一人の歯科医師では1日7~8人が限界です。このままでは経営が成り立ちません」

歯科医師を取り巻く現状は厳しい。1990年におよそ7万4000人だった歯科医師数は、2006年には9万7000人に増加。それも都会に集中し、「コンビニより歯科医院が多い」と言われるほどになった。

一方、健康保険の対象となる治療に対して歯科医院に支払われる診療報酬のうち73項目の価格が、この20年間据え置きされている。歯科医療費全体も、この10年間停滞中。その間も歯科医師数は増加しているため、一人当たりの収入はドンドン目減りした。歯科医療白書によれば、歯科医の5人に1人は年収300万円以下だという。

山崎さんも、その5人に1人の“負け組”だ。私立歯科大を卒業後、都心の大手歯科医院に勤務中、周囲から結婚を勧められ、お見合いパーティーで知り合った女性との結婚をきっかけに開業することになった。実情を知らない周囲からは「うらやましい」と言われることも多いが、薄給だった勤務医時代よりも最近のほうが経済的に追い込まれているという。

「恥ずかしい話ですが、この年まで女性と付き合ったことがなく、初めての女性に舞いあがって、結婚を急いでしまった。妻や、妻の両親は歯医者が金持ちだと誤解していて、『すぐ開業したほうがいい(=もっと儲けろ!)』と迫られました。そのときは妻のため、と思って一念発起したのですが、診療機器のリース料と家賃、妻の実家に強いられて建てた自宅の住宅ローンの支払いに追われています。義父によると『開業して儲けたお金で遊びに行かないようにローンを組ませた』とのことですが、女性と遊んだりする経済的余裕などありませんよ」

■昔は歯医者にマルサが来た
歯科医院の経営状態がよかったのは、80年代までだという。日本に歯科医師が少なかった70年ごろ、歯科医療の画期的な技術革新が起こり、いち早く新技術を身に付けた歯科医のもとに多くの患者が集まった。さらに、その治療が保険適用の診療になるまでのタイムラグで、多くの患者が良質な歯科医療を受けるために、自費での自由診療による治療を選択し、歯科医院は大きな利益を上げることができたのだ。

当時を知るベテラン歯科医(すでに引退)の一人は、「詰めるものも、かぶせるものも、すべてが変わりました。ちょうど、高度成長期で日本中が豊かになってきた時期でもあり、多くの人が、自分の歯にお金をかけたのです。毎年、億単位で売り上げがありました」と振り返る。

いまでは、定員割れも珍しくなくなった大学の歯学部もわが世の春を謳歌していた。

「東大には歯学部がありません。そのため、東大合格を蹴って入学してくる学生も毎年何人もいました。最終学年になると大学付属の病院で、実際の患者を相手に実習が行われるのですが、歯科医師のタマゴと顔なじみになれると考えた女子学生が、痛くもない歯を抱えて殺到したのです。三段重ねの手作りのお弁当をたずさえていた女性もいました。みんなうれしそうに食べていましたね」(東京医科歯科大学OBの歯科医師・50代)

山崎さんも、先輩歯科医師から、歯科医の黄金時代の話を聞いたことがある。

「バブルも重なって本当にいい時代だったようです。レジの中は1万円札であふれ、閉めることができなかったといいます。スチュワーデスと結婚するのも当然のような風潮だったようで、松田聖子も歯科医師と結婚しましたよね。あのあたりが歯科医師のギリギリよかった時代の最後のようです」

保険外の自由診療は、歯科医師側が価格を設定できたため、収入は膨大なものとなった。その一方で、脱税で摘発される歯科医師も目立つように。「パチンコ屋、歯医者、産婦人科医は脱税御三家」と言われていた時代もあった。

山崎さんの知人にも、そんな黄金時代に、国税局のマルサから査察を受けた歯科医師がいるという。

「少額の脱税では、地元の税務署が来ます。歯医者には、国税のマルサですよ。僕なんて、収入が少なすぎて、還付金をあてにしています」

■「儲かる」幻想に振り回される
そんな歯科医の黄金時代は、保険制度の変化とともに終焉。先述のベテラン歯科医は「81年、健康保険の1割の自己負担が導入されたことが、終わりの始まりでしょう。それまで保険治療はタダでしたから、患者は1割でも非常に大きな負担に感じたと思います。それが、97年には2割、今では3割負担です。病気になれば病院に行こうと思うでしょうが、歯が少し痛むくらいでは歯医者には行かなくなってしまった。目新しい技術革新もないまま、バブルが崩壊してずっと不景気。日歯連による自民党橋本派への巨額の不正献金事件が発覚し、社会的地位も著しく下がってしまった」と説明する。

健康保険法の改正の一方で、国は医師および歯科医師を増加させる政策を実施した。医大、歯科大の新設ラッシュが起こり、大幅に定員増。医師も、歯科医も急激に増加した。特に歯科医は「儲かる」イメージが強い割に、医学部よりは偏差値も低く、希望者が殺到することになった。

「僕もだまされたクチですね」と山崎さん。

「僕が受験したころにはもう、歯科医が儲かる時代は終わっていました。学生時代は忙しくてそんなことも知らず、勤務医のころも、毎日の仕事に追われて、世の中が変わったことに気がつかなかった。開業すれば、先輩の先生方みたいに銀座で豪遊できると信じきっていました」

厳しい環境に置かれている歯科医師だが、山崎さんのように都心のビルに開業しているケースは最悪だ。

「地方はまだマシです。家賃が安いですから。坪単価5000円の場所にある診療所でも、坪単価5万円のビルの診療所でも、保険点数は同じです。明らかに都心の歯科医に不利な仕組みです。都心の患者は高額な自由診療が多い、とも言われましたが、この不況でたまに初診患者が来ても保険内診療ばかり。

歯科医師とは肩書だけで、景気がよかったころに買った投資用マンションの賃貸収入で生活している人も多い」と山崎さん。

先月、山崎さんは妻の誕生日に、苦しい家計の中から、3万円の宝飾品を贈った。

「値段をネットで調べたのでしょう。次の日から不機嫌に。『去年までのプレゼントは5万円だった。あんたのせいで私は不幸よ!』って。そのとき頭をよぎったのは、はじめから1万円のものをあげていたら3万円で喜んだのではと考えました。地獄です」

※すべて雑誌掲載当時
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コラム:「超円高」認識は誤り、政治迷走なら円安も=伊藤元重教授

2012年07月03日 07時55分58秒 | 為替
伊藤元重 東京大学大学院教授

[東京 2日 ロイター] 為替レートは経済のあらゆる動きに反応する。日本の金利や貿易収支が動いても、欧州で財政危機が深刻化しても、中国の経済が減速しても、そして米国が金融緩和をしても、それに反応して動いてしまう。リーマンショック後の円高は、こうした経済の動きへの反応に他ならない。

この先、さらに円高に動くことはあるだろうか。それとも、そろそろ円高のピークに来ているのか。足下の動きを見る限り、どちらの判断も難しい。

年初に欧州の金融情勢が少し落ち着き、米国の景気にも回復の兆しが見えていた頃は、円レートは円安方向に動く気配を見せていた。しかし、ギリシャの選挙結果、あるいはスペインの債務危機の深刻化などで、また円高方向への動きが世間を賑わしている。

今年後半も円レートは大きな変動を示しそうだ。困ったことに70円台前半の円高にも、そして80円台後半の円安にも、簡単に動くことがありそうなのだ。なぜそうなのか、現状を整理してみたい。

<95年に比べて、実質30%も円安>

まず認識しなければいけないのは、「現在の円レートが歴史的にも際立って円高である」という考えが間違っていることだ。それどころか、1995年頃に経験した過去最高の円高に比べて、実質的に30%以上も円安である。水準として見て過去の平均よりは若干の円高であるが、特に際立って円高ではない。

実質実効為替レートを理解している人には、このことは説明するまでもないだろう。大学でも、私は学生に「為替レートを名目で見るのは素人、プロは実質で見る」と教えている。

たとえば、円ドルレートで言えば、1995年に1ドル=80円を切ったことがある。それから現在までに、米国の物価水準はおおよそ40%上昇したが、日本の物価はまったく上昇していない。日本でデフレが続いたからだ。

95年から今までに、40%も物価の開きが生じている。95年の80円は今の57円になる。80を1.4で割った数値だ。日米の物価の開きを考えれば、今の1ドル=79円という数値は、過去のピークの95年に比べて、まだ30%以上も円安である。

円高で大変だと騒いでいるのは、日本人だけかもしれない。欧米のプロのエコノミストは、「実質レートで見て若干の円高かもしれないが、騒ぐほどのことはない」と見ている。

逆に言えば、市場状況によっては、短期的に円高がさらに進むことは十分にありえるということだ。円高の動きを演出するのは、欧州危機と米国の景気動向だ。大きな景気落ち込みの不安感が出てきている中国経済の動きも、重要な要因である。リーマンショック以降、海外で大きなマイナス要素が出てくると、円高に振れる傾向が続いている。今はそういう相場なのだ。

<日本売りを招きかねない政治の迷走>

ただ、中長期的にはもっと円安の方向に進むとも考えられる。

円レートの長期の動きを見ると、戦後直後から1995年頃までは、実質実効為替レートで見て、ずっと円高のトレンドが続いた。戦後の日本の経済発展を反映した結果だ。

95年以降は、長期のトレンドは円安だ。リーマンショック後、欧州や新興国の通貨安が続き、若干の円高への戻りの動きはあるが、高齢化の進行、近隣国の経済発展など諸々の要素を考えると、円高方向にひたすら進み続けるとは考えにくい。

こう話すと、日本経済がうまくいっていないことを認める敗北主義のようだ。ただ、改革の進まない政治の現状を見ると、そう認めざるをえないだろう。

こうした円安のトレンドが根底にあるとすれば、今のマクロ経済状況に大きな変化が生じれば、為替レートは一気に大幅な円安に動く可能性が出てくる。なにより心配なシナリオは、政治の混乱から財政運営に不安が出てきたときだ。

6月26日の衆院本会議で消費増税を柱とする社会保障と税の一体改革関連8法案は可決されたが、与党から57もの反対票が投じられるなど、政治の迷走は続いている。一体改革が今後停滞するようなことになれば、国債の格付けの引き下げがあるかもしれない。そのような動きが日本売り、円安に動かないという保証はない。

<経営者は、三枚の紙を貼ろう>

とはいえ、為替レートの動きを正確に予想するのは不可能だ。それが経済学の教えるところだ。

私は、経営者に対して、三枚の紙を貼ろうと言ってきた。今の円レートを考えれば、70円、80円、90円という三つの紙になる。この三つの紙を貼って、毎日一度は拝むのだ。

神頼みではない。70円になったらどうなるだろうか。自分はどのような準備をしておけばよいのか。しっかり考える。これをシミュレーションという。

もちろん、70円という円高シナリオだけではだめだ。90円という円安シナリオ、そして80円という現状維持シナリオの紙にもしっかりと拝む。

グローバル経済が大きく揺れている今日、為替レートは非常に変動しやすい環境にある。どちらに動くかは、これからの経済展開による。為替レートは、グローバル経済のあらゆる動きに反応するものだからだ。

*伊藤元重氏は、東京大学大学院経済学研究科教授。2006年2月より、総合研究開発機構(NIRA)理事長。東京大学経済学部卒、米ロチェスター大学大学院経済学博士。

*本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替フォーラムに掲載されたものです。(http://jp.reuters.com/news/globalcoverage/forexforum)

*本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。

*このドキュメントにおけるニュース、取引価格、データ及びその他の情報などのコンテンツはあくまでも利用者の個人使用のみのためにコラムニストによって提供されているものであって、商用目的のために提供されているものではありません。このドキュメントの当コンテンツは、投資活動を勧誘又は誘引するものではなく、また当コンテンツを取引又は売買を行う際の意思決定の目的で使用することは適切ではありません。当コンテンツは投資助言となる投資、税金、法律等のいかなる助言も提供せず、また、特定の金融の個別銘柄、金融投資あるいは金融商品に関するいかなる勧告もしません。このドキュメントの使用は、資格のある投資専門家の投資助言に取って代わるものではありません。ロイターはコンテンツの信頼性を確保するよう合理的な努力をしていますが、コラムニストによって提供されたいかなる見解又は意見は当該コラムニスト自身の見解や分析であって、ロイターの見解、分析ではありません。
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「性善説」が人を動かす 危機が生んだ相互信頼の経営

2012年07月02日 08時08分50秒 | お役立ち情報
【わが社のオキテ】

 婦人下着大手のワコールホールディングスには、社員の出退勤を管理するタイムカードがない。かつて労使関係の悪化からストライキ寸前になるなど、経営陣と社員の関係が破綻の危機に直面。この苦い経験から、創業者の塚本幸一社長(当時)がたどりついたのが、社員を徹底して信頼するという「相互信頼の経営」だった。世代が変わった今日でも、同社を支える精神的柱として脈々と息づいている。

 戦後の高度成長期のまっただ中、多くの会社で労働組合が誕生し、従業員と経営者の理想的な関係が模索された。しかし、会社が急速に発展する一方で労働問題が深刻化し、多くの企業で激しい労使対立やストライキに直面するなど、労使関係は悪化した。

 ワコールも例外でなかった。昭和21年に創業、日本社会への洋装文化の浸透とともに女性下着が急速に普及し、会社は右肩上がりに成長した。すべてが順風満帆のようだったが、水面下では労使対立がうごめいていた。

 「甘い言葉で働かせ、その利益を横取りする。経営者は敵だ!」。

 ワコールの労働組合の言い分はこうだった。しかし、塚本社長は「なぜ同じ企業で働く人間が対立しなければならないのか」という思いでいっぱいだったようだ。

 そして昭和37年の春、緊張が高まっていた労使関係はついに重大局面を迎えた。「48時間後にストライキをする」。組合が通告を出したのである。

 ことの重大性に危機を感じた塚本社長は、本来なら幹部が出席する組合との話し合いの場に自ら出席。4~5時間をかけて経営の現状や将来の展望、さらに従業員の生活向上や労働環境改善について、言葉を尽くして語った。

 その結果、労組側が折れ、ストライキはなんとか回避できたが、塚本社長の心の中には依然としてわだかまりが残った。

 そんな折に耳にしたのが出光興産の出光佐三社長(当時)の「人をとことん尊重する経営」だった。

 聖徳太子の言葉「和を以て貴しとなす」に現されるように、日本は米国のような“契約社会”ではなく、互いに尊重する精神文化を育ててきた。この精神を取り入れた出光興産には、就業規則も出勤簿もなかったのである。

 出光社長の話に打たれた塚本社長に、明快な答えが浮かんだ。それが従業員と経営者が互いに、完全に信頼しあう「相互信頼の経営」だった。

 「私は徹底的に皆さんを信頼することにしました」。塚本社長は社員に向かって宣言した。

 そして、塚本社長が労働組合に出した約束が『遅刻早退私用外出のすべてを社員の自由精神に委ね、これを給料とも、人事考課とも結びつけない』

 それからである。職場の雰囲気が一変し、皆一生懸命に働くようになったという。

 以来、今日に至るまでタイムカードがない。約50年前にできた「相互信頼の経営」は、いまも脈々と流れている。

 新入社員の中には、タイムカードがないことに驚く社員もいるが、それだけに、かえって自ら時間管理しなければという気持ちになるそうだ。やはり、自主的な“やる気”を引き出すのは、「性悪説」より「性善説」のほうが効果が大きいようだ。

 「タイムカードがないのは、経営者と従業員、上司と部下、同僚同士が互いに信用しようとする思いを持っていることの証。こうした信頼が、従業員の仕事へのモチベーションの維持にもつながっている」(広報部)と話している。(中山玲子)

◇会社データ◇

本社=京都市南区吉祥院中島町29

設立=昭和24年11月

事業内容=婦人下着の製造・販売など

売上高=1718億円(平成24年3月期連結)

従業員数=1万7843人(同3月末)
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