浅草橋駅のガードから歩く。神田川沿いまで歩くと船宿が見えて来る。浅草橋や柳橋あたりは神田川の流れもゆっくりとしているので川に屋形船を係留して、その横あたりに事務所的な建物を建てるのには都合がいい。地面から階段10段くらい登ると神田川の堤防の上に出る。
最初の店は『野田屋』、少し古め。お隣は『三浦屋』である。いずれもまだ昼のためか、事務所にも屋形船にも人の姿はない。
コロナ初期に屋形船で流行が拡大したとかなり白い目で見られたことがあったが、それももう2年近く前のことである。
川沿いに歩いて階段を登ると浅草橋。地下鉄浅草橋駅には『ここは浅草ではありません。浅草駅は2つ先で下車してください。』と書いてある。神田川に架り、上を国道4号線が通るが、元々は江戸城の外濠にあたり、浅草橋門があった。
木造の橋であったものを1873年に石造の橋に架け替え、1930年に関東大震災の復興事業として今の橋に架けかわった。台東区と中央区の区界となっていて浅草橋という地名は台東区側にある。
国道4号線を渡ると住所は『台東区柳橋』と変わる。こちら側にも船宿は続き、『田中屋』『あみ新』と続く。すると前方に緑色の鉄橋が現れるがこれが『柳橋』。
その手前には『小松屋』という佃煮屋が現れる。小松屋も歴史のある店であみ、小エビ、きゃらぶき、穴子、うなぎなど色々な種類の佃煮がならんでいる。ちゃんと橋の袂には柳がうえてあるが、これは店の人が植えたものらしい。
柳橋といえば料亭や芸者と思ってしまうが、花街としての歴史は古く、文化年間(1804年〜1817年)には14人の芸妓がいた記録げある。新橋と共に二大花街として栄えたが、1964年東京オリンピック以降さびれ、1999年に最後の料亭が廃業、今は存在しない。
柳橋を渡ると『小松屋』という船宿が現れる。これは佃煮屋の小松屋さんの親戚とのこと。
左に歩くと隅田川との合流地点、左には総武線の鉄橋、右側には両国橋が見えて来る。(以下、次回)