hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

大倉山駅付近の坂道①

2025-03-11 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その231。日吉駅〜大倉山駅付近の坂道②、日吉駅の坂巡りを終え、東横線に再び乗車する。綱島駅は通過してまずは大倉山駅付近の坂道を歩くことにした。

まずは東口の方に降りて東横線沿いの道を戻るように歩く。上り坂になっていてだんだんと高くなり、左側に線路がよく見えるようになってくる。目的地の坂は綱島街道沿いにあるため、すぐに行けるかと思ったが、右への脇道に入るとぐるぐる回らされ、ようやく階段があり、降りて団地の中を通り、綱島街道に出た。



これを左に向かって歩くと大倉山記念病院が出てくるが、この辺りが『おぼろ坂』である。名前の由来は『以前、この辺りは森が深く、霧が立ち込めるところで、夜中に道を歩くといわれもない妖気を感じることから付けられた』と言われている。



あまり急な坂道ではないが、今は往来する車も多く、当時の面影はない。近くには大曽根町という横浜市営バスの停留所があるが、大倉山駅を通るバスはなく、やむなく歩いて駅まで戻るが遠い。



大倉山駅西口に辿り着き、再び戻るように坂を登る。『大倉山』という名前は大倉精神文化研究所に由来する。坂の登り口に2009年に住居表示を大倉山に変えた時のモニュメントと碑がある。

それによると東急東横線が1926年に開業した際には地名を取った太尾駅であったが、1932年に渋谷〜桜木町が全線開業した際に研究所創設や梅林の開業などの観光開発に伴い、新たに付けられた名前である。今は研究所の建物は大倉記念館として横浜市に寄贈されたが、山の上に残されている。
研究所を作ったのは大倉邦彦という実業家、その後、東洋大学学長などを歴任したが、すべて無給でしかも多くの寄付を行なった。因みに大倉財閥とは関係ない。
この記念館に向かう坂のため、『記念館坂』と名付けられている。

東横線と並行して登り、その先は左に曲がり、さらにいくと記念館の前に出る。高低差38m、平均斜度5°、長さ380mにもなる坂道である。(以下、次回)